第5話:正しいのは誰なのか

 ある日のこと、和希は一つ上の女子生徒に呼び出された。

 彼女の名前は姫宮ひめみや美羽みう。彼女は蒼明高校のマドンナ的存在で、男子達の憧れの的だった。

 美羽は和希に恋人になってほしいと願い出たが、彼はそれをあっさり断った。好きでもない人と付き合えないという理由で。


「はぁ!?あいつ、フッたのかよ!姫宮さんを!」


「あり得ないだろ」


 それをきっかけに、彼は男にしか興味が無いのではないかという噂が流れ始め、一部の男子は自分まで勘違いされたく無いからと彼から離れ始めた。しかし、麗人は変わらず彼の友人であり続けた。


「全く。薄情者ばかりだな」


「麗人は気にならない?」


「言いたい奴には言わせておけば良い。私はそんな噂に屈している暇はないからな。それに……私は思うのだ。同性愛は決して悪いことではないと」


「お父さんは同性婚に対して肯定的だもんね。俺、応援してるよ。財前議員のこと」


「あぁ、ありがとう」


「……中学生の頃も同じ噂が流れてさ。俺のこと庇う子達はみんな大体『そんなわけないじゃん』って言うんだ。……けどさ、俺はゲイじゃないなんて一言も言って無いんだよね」


 和希の呟きを聞いて、麗人は思わず手を止めて彼を見た。そして周りに人がいないことを確認してから、小声で噂の真相を問う。和希は「違うよ」とはっきりと否定した。


「ただね、知り合いの女の子が同性愛者なんだ。だからさ……俺が否定するより先にそんなわけないって決めつけられると、悲しくなるんだ。彼女の存在を否定されてるみたいで」


「……そうか」


「うん。……俺が教師になろうと思ったのも、彼女がきっかけなんだ。同性を好きになったり、性別に違和感を覚えたり、恋が分からないことで悩んだりする子供たちに教えてあげたい。それはおかしなことではないんだよって。それが間違いだと思い込んだまま大人になる人間を一人でも減らしたいんだ。俺が親になる頃には、自分の子供がそんなことで悩まなくていい時代になっていてほしい」


「……君は、良い教師になりそうだな」


「そう言ってもらえると嬉しいよ」


 放課後の教室で交わされた二人の会話を、廊下で盗み聞きしていた人物が居た。一条杏介だ。


「一条。どうした?こんなところで」


 そこにたまたま杏介の担任が通りかかり、声をかけられた杏介は慌てて壁から離れる。


「……先生。……安藤和希がカンニングをしているという噂はご存知ですか」


「あぁ、まぁでもそんな噂鵜呑みにしてやる教師はいないよ。あいつのことを知れば分かる。授業態度も真面目だし、カンニングするような人間じゃない。流石に、中間も期末も全教科満点は驚いたけどな。例えこのまま三年間のテスト全てで満点を取る快挙を成し遂げたとしても、俺は絶対、不正は無いと信じるよ。あいつならできるかもしれない。それくらい、すげぇ奴だと思ってる」


「……そうですか」


「……安藤と仲良くなりたいなら話しかけてみれば?そんなストーカーみたいなことしてないでさ」


「ストーカー!?人聞きの悪いことをおっしゃらないでいただきたい!俺はあいつと馴れ合う気はありません!」


「素直じゃねぇなぁ……めちゃくちゃ意識してるくせに」


「意識してなんて——」


 カラカラと教室のドアが開く。杏介は咄嗟に、男子トイレに逃げ込んだ。


『同性を好きになったり、性別に違和感を覚えたり、恋が分からないことで悩んだりする子供たちに教えてあげたい。それはおかしなことではないんだよって。それが間違いだと思い込んだまま大人になる人間を一人でも減らしたいんだ。俺が親になる頃には、自分の子供がそんなことで悩まなくていい時代になっていてほしい』


 杏介の脳裏に和希の言葉が響く。

 杏介には弟と妹が居る。会話はほとんど無く、決して兄弟仲が良いわけではない。父の期待に応えるために勉強漬けの杏介には、妹と弟のことを気にかけている余裕などなかったはずだった。

 しかし先日、たまたま妹が同性と付き合っていたことを知った。杏介はそれを聞いて、我が家の恥だと思った。同性を愛するなど間違っていると、父からはそう教わっていた。それが正しいと信じて疑わなかった。

 しかし、母親が妹と恋人を別れさせた日、妹の部屋から絶えず聞こえてきた啜り泣く声が、あの日からずっと、杏介の脳裏に焼き付いていた。ずっと、思い出さないようにしていた。母のしたことに疑問を持てば、同性愛を愛した妹を肯定すれば、尊敬する父を否定することに繋がってしまうから。


「……余計なことを考えるな。一条杏介」


 考えるべきは、どうしたら安藤和希を超えられるか。どうしたらもう一度頂点に返り咲けるのか。それだけのはずだと、杏介は何度も自分に言い聞かせた。

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