第22話 壁内の状況

 季節はもうすぐ夏を迎え、だんだんと雨が多くなってくるこの時期。しかして未だに雨の一滴も降る様子が無いことから、今年は生活のための水が不足するかもしれないと言う考えがちらつく。


 空を見上げれば燦々と降り注ぐ陽光と雲一つない青空が広がり、鳥たちが縦横無尽に飛び回っているのが見える。そんな朝方の風景は、つい一週間と少し前にも見た光景とほとんど変わらない。違いがあるとすればラジオが聞けない事と、自分以外の人間が共に朝食の席に座って食事をしている事ぐらいだ。


 あれから2日。

 氷の壁を降りた俺たちは、すぐさま俺の自宅へと向かった。

 正直な話をすれば、俺はこの壁の向こうに連れて来た時点で同行した全員と別れるつもりだった。もっとも大事な安全という要素は確保したし、何より元々知り合いですらない他人同士なのだから、俺が世話をしてやる道理は無いと思っていたからだ。


 町役場に行けば家に帰れなくなった人達を緊急でホテルに集めるような対策が取られていると聞いている。であればその方が皆にとっても良いだろう。と、そう考えたのだが、大人はともかく子供達は流石に参ってしまっていて、見過ごすわけにはいかなかった。子供達を数日休ませることが決定すれば自ずと両親も付いて来るし、子供たちの要望で皆一緒がいいと言われれば拒むことは出来ない。


「スバル、ひまり、気分はどうだ?」

「あ、僕はもう大丈夫です」

「ひまりも怖いことも無いし、良くなったよ!」

「そうか、それは良かった。家にはいっぱいお菓子があるしアイスもある。どれでも好きなのを食べていいからな」

「「ありがとう金芝さん!」」


 朝食直ぐにお菓子やらアイスやらなんて本当は良くないんだろうが、上空さん夫婦は子供たちの好きにさせている。もちろん子供たちの喜ぶ姿を見たいと言う気持ちもあるのだと思うが、一番の要因は俺の好意を無下にしないためと言ったところだろうか。


「金芝君。貴重な食料をすまないね。私たちまでこんなにいただいてしまって」

「良いですよ。こういう事態に備えて結構備蓄してますから。あ、言っときますけどこれは内緒にしてくださいね。でないと役場の連中に取り上げられちゃうので」

「ああ、もちろん秘密にするよ。恩を仇で返すわけにはいかないしね。ところでこれからの事なんだが、この町は今は町役場が取り仕切ってるのかい?」

「そうみたいですね。県警と役場とそれから消防が連携して色々とやっているみたいです。一応これからについての説明会というのには参加したんですが、氷の壁を破壊しようとして失敗したとかそんな話しか聞いていないので、正直詳しい話は直接行って聞いてもらった方がいいと思います」

「そうか、それじゃあもし良かったら私たちが説明を聞きに行っている間子供たちを預かっておいてくれないだろうか。子供たちを役場に連れて行っても退屈だろうし」

「構いませんよ。その代わり鈴木さんや赤坂達も一緒に連れて行ってあげてください。いずれにせよ説明は聞いておいた方がいいと思うので」

「分かった。それじゃあ皆を連れて行ってくるよ。子供たちの事は頼むね」

「はい、お気を付けて」


 上空夫婦が赤坂達高校生組と鈴木さんを伴って出かけるのを見送ってから、子供達にはゲームのやり方や映画の見方を教えておく。こうしておけば退屈もしないし、気もまぎれるだろう。

 その間、俺は一人でダイニングのテーブルにつき、考えを巡らせた。思い出すのは2日前、俺が壁の向こうに行く直前までの壁内の出来事についてだ。


 壁が出来上がってから一週間、役場とK県警と消防は説明会で言っていた通り壁を破壊しようと試みたりした以外には特に大きな事を起こすことは無かった。

 氷の壁は破壊されてもある程度は自動で再生するように作っているし、厚さは最低でも一メートルはあるので簡単に壊されることもなく、結局は殆ど状況は何も変化無しという感じだったのだが、この二日間でどうやら何か進展があったらしい。


