第一章 はじめてのおつかい

第2話 ちいさな魔女


 川のむこうではおおつぶの雨がぼっこぼこに土をたたきのめしていた。


 ちいさな魔女のエㇽダは雨からにげることをうっかりわすれてぼおっと河原をながめている。河原の砂はつぎつぎ模様を変える。あんなに砂があなぼこだらけになるのにあたしのからだはどんだけ雨にうたれたって穴があいたり溶けたりなんてことはないんだな。

 なんとはなしにふしぎに思ってぼおっと雨のまんなかにつっ立っていた。世界には雨でこわれるものと、こわれないもののふたつの種類があるみたい。あ、それどころか雨を滋養にしておっきく育つものもあるからみっつか。ふしぎ。世界はふしぎでおもしろい。


 ひろい河原には雨をしのぐ木ひとつ見あたらなくってそれにそもそもエㇽダは雨やどりしようなんて考えもなかったからひたすら雨にうたれっぱなしだったけれど、やっぱり溶けてなくなる心配はいらなさそうだった。雨は攻撃をやめないで、とばっちりをうけた河原の砂と石とはかわいそうに、さんざんうちのめされていた。


 なのに川ひとつへだてたこちらがわでは頭上ゆたかにそだった樹々とつたとが、朝のどしゃぶりをやわらかくきとめていた。はるか上方ではさかんに枝をひろげて陽光をうばいあう熾烈な争いをくりひろげている大樹たちも、地上では老賢者のようなふるび節くれだった幹に着生の蘭や苔や草やをまとって、密林のいとけないいきものたちに快適なすみかを提供している。下草がひかえめにいろどる地上は、枝葉がつくったドームにまもられた幼生たちの揺籃ゆりかごだ。


 そんなみどりの揺籃の世界を、ほとんどはだかに近いかっこうで少年が飛ぶように駆けていた。少年といってもよく見ればもうすぐ青年へと羽化しようってまえの伸びやかな、初々しくかがやくからだは目にもまぶしい。ティッカは十五歳になったばかり。そのからだは大人のものでも子供のものでもない、あやうい均衡のうえに立って奇蹟みたいな刹那のかがやきを放っているけど本人はそんなこと気づいちゃいないし頓着しない。


 まったく、世話かけさせやがって。

 胸のなかでののしった、でもそんな言葉とはうらはらにティッカの表情は晴れやかだ。待ち合わせの河原へはやくはやくと心がくまま駆ける駆ける、そのうちほんとに飛んでしまいそうだ。幼馴染のむちゃな冒険につきあわされるとき出発の地はむかしっからいつもそこだった。

 おれも飛べればいいんだけどな。でもおれは魔女じゃねえから、エㇽダみたいにはいかねえや。


 エㇽダの名を思いうかべたと同時にジャングルの視界がひらけて、川と川むこうの世界が目に飛びこんできた、川むこうにはぼんやりと立つ人影、声かけようと息をすったらあちらも気づいてぶんぶんおおきく手を振った。どしゃぶりの雨がけぶるおかげで姿はおぼろげにしか見えないけれど、対岸からとどいたやたら元気な声はエㇽダのものだ。声を聞くまえに少年は川に跳びこんでいた。だってはやくエㇽダの顔を見たいだろ? うかれてねた水のしぶきはつめたい雨粒たちと混ざりあったあとすぐまた悠久のぬくもりをたたえる川へと迎え入れられた。

 底の見えない泥の川ではところどころワニが目だけを水のうえに出して獲物を待っている。そのあいだをちょいとごめんよとおおきく水を掻いて少年は難なく泳ぎきった。川からあがるとくったり髪を濡らした水はあとからあとから額を伝うが気にしない、どうせスコールのまっただなかにいれば川のなかもそともたいていおんなじずぶ濡れ三昧。それよりエㇽダが駆けてくる、ほらいっさんに、それでがばっと手をつかんでまっすぐな目で見るんだ。


「聞いた?」

「聞いた。舟つかう許しもとった」

「ありがと! こんなとき頼りになんのはやっぱティッカだけだな」

「魔女のご指名ってんならしかたねえや」


 魔女というのはエㇽダではなくて、森にすむ白い魔女のこと。十五年ばかりまえにとつぜんやってきて、以来ひとりで森の奥に住んでいる。かのじょのつくる薬はてきめんに効いたから島のみんなは得体の知れない魔女をおそれて遠巻きにしながらその力を認めてもいた。


 しかたねえなんて言い方しながらティッカはじつは、エㇽダに頼りにされてちょっとうれしかったりするんだな。さいきんずっとそうなのだ。なぜかまともに目を合わせるのが気はずかしい、なのに気づけば目はかのじょを追って、声がかかると胸がはずむ。

 今日もエㇽダがまぶしい。目を向けるとたっぷり雨をすって透けたシャツからやせたからだの線がうくのにどきっとしてしまう、妙に悩ましくなる、それをあわてて押さえこんでティッカはぶるぶるっとからだをふるわせた。

 ほんの一か月前まではこんなことなかった。むりやりエㇽダから視線をひっぱがして小降りになってきた空をにらみながらティッカは思った。なんだか調子がおかしいぞ。


「いちばんの親友を連れてこいって」

 うわのそらのところへ声がしたからエㇽダへいっしゅん目をやって、からだの線にまたどきっとして、あわてて少女の頭のてっぺんまで視線をあげてもう下は見ないぞって一大決心だけどじつは見たくてたまらなくって心はぐらぐらだ。そんな動揺を感づかれないよう言葉も態度も乱暴になるのはいたしかたない、男の子ってそおゆうものだ。

「親友? よせよ、あいつほっとくと危なっかしいからめんどう見てるだけだ」

「またそんなつよがり言ってえ。うそだね、うそうそ」

 快活にエㇽダがわらうと太陽みたいにまぶしくって見ていられやしない。くっそお、やっぱり調子がおかしいぞ。


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