第18話 魔女のなまえ


「お待たせ」

 やっと魔女が出てきたときにはちょうど太陽が密林のむこうにかくれて、むらさき色の空には明星を先頭に、夜を待ちきれない星がふたつみっつかがやきだしていた。

「準備完了よ」

「準備い? 完成したんじゃないの? もう待てないよ、帰んなきゃ」

「さいごに仕上げをね」

 寝起きでふきげん爆発なエㇽダの苦情をさらっとかわして、魔女は右手にぶらさげた首飾りを掲げてみせた。あかく染まった紐、そのさきには飴色の角。派手にひかっているのはよく見れば蛍のはねだ。さらに目を凝らすと赤い花とトンボのおおきな複眼もどうやったんだかなかに埋めこまれて、角と一体になっている。


「サンガ、いい名ね」

 ソファへすうっと寄るとサンガの右手をとってそのてのひらに、飴色の角をのせた。それから自分の白い手をかぶせて、ぎゅうっと握った。ふたりのあいだの角がとび出さないようにしっかり、でもつよすぎず、しなやかに。

「ちょっ、なにすんのよ」

 なぜかサンガではなくエㇽダが顔をあかくする。そんなエㇽダをあっさり無視して極北の冬の嵐さえ晴らしてしまいそうなみをサンガへ向けた。

「さいごの仕上げはきみのたすけが必要なの」

 魔女が言いおわるのと同時に、つないだ右手がつよくひかりを放った。正確には、手のなかの角に埋めこまれた花と翅と複眼が。


 炎をいくつもあつめたようなひかりは一瞬部屋をあかるくオレンジ色で満たして、そのあとは――静寂がもどり、ふたたびくらくなった室内で、角に埋めこまれた蛍の翅だけが七色にひかっていた。

 そのひかりをふしぎそうに見つめるサンガに、魔女はできあがった角の首飾りをかけた。

「これ、肌身離さずもってなさい。きみをまもる大事なまじないが練りこんであるから」

「こんなのもらっちゃっていいの?」

 首飾りなんて、女の子みたいだ。首から肩にかけてのやらかい優美な線、たださえそこらの女の子よりよほどなめらかな肌を、磨いた角がさらりとすべってきらきらひかる。

「エㇽダの方が似合いそう」

「だーめ。きみのためにつくったんだもの」

 なんだとおっ、とエㇽダがぷんぷん憤慨するけどやっぱり魔女はかるく無視してサンガの耳に唇を近づけた。

「あと、おしえた魔法はまいにち練習するのよ」

 気配を消す魔法。すがたを消すだけならたいしてむずかしくないのよ。やり方をおしえてくれるまえに魔女は言った。気配ごと消して、はじめて意味がある。魔女はね、目に見えるものだけ見てるようじゃいけないの、見えないものを感じてはじめて一人前なの。だから魔女をたばかろうと思ったら、からだも心もまるごとこの世から消してしまわなきゃ。

「わかった?」


「サンガ、帰ろう!」魔女とサンガのあいだにエㇽダが割ってはいって、おもいっきり手を引っぱった。「ティッカ、舟を準備して、はやくっ!」

 すっごい剣幕にティッカは全速力で、そとへ通じる扉をあけると川辺へと走っていった。そとはもうまっくらだ。とたんにティッカは闇のなかにとけてしまって、砂を踏んでしゃりしゃり響く足音だけが居場所をしらせてくれる。そのまま砂と闇にとけてしまったらやだな。気をつけてティッカ、妖魔がうろついてあぶない宵闇、あぶない水辺なんだから。


「心配?」

 闇に目を凝らすエㇽダの頭をサンガがなでた。

「だいじょうぶよ」と魔女は言った。「このあたりに妖魔は近づかないわ」

 そのかわり、妖魔よりよっぽど危険な魔女がいるんだけどね。その危険な魔女は、

「結局お泊りはなくなっちゃったわね……残念だわ」

 ほらほら、なんかあやしいこと言ってる。

「そのかわりオオトカゲにはここに泊まってもらいましょう。しっかり治療してあげる」


 それから魔女はかたわらのベンガル虎の背中をたたいた。たたかれた虎はふとい前肢まえあしを踏んばり伸びをした。すぐ横でおっきな丸太がだれもさわってないのに勝手にななめに起きあがると思ったら、鎌首をもたげたアメニシキヘビだ。

「この子たち送ってあげてちょうだい」

 と魔女は言うけどエㇽダにしたらぞっとしない。送り狼――じゃないや、虎と蛇だけど、とちゅうでとって喰ったりするんじゃないの。

 なのにサンガは魔女に屈託ない咲顔えがおを向けた。うわんかわゆい、そんな顔あたし以外に見せちゃだめ。

「ありがと、魔女さん」

「エリーよ。きみにはとくべつにおしえてあげる」

 すっとまたまた耳に唇よせて、ささやいた。秘密を流しこんだあまい唇には妖艶な笑みをうかべて、紅い瞳はエㇽダをいたずらっぽくとらえて。

「エリー?」

 サンガはまったく警戒心のないあどけない表情で首をかしげた。そのよこでエㇽダが、こいつは信用しちゃだめだわるいやつだだまされちゃだめだと必死にサンガに念を送って黒い目でにらんだ。

「そ。覚えとくのよ、困ったことあったら私を頼りなさい。いつでもここに来ていいわ」

「二度と来るもんかっ」

 サンガにかわって即答したのはエㇽダ。サンガはふたりを見くらべふふっとわらった。虎はまたおおきく伸びをして、出かける準備をととのえた。ニシキヘビはさっさと扉を頭で押しあけ出ていった。あいた扉からは金色の半月が見えた。



  ***



「こまったこと?」


 冬の花壇のかたいつぼみをつまんでいた幼い女王がふりかえった。冬ははじまったばかりというのに霜におおわれた花壇には花も葉もなく、はだかの枝につぼみだけがさむざむしい。

「わたしはまいにちこまったことだらけ」

「だから毎日こうしてお会いしてるでしょ」

 魔女がくしゃっと女王の髪をなでた。

 ちいさな女王は毎日国事に追われて、各国の王様や首相や大使の挨拶を受けたり中身も知れない書類にひたすらサインしまくったり、おまけに勉強に礼儀作法にダンスにスピーチ、目がまわるほどの大忙し。

「今日もいちにちごくろうさまでした。これはごほうび」

 そう言って女王の目のまえのつぼみに息をふきかけた。魔法の合図は花にとどいてふわあっと花びらがひらいた、あかい花びら、ただよう甘いかおり、女王は目をとじ――かわりに鼻をおおきくふくらませてすうっと吸った。


「そうねえ、困ったことだらけ。島の子たちもそうだった」

 にぎやかにもんくをぴいぴいさえずって、でも思いだすのはいつだってあの子たちの咲顔えがお。太陽のにおいがあふれていた。極北の籠の鳥の女王さまより、かれらはずっと幸せなのかもね。


 季節をだまして咲かせた花は、冬の花壇にそこだけあかくぽっと灯りをつけて、ちいさな女王をなぐさめた。

 ながい冬のはじまりの、ひとときの秘密の花。




(第一章「はじめてのおつかい」おわり。第二章「魔法つかいの弟子」につづく)


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