 近所に住んでいる太刀川さんの情報によると、どうも警察と消防から数名ずつ選出して海から壁の外に何人か派遣したというのだ。そう、俺は町をぐるりと囲むように氷で壁を作ってはいたが、海は漁業の関係もあって完全に囲うようにはしていなかった。つまり船さえあれば簡単に町の外に出ることが出来る。浅瀬からゾンビが入り込まないようにある程度は沖の方まで壁を伸ばしていたので、移動には結構時間が掛かるだろうことは間違いないのだが、選出したメンバーは1日経った今でも誰一人として帰って来てはいない。


 この町は左右で別々の町に挟まれている。正面は海、背後には山。両サイドには町、と言った感じだ。

 もし俺たちが居たT町の方に派遣された人間が来ていたのなら、俺が残してきた氷の残骸を目にしている可能性が高い。逆にU町の方に行ったのなら何も問題は無いが、果たしてどうなのか。その辺りは太刀川さんも知らないらしく、役場に行って聞いてみるしかなさそうだ。


「少し気になるな。調査隊はどうなったのか見に行ってみるか?」


 調査隊が帰って来ていないという事はトラブルにあったという事、そして帰ってこなかったことによって役場や警察、消防からまた人が送られる可能性は高い。何かドラマがありそうじゃないか? ゾンビ物やらホラー映画やらが好きな俺としては、そう言う人間ドラマ的な要素も見逃せない。恋愛要素もスパイスとしてあると尚良しだ。


 しかし、これを見に行くためには一つ障害がある。それは彼らがどちらに向かったのかを役場に聞きに行かなければならないという点だ。あそこには知り合いが勤めていて、そいつに捕まるとかなり面倒なことになる。話は長いし、喧しいし、何より俺の能力について知っている。必ずこの町を覆っている氷の壁について突っ込んで来るだろう。しかも見つけた瞬間大声で。


 役場ではなく警察所や消防所に行っても良いのだが、俺のような一般人に教えてくれるかどうかは分からない。忙しいのは間違いないし、今の状況からして民間人を尊重してくれるかどうかも怪しい。


「とは言え、役場に行くぐらいなら一度そっちに行ってみた方がいいよな。アイツに会いたくないし」


 こうしてここで考え始めてから早くも一時間が経とうとしている。上空夫婦と鈴木、それから高校生組が役場から帰って来るのは徒歩での移動も考えると恐らく後2、3時間後と言ったところだろうか。子供達は二人ともまだアニメ映画に夢中なので取り敢えずは放置で大丈夫。とは言え外には出れないので、家の中でなにかできることをしたいが……。


「二階から町の様子でも確認してみるか」


 スバルに一言言って二階に上がり、窓から外の様子を見てみる。特に何も変わった所は見受けられないが、一週間前よりは人通りは少なくなっているように感じる。車も一応走ってはいるが、ガソリンの備蓄がそれほど持つとも思えないので皆使わないようになってきているようだ。


「ん?」


 今一瞬、見覚えのある車が通った気がした。あの派手な黄色、いやな予感がする。


「いや、まさかな。今はそんな暇はないはずだ」


 ガチャリ


 おいおいおい、今玄関のドアが開く音が聞こえなかったか? まさかあの女が……? いや、早まるな。もしかしたら役場に行った連中の誰かが早めに帰って来ただけかもしれん。


「ひさめー! いないんですかー?」

「マズい! 脱出だ!」


 俺は目の前の窓を開けると勢いよく屋根の上に飛び出した。

 なぜ奴がこんな時間にここに来るんだ? 役場の仕事はどうした? 疑問は尽きないがこれだけは確かだ。奴がこんな感じで急に訪ねてきた時は、大体何か面倒なことを頼んでくる。


「子供達よ。すまないが映画とお菓子で皆が帰って来るまで繋いでくれ。俺はひとまず庭の倉庫にでも隠れさせてもらう。とうっ!」


 俺は勢いよく庭の花壇に向かって飛び降りた。ここは俺がいつも素晴らしい庭を見れるように手入れしているので、ふかふかの土が敷いてあって草花が多い。飛び降りてもケガもせず、足跡も目立たない。あとは近くの倉庫に行って中に隠れるだけだ。奴は今家の中を探しているはず。勝った!


「あら氷雨、いきなり目の前に落ちてくるなんてすごい偶然ですね!」


(なッ!? なにーーッッッ!?!?!?!)

 

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