第5話 花と魔女


 がさがさ生垣がざわついたのをあれっとよく見なおしたらそれは花びら。いくつもの花たちがてんでにさやさや動かす花びらだった。


「あら、あんたたちがお客さま?」いちばんうえに咲くうすむらさきの花が言った。

「やっと来たのね」そのしたの赤い花が言った。

「待ちくたびれちゃったわ」となりの赤白まだらの花。

「もう来ないかと思ってたのよ」と赤むらさき。

「来ないなら来ないでもよかったんだけどね」すました声のこいむらさき色。


 相手の返事も待たずに口々にぎやか、女三人寄ればかしましいなんていうけど花がみっつ寄ってもやっぱりかしましい。

「はやく通してよ、ばか魔女。でなきゃみんな焼いてやるから」


「せっかちねえ」

「あたし魔女じゃないわよ、見てわかんないかなおばかさん」

「おばかさんに焼かれるほどまぬけじゃないわ」

「でもゆるしてあげるわ、ご主人さまがたいせつなお客さまだって言ってたから」

「ちょっと待ってなさい」

 そう言ってすこしだけ黙るとほとんど待つ間もなく人ひとり通れる幅だけ生垣がひらいて、花々がふたたびにぎやかに言った。


「さあどうぞ」

「ご主人さまが、お通ししなさいって」

「さっさと入りなさい」

「とっとと入りなさい」

「ふたりそろって入りなさい」

「のろのろしてないで入りなさい」

「さあ入りなさいったら」


「うるっさいなあっ。ちょっと黙ってててよ。黙んなかったらあんたら片っぱしから摘んで散らしてやるからねっ」

 まだまだいさかいがつづきそうなのを止めるのはまたしてもティッカの役目だ。ほんとにご苦労さま。

「いつまでも花とけんかしてんじゃねえよ。サンガが心配だったんじゃねえのか?」

「あ」

 いけね、そうだった、って顔するエㇽダの手を引っぱってふたりで生垣を通ると、すぐまた生垣はをとじふたたび結界を守った。

 花は生垣の内側にもあらわれて、口々にはやしたてるあたりこりゃきっとみんな口から生まれたにちがいないぜ、っていうかそもそも花とは唇と同類のいきものなのだ。

「さ、行きなさい」

「ご主人さまは家のなか」

「粗相をしちゃだめよ」

「粗相しちゃいそうよね、この子」

「あー心配」

「なんだとおっ、やっぱり焼いて――」

 指から炎を出してふりかえったエㇽダは、そこで言葉も動きも止めてしまった。生垣の花のまえにはいつの間にか長身の女が立っていたのだ。まるで花のひとつが化身したように忽然と。


「私の花をいじめないで」

 しずかに言う女はほとんど真っ黒といってもいいぐらいの濃い紺色の服を着ていた。まっしろな肌のほそい顔。紅い瞳は宝石のようにふかく澄んで、この世のものではないみたい。きっとその目に映っているのもどこかべつの世界だ。

「ど、どっからあらわれたのよあんた?」

 魔女の紅い唇がふっとひらいた。花たちはうっとりと主人に見とれた。花の香りはいっそう甘くなって、エㇽダもティッカもいまにも酔ってしまいそう。


 それにしても魔女のかっこうはいつ見たって変だと思う。くるぶしまでとどくながいスカート。この暑いのに、くろい袖はゆったり手首までつつんで、紺色の襟は喉をすっかりかくして、おおきなとんがり帽子の下にはふわふわの髪をためこんで。



 そしてそれは今朝はやく、ふたり手をつないで歩いていたエㇽダとサンガが森のなかで魔女に出くわしてしまったときとおんなじかっこうだった。

 そのときふたりは魔女にたすけられたんだかおそわれたんだか、たぶんおそわれたっていうのが正しいのかもしれないけれどでもそうとも言いきれない気もして、けっきょくのところ――どうなんだろう。



 ともかくはじめにふたりをおそったのが森の妖魔だってところはまちがいない。

 かつて人だったものや獣だったものや、はたまた生まれたときから妖魔だったものや、いろんな妖魔が森のなかにはたくさん住んでて、罪ないいたずらで人をおどろかしたり傷つけたり、ときには憑り殺してしまったりもする。そんな妖魔はもちろん人びとから忌みきらわれて、森で会いたくないものランキング総合一位に燦然とかがやいている。


 森じゅうが霧につつまれた早朝は逢魔が刻。警戒するのがふつうのところをエㇽダときたら、朝露にあつまるウラルリ蝶をさがしながら鼻歌をうたってまったく油断していた。霧にまぎれてなにものかが近づいていたのに、エㇽダもサンガも気がつかなかった。

 身をつらぬく冷気が背中をなでて、はっとふりかえったときには目のまえにまっくろな影が立っていたのだった。無数のまっくろな羽虫があつまった群体のように、手ごたえが不確かな影だった。ただ人の悲鳴を聞きたいがためだけに気まぐれに命をちぎってすてる、つめたい悪意でいっぱいになった黒い影だった。


 やばいっ。

 思った瞬間あとずさって、両手からありったけの炎を吐き出してそいつを焼き尽くした。焼き尽くすはずだったのに――そいつは燃える劫火をまったく気にせず、エㇽダにかまいもしないで、ゆっくりサンガに近づいた。


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