『涼宮ハルヒの憂鬱』を読んで―「非日常」はいつもそばに

成程寝

「非日常」はいつもそばに

 高校生の主人公キョンは同じクラスの「涼宮ハルヒ」という女子生徒に目を付けられ、彼女の作った「宇宙人や未来人や超能力者を探し出して一緒に遊ぶ部」であるSOS団に入団することになる。しかも、ハルヒは潜在した特殊能力によって、知らずのうちに宇宙人の長門有希、未来人の朝比奈みくる、超能力者の古泉一樹をそれぞれ団に引き入れ、ハルヒと愉快な仲間たちは非日常を求めて活動を始める。


 「サンタクロースをいつまで信じていたか~最初から信じてなどいなかった」

 キョンはサンタが虚構の存在であることに最初から気づいていた。一方、誠に凡庸な小児だったこの僕は、逆に言えば少々幼稚なことにだいたい8歳くらいまでは信じていたかと思う。しかし、サンタや超能力者のような、まさしく夢物語の登場人物が存在するはずがない、ということを理解していながらも「やっぱりいたらいいな~」といい年頃になってもなお、いや年を重ねることでむしろ強固にその希望的観測を続けてやまないのは、キョンも僕も、そしてハルヒも同じだった。


 『憂鬱』の終盤で、キョンはハルヒとともに異空間となった学校へと閉じ込められてしまう。その空間はあまりに退屈な日常に対するハルヒのフラストレーションが爆発してしまったことに起因して出来た閉鎖空間で、つまりは「私の前に宇宙人や未来人が現れないのは何事か」という不満から特殊能力によって無意識的に作り出してしまった、いわばハルヒの引きこもり部屋なのだ。


 しかし、実際にはハルヒは「退屈な日常」ではなく「非常識な非日常」の中心にいた。長門は地球外生命体の手先として、みくるは未来人組織のしたっぱとして、古泉はハルヒを監視し暗躍する機関の人員として、それぞれハルヒを観察しており、律儀なことに順番にその素性をキョンへと明かしていた。唯一普通の人間であるキョンは、元の平凡な日々を壊されたと残念がりながらも、あるときはみくるとタイムトラベルし、またあるときは古泉たちとともに異空間での戦闘を経験するなど(全てハルヒが元凶である)、結局はハルヒを取り巻く非日常を謳歌していたのだ。


 だが、渦中のハルヒはそんな裏事情を知らないばかりか、変わらない退屈な日々への不満を募らせており、閉鎖空間を作り出してしまった。なぜなら、ハルヒは超常的な存在を望む一方で、「でも実際にはそんなのいるわけない」と常識的な思考で自ら存在を否定していたからだ。そのため、せっかく非日常を探すために団を設立したのにも関わらず、まさかその団員たちがそうとは夢にも思わなかったのだ。灯台下暗しとはこのことである。


 物語の終わり、つまらない日常には戻りたくないと拒絶するハルヒに対し、キョンは自分がここ数日の間に特別な体験をしていたこと、さらにハルヒを中心に世界は面白い方向に進んでいたのだと告げ、二人はなんとか現実世界へと帰る。


 退屈な日常にふと現れる非日常、それはキョンにとってSOS団の皆のことであり、「非日常」な存在であるSOS団の面々とともに「日常」を生きるのがこの作品の一貫したテーマである。そして、そんな非日常に気付くことが出来たことでハルヒは無事元の世界へ帰ることが出来た。では、単なる日常を変えるトリガーとなった非日常的な存在とは、読者である僕にとってはなんだったのだろうか。


 それは「涼宮ハルヒの憂鬱」や、その他の僕を取り巻く小説・アニメ・マンガ・ゲーム・映画などの創作物に他ならない。もちろん僕は各作品の世界に入ることはできない。しかし、僕は疑似体験的にそんな様々な世界を順に巡り、自分事のように感情を動かされ、そして実生活においても作品たちから受けた影響の下に生きている。


 それらの作品が、登場人物の一人ひとりが僕にとっての非日常的存在であり、僕にとってのSOS団メンバーなのだ。だから僕は、これからもそんな非日常たちとともにかけがえのない日常を謳歌したい。そして、機会があれば誰かの非日常として、誰かの仲間として、ハルヒたちに負けない楽しい日常を創っていきたいと思う。なんせ僕は幸運なことに、日常の中にある素晴らしい非日常に自ら気付くことが出来たのだから。

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『涼宮ハルヒの憂鬱』を読んで―「非日常」はいつもそばに 成程寝 @naruhodone2

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