第6話 サンガを守るのは


 サンガはエㇽダのふたごの兄だ。魔女の家系に生まれたわりにはあんまり魔法はつかえなくって、一方エㇽダは村いちばんのつかい手なもんだから「生まれてくるとき魔力はぜんぶ妹にとられちゃったんだね」なんて口のわるいやつは言うけどそのかわり女の子みたいにきれいな顔してふるまいもだんぜんみやび。

 そんなサンガをむかしっからエㇽダは大好きで、たいせつにまもってきた。


「逃げてっ。そいつ強い――」

 いまもエㇽダはサンガをまもるのがいちばんだいじで、なによりさきにサンガを逃がそうとしたのに、影はよりにもよってサンガへ向かった。声かけたときにはすっかり手遅れ、おおきくふくらんだ影にサンガは囲まれていた。

 まわりをぐるっと見まわしたけれど、どこを向いても影、影、影。影のむこうにエㇽダのすがたがほんのり透けて見えて、ためしにうっかり手を伸ばしてみたらたちまちその手を影はからめとってしまった。しかも足までとられてもう動けない。

「サンガ!」

 悲鳴をあげるエㇽダだけれど、じつはひとの心配している場合じゃないんだな。こっちにも影から流れ出た靄が近づいていた。靄はつぎの瞬間つんと腰に触れそこからうえへとゆるゆるひろがって、おなかがぞわぞわした。なまあたたかい生命の脈動。


 喰われる?

 なかには人を喰う妖魔もある。だからちいさな子供だけで森の奥にはいってはいけないんだ。ずっとそういましめられて、それでもエㇽダは森の奥へ奥へと分け入るのがつねだった。女の子みたいなやさしい顔でやめておこうよって止めるサンガの手を引っぱって、ときにはティッカも引きつれて、朝の森の散歩はエㇽダのお気に入りの日課だったのだ。

 妖魔なんかあたしがやっつける。どんなやつが相手でもサンガは守ってあげるよ、心配しないで。ずっとそう思ってきた。

 そうだよこんなやつにサンガを喰わせるもんか、焼く、焼いてやるっ。火の玉を投げつけようとして、エㇽダは自分の手が自由をうばわれているといまさら気づいた。にらんださきの影は顔もないのに、でもたしかに邪悪にわらったような気がした。


「やめろおっ」

 動かないからだに業を煮やして思いっきり叫ぶと声が朝の森じゅうに響いた。手は動かなくても口は動くみたい。女の口をふさぐのってたぶんこの世でいちばんむずかしい。

「やめろよ、サンガになにすんのよ、離さないとひどいんだから! うそじゃないから、ぜったいぎったぎたにしてやるんだから、ばかばか、あんこら、離せってのにこの、きゃん、どこ触ってんのよばか、よおし見てろお、焼いてやるう、こらあ無視すんな、ばかあ、こいつ――」

 と口だけ元気にたたみかけた途中でエㇽダは言葉をうしなったのだった。とつぜんあらわれた女に目も心もうばわれて。


「森の魔女……」

 やっと出てきた言葉に、女はふり向いた。ひとがいまにも妖魔に喰われようってのに飼い犬がえさを食べるのを見まもるぐらいのおだやかな表情だ。

「たすけてあげようか?」

 なにをわざわざ聞くんだろ。あたしだったらなにか言うよりさきに妖魔をたおして、喰われそうな子をたすけだす。

「ひっこんでなさいよ、こんなのあたしが追っぱらってやるんだからっ」

 つい勢いで言ったけれどもほんとは勝てる気がまったくしない。黒い靄はますますエㇽダをべったりつつんで、まるで身動きできなかった。あたしがサンガをまもってあげなきゃいけないのに、魔法じゃあたしがだれよりつよいのに。魔女がわらった。とってもきれいな、生死をかけ妖魔に対峙している真っ最中なのについ見とれてしまう、でもいたずらでいじわるな笑み。

「そ? じゃ、健闘を祈るわ。じゃあね」

「待って」


 未練のかけらものこさず背を向けた魔女へたすけをもとめたのはサンガだ。妖魔の黒い影にとらわれた黒い髪と黒い瞳、少女みたいなあかい頬。ふりかえった魔女はめずらしい宝石でも鑑定するみたいに上から下からなんども視線を往き来させたすえにっこりわらった。

「きみは戦わないの?」

「ぼくが? だって、ぼくは――」

 そこで止まった言葉のつづきを魔女は待ったが、言いよどんだままサンガはだまってしまった。だまったサンガと魔女のまわりで森じゅうの獣も鳥も樹々も妖魔も、みんな息をひそめてなりゆきを見まもっている。

「……いいわ、たすけてあげる」

 魔女が沈黙を破ると森じゅうがほっと息をついて空気がゆるんだ。



 エㇽダをとらえる靄だけがきゅっと身をちぢめた。ちいさくなって、色が濃くなって、さっきまでゆるゆるとエㇽダを撫でていたのがいまは動きを止めてかたくなっている。

 こいつ、警戒してる?

 それまでかよわい獲物をもてあそんでいたのが、つよい敵があらわれたのを感じて全身総毛起そうけだてるみたいに。おそれて、しおれて、ふるえて、それなのに――敵意がものすごい。


「はなしなさい」

 しずかに魔女は言った。すきとおった声で。

 びくっと影はふるえて、エㇽダをいましめていた靄がほどけた。お、手が動く。足があがる、これなら魔法も出せるぞよおし見てろよ妖魔のやつ。からだをぺたぺた触ってたしかめるエㇽダに、また声がとどいた。

「はやく。私がやさしいうちにね」


 ぜんぜんやさしくないよと、森じゅうのものたちみんなが思ったろうね。魔力たっぷりの冷気で魔女のまわりの空気の色が変わっていた。ぴりぴりに冷えきった空気はエㇽダにとどくほどあふれ出ていてこのままほっといたら常夏の森の生きとし生けるものすべてを凍らせてしまいそう。

 魔女の目が向けられたさきでは強情張ってサンガをかかえたままの影がますます黒い色を濃くさせて、一歩もひかない構えだ。さっきまでエㇽダをつつんでいた靄はこっちに合流したらしい。


「そう。わるい子だこと」

 むしろ魔女はたのしげに見えた。なのに森じゅうの樹々が息をのんでまた急に空気が張りつめた。鳥のはばたきも、獣たちの啼き声も腐葉土の奥の底まで吸いこまれて森いったいがんとなった。

 凍りついた空気にまっさきに堪えられなくなったのはエㇽダだ。じりじりして、たまらず動きかけて――と、影は急にサンガを放して、一瞬で槍のかたちをとり魔女の胸めがけて、ひゅんっと。

「あ」

 エㇽダとサンガが同時に声をあげた。

 ふたりの見まもるさきで真っ黒な槍が、魔女の胸をつらぬいていたのだ。


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