第4話 舟が目指すは魔女の家


「だいたいさあ。みんなあの魔女こわいくせして、なのになんで魔女が通るとわざわざ見に行くわけ? スンガテなんか、こないだよそ見して魚とりにがしちゃったんだよ?」

「あー、それ、おれの兄ちゃんも以前まえやった」

「やっらしい! あいつら、きらい」

 舟の舳先へさきではさっきからしきりに魚が跳ねている。頭上では派手な色した極楽鳥がうしろをついてきている。頼んでもないのに水先案内と旗持ちを気どる動物たちでむだに舟旅はにぎやかだ。


「おまえ、なんか魔法つかってない?」

「つかってないよ」即答して、したあと唇にゆびさきをあてた。「つかってない、と、思うんだけどなあ……わかんない、もしかしたら知らないうち魔力がもれてたかも」

「気をつけろよ、おまえまた魔力つよくなっただろ。やっぱ成長期なんだよ。もう村いちばんなんじゃねえか?」

 心も成長してくれよ、とため息ついてまた櫂に力を入れた。泥の川は手ごたえたっぷりだ。重労働だけれどそのぐらいがちょうどいい、気がまぎれてそのあいだはエㇽダのことで悩むのを忘れられるから。

「ふむ。でもあの魔女にはかなわないんだろなあ」

 自分で言ってむかっとなって、エㇽダはせまい舟にからだを倒した。もわっと靄をまとった太陽が真うえにぎらぎら見える。

「あ! まさかサンガまであの魔女が好きってことないよね?」

 いま横になったばかりなのにまたすぐからだを起こしてまったくせわしないったら、そんでなさけない表情になってティッカをすがり見た。泣きたいのはこっちだよとティッカは思うのだ。ちぇっ。サンガのことばっか心配してんじゃねえや。

「だったらやだなあ。サンガはそんなことないと思うんだけどなあ。でもでも、やっぱりサンガも男の子だしなあ……」

「おれは魔女なんか好きじゃねえけど」

 とぼそっと言うのに耳をかさないエㇽダは、「あーやだやだ。サンガだけはそんなことないよね」ティッカに話しかけるっていうより自分に言いきかせるためにぶつぶつ言って、あげくに「あーくっそお」と意味なく天にむかって悪態ついた。


 おかげでティッカの言葉は行くさき知れずの拾う者なしだ。と思っていたら気まぐれに、

「ん? さっきなんか言いかけた?」

「…………なんでもねえよ」

「あっそ」

 そんで屈託なくわらうのだ。ごろんといさぎよくまた仰向けになって鼻歌をうたいだしたその顔を、靄をうちはらった太陽が照らしていた。こんがり日やけした素顔は陽のひかりを照りかえして、まだどれだけやけようとかまわないってみたいにごきげんな鼻歌がティッカの耳にもうららかに聞こえた。


 ジャングルの樹々のそこらじゅうから猛烈に水けむりがあがっている。

 さっきあれほど気前よく雨を地上へ与えた天はいまさら惜しくなったのか、水をかえせとさかんに太陽が責めたてていた。森からあがる大量の水蒸気はみるみる巨大な雲へとそだって空を占めた。雲のやつどうせすぐまたこらえきれなくなって雨を降らすにきまってる。


 舟はおもたげな水を左右に切りわけて川上へとすすんでいく。櫂をこぐのはティッカの仕事で、エㇽダはうたうのが仕事だった。エㇽダの歌声に森の動物たちが応えてさわぎ、森の樹々はしだいに密度を増して舟が過ぎる川をうえから蔽った。どこかとおくから鳥と猿の啼く声が聞こえてこっちおいでよっていたずらに誘うけれど耳をかしちゃいけない。さっきまでふたりをこっぴどくやいていた太陽はいまは幾重もの枝葉にさえぎられて、すっかり遠慮がちになった木もれ日がふたりの肌に影をつくっていた。

 少女の歌へのごほうびみたいに森はときおり花びらを降らせた。くちびるに花びらが触れるのを、目をほそめてエㇽダがつまみあげた。花になりたい、エㇽダが愛おしむ花に。心にふっとうかんだ考えにうっわ恥ずかしいこりゃだれにも言えねえぞ、とあわててティッカは永遠に秘密にしようときめた。



 川を二時間ばかりも遡上さかのぼって急に頭上の樹の枝がまばらになったと思ったら、そのさき陽のひかりがさすなかに魔女の家の屋根がうかんでいた。

 うたい飽いたのか、もうエㇽダはうたっていなかった。


 男たちは魔女が気になってしかたない。そうエㇽダが言うのはまちがいではないけれど、実際には男たちが魔女に近づくことはほとんどなかった。

 島に七つあるどの部族の家ともまったく造りの異なる魔女の家はそれだけでもうあやしくって、迷信ぶかい村の者たちは生垣のむこうの庭には踏みこめないでいるのだった。


 その点エㇽダって子はどこかねじが吹っとんでいるのかまったく物怖じしない。いまも及び腰のティッカをうしろに従えずんずん進んでいく。ところが勇ましく魔女の家へと向かってさあ乗り込んでやれってところで――胸まである高い生垣に通せんぼされてしまった。

 目のまえに立ちはだかる生垣は見たこともないぎざぎざの葉に、見たことのない赤むらさきの花をぽんぽんといくつも咲かせている。そして困ったことに生垣は、魔女の家のまわりをぐるっと囲んで切れ目がない。一周まわってそれをたしかめたティッカが

「通れないな」

 と言うと、エㇽダの方は胸のまえで腕を組んでふんっと鼻を鳴らした。

「なんか魔法かけてるみたい。来いって言っておいて、失礼なやつ」

 生垣のむこうの魔女の家は、扉も窓もひらく気配がない。


「もういい。火!」

 癇癪おこしてエㇽダが言うと、あげた右のてのひらのうえに炎が、ぼんっ! とあらわれた。そのまま生垣に火を放とうとするのをうしろから止めるティッカはけなげな苦労人だ。

「おい、だれもいねえのか? おれたちに用があるって呼び出したんだろ?」


 すると――生垣に咲いた二三十もの花がいっせいに動きだした。あまい毒がまわりに匂った。


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