第4話:動じない男

 二学期に入ってすぐのこと。和希が教室に入ると、自分の席の前に人だかりができていた。


「あ。安藤くん……」


「どうかした?」


 和希の目に飛び込んできたのは、目を覆いたくなるような暴言が書き殴られた自分の机だった。部活の朝練のために登校した時はまだ無かったものだった。


「誰がこんな酷いことを!」


「きっと犯人はあいつだよ」


「あいつ?」


「一条杏介。あいつ、安藤くんのこと嫌ってたでしょう」


 誰もが真っ先に杏介を疑った。しかし、麗人が即座に否定する。「彼はこんなつまらないことをする男ではない」と強めに。


「俺も別に彼が犯人だとは思ってないよ。俺のこと嫌ってる人なんてたくさん居るからね。一条くんに限らず。謂れのない悪い噂を流されることには慣れているけど……流石にこれは初めてだな。驚いたよ。名門と呼ばれるこの学校にもこんなつまらないことする馬鹿がいるんだね。蒼明高校の恥だね」


 他人事のように和希は言う。いつも通りの穏やかな口調ながらも、その顔にいつものような笑顔はなく、苛ついているのは明らかだった。


「麗人、気をつけてね。いずれは俺と仲のいい人が狙われるだろうから。それまでに犯人捕まえるつもりだけど、俺は嫌われてるからね、一人捕まえたところで新しい犯人が出てこないとも限らない」


「あ、あぁ……」


「捕まえるって、捕まえてどうする気だ?」


 クラスメイトの問いに和希は「どうしようね」と悩むフリをする。その隙に、一人の男子生徒が教室を抜け出した。落書きをした犯人だった。彼は、冷静すぎる和希を見て、自分がやったことがバレているのでは無いか、復讐されるのではないかと恐怖を覚えていた。


「どうした田中。顔色が悪いが大丈夫か?」


 通りかかった担任が心配そうに彼の顔を覗き込む。彼は大丈夫ですと震える声で答えて、後ろの扉から教室に戻った。

 担任も前の扉から教室に入る。


「あ、先生、おはようございます」


「あぁ、おはよう。……って、おい。どうしたんだその机」


「朝練から帰ったら落書きされてて。消す前に、先生にも現物見せた方が良いかと思って残してました」


「何故すぐに報告に来なかった!?」


「すみません。もう来るだろうから待っていれば良いかと思って」


「……やけに冷静だな。お前」


「嫌われるのは慣れていますから。流石に机に死ねと書かれたのは初めてですけどね。先生、アルコール借りれますか」


「あぁ、すぐに持ってくる。待ってろ」


「お願いします。あぁ、それと、犯人の目星はついているので、自分でなんとかします。どうかこの件は大事おおごとにせず、ここだけのことにしておいてもらえませんか」


「えっ。いや、しかし……」


「こんな落書き、消せば済む話です。大事おおごとにせず、穏便に済ませたいんです。大事おおごとになれば犯人も謝罪しづらくなりますし、犯人探しが始まって関係ない人まで巻き込んでしまう。こんなくだらない事件に巻き込まれるなんて、俺だったら嫌ですよ。そんな無駄な時間を作るくらいなら勉強したいです」


 犯人の目星がついているというのはハッタリだった。しかし、和希は信じていた。犯人がクラスメイトの中の誰かであれば、いずれ罪悪感に耐えきれなくなり自分から謝罪しに来ると。他クラスの人間であったとしても、自身の心の醜悪さを晒しているだけの惨めな行為だと分かれば二度とやらないだろうと。和希の読み通り、田中はその日の放課後に自ら和希に謝罪をした。

 嫌がらせは一度切りで終わったが、噂は収束することなく続いた。

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