第54話 ブリトニケから来るもの


「卵、こげてる」

 すぐよこから聞こえた声にびくっとしてふり向くとエリーがフライパンのうえを見ていて、視線のさきの目玉焼きからあがるけむりは魔法のできそこないみたい。

「なに考えごとしてたのかな?」

 なにも、と答えようとしてあげた目がエリーの目とまともにかちあった。

 目は口ほどに――って言うのはほんとだと思う。やばっ、とあわてて目をそらした、でも遅かったかな、そのいっしゅんで心の奥底まで手をつっこまれた気がした。考えてたことあらいざらいぜんぶひっつかんでもってった? いやいやまさかと思いなおしてサラはエリーの顔をそっとぬすみ見た。

 その視線をエリーはあっさりかわして歌でもくちずさみだしそな自然なステップ踏んで、朝食や本や毒薬やらが無雑作で無節操に積みあげられたテーブルへと向かった。ならんだビーカーのなかには透きとおった青の液体、ねばっこい緑、ちょっと黒ずんだ青にあざやかな赤。花の一輪しずんだ薄桃色のフラスコのとなりにはサラの渾身のオニオンスープ。スープをひと口すすって魔女は言った。

「あーおいし。うでを上げたね」

「そりゃ毎日つくってんだもん」

「レベッカは料理はからっきしだったわ」

 知ってる。じつにまったく壊滅的だった。味見しないのといつか尋ねたら、そのときかのじょはそれはむだだときっぱりこたえたのだった。だって私は味を感じないんだもの、あることの代償に味覚をうしなってしまったからねとつづけたのだったが、なんの代償だったのかは聞けないままにしてしまっていた。そうだ、こんどちゃんと聞いてみよう。

「あの子さいきんどうしてるかな。サラは知らない?」

 こげた目玉焼きに突きたてようとしていたフォークが勢いあまってがちゃんと音をたてた。視線は目玉焼きに固定したまま、

「知らないよ、あたしだってここに来てからずっと会ってないもんそれにレベッカおばさんたら手紙ひとつくれないし、むかしっからそうゆうのきらいだし、エ、エリーちゃんだって知ってんでしょそんなことはさ、だいたい――」

 落ちつけ、ちゃんとまえを見ろ。って目をあげるとエリーがにこにこわらってこっちを見ているのとまた目があってしまった。

「――こ、この夏休みはエリーばあ、いやエリーちゃんのとこでし、しゅ、修行だって送ってくれたんだもん、い、いまごろどっかでのんびりしてるんじゃない?」

「でもあの子ってほら、おっちょこちょいなとこあるし……そういや私、しょっちゅうあの子のしっぱいの尻ぬぐいさせられてたわ。師匠になにやらせるんだってのよ、ねえ。どうせサラにも?」

 エリーはずっと笑顔でサラを見ている。


 バレてる? バレてない? サラが内心びくびくしながら表面だけは冷淡ポーカーフェイスで「おかわり食べる?」なんてスープ皿へ手を伸ばすとエリーは「ありがと」とにっこりわらった。



  ***



 王国にも、レベッカがかくした秘密に気づいた男がいた。

 その男の乗る飛行艇は各地をいそがしく転戦する聖堂騎士団のためにと女王陛下からたまわったもので、馬の旅なら何日もかけくたくたになってやっと辿りつく町と町とのあいだをかるがる一晩でつないでしまう最新の移動手段だった。それでも騎士たちの多くは馬での移動を好んでいたのだけれど、まるまるふたつの大陸をまたいでさらにその南の島へとむかう今回の旅ではさすがにそうも言っていられない。


「……とはいってもやっぱり窮屈ですなあ団長。それにこの、耳がつんとするのはなんどやっても慣れませんわい」

 がんがら声の男は頬いっぱいに髭を生やして、そのしたの顔はおまけで髭が本体なんじゃないかってぐらい。四人いる副団長のなかでも最年長で、わかい騎士たちに説教たれるのが役割と心得ているのかそれとも単なる性格なのか、とにかくダンカンはなんであれ直言するし気にいらないとなれば雷をどかんと落とすので団員たちから恐れられていた。今回の旅にかれをつれてきたのは才気煥発勇猛果敢、将来有望ではあるが若気の至りも至り、このたび筆頭魔女にけんかを売ったとはやんちゃが過ぎるにもほどがあるエドワードの、無責任な頭のうえにもその雷を一万発ばかりは落とさせてやろうという騎士団長のもくろみだ。


「ぼくは好きだなあこれ。なんてったって楽じゃん、手綱とる必要も尻の皮がむけることもないし居眠りだってできるしさ。それに雲のうえから見る景色! 山も川も町だってみんなおもちゃみたいだよ、神さまったらいつもこんな風に世界を見てるのかなあ」

「かるがるしく神の名を出すんじゃない」

 騎士団長はたしなめたが、本気で怒りはしない。弱冠十八歳のリチャードは素直でものおじしない性格から騎士団のみなに愛されている。かれを連れてきたのは魔力を探知する能力のたかさゆえであって、島のどこにいるかわからないエドワードをさがし出すにはだれより頼りになると踏んだのだ。

 筆頭魔女の力ではるばる海のはてまで飛ばされてしまった若き副団長の救出にむかうのに、騎士団長はみずからを含め三人だけをえらんだ。王室の盾であり矛でもある聖堂騎士団の責務は広く重いのだ。女王の側から離れるのは最小限でなければならない。

「さて、とっととやつを見つけて連れて帰ろう。女王陛下からいただいたおいとまは半月だ」

 行って帰ってくるだけで約十日。日をむだに費やしている暇はない。



 おそるべき天敵が近づいていることなどサラは知らない。もちろんエㇽダも。

 それぞれ秘密をかくして得意になったり頭をかかえたり、でもたぶんかれらが知るべきなのは、自分がかくしている以上に世界は秘密をそこらじゅうにこっそり配しているってことなんだろうな。

 エドワードだけはいずれ騎士団長が救出にやってくると知っていた。この若い騎士は、自信過剰ぎみな性質にもかかわらずかれの上司のおそろしいほどの叡智をおもいしっていたし、その行動力にはあこがれ、そして部下をけっして見すてないだろう漢気おとこぎには絶対の信をおいていた。騎士団長は、危険も苦難もかえりみずたすけに来てくれる。


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