第8話:化け物と呼ばれて
「おや……あれは……」
「ん。何?知り合いでも見つけた?」
麗人の視線の先には、屋台でをチョコバナナを買う一人の少年の姿。少年は麗人に気付くと、人懐っこい笑みを浮かべて近寄ってきた。
「麗人さんみっけー」
「
少年の名は
「君が一条くんの弟か。初めまして、安藤和希です」
和希が名乗ると、柚樹は目の色を変えた。
「へぇ。あなたが安藤和希」
「ん。俺のこと知ってるの?」
「家でその名前を聞かない日は無いですよ。兄のプライドを傷つけた天才さん」
「別に俺は天才じゃないよ」
「天下の蒼明高校でトップを走り続けてる人に言われても説得力無いですよ。けど良かった。俺、あなたに会いに来たんです」
「俺に?」
「そう。あなたにお願いがあってきたんです」
「お願いって?」
「どうかそのまま、兄から逃げ切ってください。そして、兄に思い知らせてやってほしいんです。一人でできることには限界があると。このまま一人で頑張り続けていたら兄はいずれ壊れてしまう。だからどうか、兄を助けてください」
お願いします。と柚樹は和希に頭を下げた。それを見て、麗人は目を丸くする。
「意外だな。君は兄のことを嫌っていると思ったが」
「……嫌いですよ。兄だけでなく、あの家自体が。俺の家族は
顔を上げないまま、柚樹は言う。腰の横で作られた拳は微かに震えていた。
「俺は別に順位とか気にしてなかったけど……弟くんにそこまで言われちゃったら負けるわけにはいかないね」
「うむ。私も頑張らねばならんな」
「そうだよ。俺より君が頑張りなよ。俺に追いつけないこと以上に君に追い越される方がダメージデカいでしょ。いつになったら超えられるの?」
和希に煽られ、悔しそうに唇を噛み締める麗人。
「次こそは超えてみせる!」
「ははっ。その台詞聞くの何回目だろうね。俺の山張りノート見る?」
「山張りノート?」
和希は教師の癖などから、テストがあるたびに担当教師が出しそうな問題を分析して山を張ってノートにまとめていた。とはいえそれは勉強する範囲を絞って賭けに出るためではなく、ただの趣味だった。的中率は教科にもよるが、80%ほど。
「……君、そんなもの作っていたのか」
「人には見せてないよ。見せたらみんなそこしか勉強しなくなっちゃうからね」
「なら私にも見せないでくれ。それを頼って彼に勝てても実力で勝ったことにはならない」
「そう言うと思った。ごめんね。言ってみただけだよ。次も頑張ろうね」
「うむ」
「……和希さんって変な人ですね。趣味で山張りするって。暇なんですか?」
「和希は勉強が好きすぎて先に進み過ぎてしまっているからな」
「あー……なるほど。勉強が苦にならないってことですか。そりゃ兄が勝てないわけだ。あの人には学ぶことを楽しむ余裕なんてないですからね。あの人はただ、父の期待に応えることに必死なだけ」
「……私は、君の方が人の前に立つにふさわしいと思うがね」
「よしてください。俺はあんなクソ親父の手垢まみれの会社なんて要りませんよ。……それに俺は、人の心が分からない化け物です。誰も俺の後ろなんかついてきませんよ」
笑顔で自分を否定する言葉を吐く柚樹。和希はその笑顔に、麗人に話した同性愛者の知り合いの笑顔を重ねた。
「そんなことはない。和希だって一部からは化け物扱いされているが、彼を慕っている人は多いぞ」
「和希さんが?」
「俺も人の心なんてわからないからね」
「私も人の心は分からん。分かる人だけが人間を名乗る権利があるというのなら、世の中のほとんどは人の形をした化け物だな」
「うんうん。人には個性があるからね。理解出来ない一面があるのは仕方ないことだと思う。けど俺は、そこが人の面白いところだと思うんだ。理解出来ないから否定から入るのはすごく勿体無いことだと思う。自分の理解出来ない思想を持つ人からしか学べないことは多いから。あ、もちろん、殺人欲とか、被虐欲みたいな非人道的なものは別としてね。流石の俺も、全ての思想を個性として肯定するわけじゃない」
和希の考えを聞いて、柚樹は確信する。彼なら兄を孤独から救えると。
「……あなたに会えてよかった。兄のこと、よろしくお願いします」
お礼を言って去ろうとする柚樹。和希は彼を呼び止めてこう声をかけた。
「少し話しただけで何が分かるんだって言われるかもしれないけど、君は決して化け物なんかじゃないと思う。俺たちと同じ人間だと思う。人の心がない化け物なら、お兄さんの心配なんてしないよ」
と。柚樹は一瞬立ち止まったが、振り返らずに、何も言わずにそのまま歩き始めた。
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