L-6:: セレスの魔女
薄暗いところで目を覚ました。長い長い眠りから覚めたような感覚。ここは、どこだっけ。後頭部がひどく痛む。
夢、を見ていた気がする。長い夢。たくさんの夢。
最後に見ていた夢は、途中で終わってしまったような気がする。あの子は、無事にシェルターに辿り着いたのだろうか――
夢、そうだ、あれは夢だ。現実じゃない。現実はここ――
ここは、どこだ?
わたしは、あたりを見回す。
視界が暗く、視力が十分に回復していない。
それでも、これがあまりにも見慣れた光景であることは、すぐに分かった。わたしは、帰ってきていた。ここは、
でも、どうやって? これは本当に現実なのか?
わたしは、くじらにいたはずだ。
いや、違う。
気味の悪い少女を見たんだ。サファイアの瞳の、ブロンドの少女。それから、そうだ、エアロックから宇宙空間に投げ出されて――
それから、なんだっけ。よく思い出せない。
こめかみに、鈍い痛みが走る。
わたしは、どうやって、ここに帰ってきたんだ?
気が付けば、わたしは、小さな椅子の上に座っている。手も足も、磁気光学バンドか何かで縛られている。
そして、三人の人間がわたしを取り囲んでいた。
「ようやくお目覚め?」
〈コンパニオン〉たちだった。
わたしは、ふいに我に返る。視力はだいぶ回復している。
「あなたたち、これは何? どうなっているの? 早く、ほどきなさい!」
彼女たちは何も答えない。
明らかに、様子がおかしい。
ズキズキと痛むわたしの後頭部からは、血が流れているようだった。
そうだ、あのスキンヘッドが来た時から、何かがおかしかった。
やはり、こいつらは、わたしを裏切った。
すると、
わたしは、出来るだけ平静を装って、
「へぇ、面白い。自分が何してるか、分かってるの?」
と言い、
まずはその美しい足首を、吹き飛ばしてやる。
――アクセス拒否。
ドロイドにアクセスできない? わたしの権限がなくなっている。
「あなたには、
「そう。そういうことね」
ふいに、全身の力が抜けてしまった。
わたしは〈ウェブ〉にもアクセスできなくなっていた。
すべてが、後手だったんだ。
「で、どうやって、わたしを見つけたの?」
そう、投げやりに訊ねた。
「
と、
「そいつはもう、ご主人様ではないでしょう」
「あなたは、
わたしは、表情を変えない。
「本当はね、私達が組んでたのよ、ピサロ様とね。持ちかけたのは、私達の方」
お前たちが黒幕ってか。
「あなたにバレないように計画を進めるの、大変だったんだから。でも上手くいったのは、あなたがもともと私達に
「意外なほど上手くいったわ」
と、
「ピサロ様の取り巻きは、あなたを疎んでいたからね。売春宿の女主人ごときが大きな顔をしてって。それにピサロ様自身、あなたがいつか自分の脅威になると考えていた。実際あなたはきっと、もっと先を見ていたのでしょう。他の事業にも手を付けつつあったようだし、そもそもあなたの大きすぎる野心が売春稼業の成功だけで満たされるだなんて、ありえないんだから」
は、笑わせてくれる。
「とりあえずあなたは、皇帝陛下の寝室にまで私達を派遣しようとしていて、実際それは、あと一歩のところまで来ていた。さらにあわよくば、私達の誰かを陛下の側室にしようと企んでいたでしょう――まあそれは、うまくいくわけないと思うけど」
よくご存じのことで。
「そして、一方の私達はね、この仕事にうんざりしていたの」
「いくら私がこの美貌と教養でお金を稼いでも、いつもあなたが半分を持っていく。いくら私が偉い人たちを手懐けても、いつもあなただけが大きな顔をする。そんなの、とっても不公平でしょう?」
と、
「たしかにあなたは、私達にハーブを持たせてくれた。でも私にとってはね、ある主人が別の主人に変わったのと大差なかった。だって、もし私達が勝手にこの仕事をやめたり客と駆け落ちしたりして、稼ぎ頭を失ったあなたの不興を買おうものなら、何をされるか分かったもんじゃないわ。帝国にもピサロ様にも顔が利いて、しかも頭に血が上ると人を拷問して殺すような魔女を、敵に回そうものなら、ね。あなたはいつも寛大な素振りをしていたみたいだけど、決して私達を本当に自由にするつもりなんてなかったのでしょう?」
わたしは、答えない。
「だってあなたは、それだけお金を持っていながら、私達に自由市民権を買ってくれることはなかった――私達が自分で買うことは出来ないのに」
「ピサロのハーブさえあれば、ピサロの領域で誰かに所有されることはないわ」
わたしはそう言った。それは、単なる事実だった。すると
「ねえ、ご主人様。私が好き好んで、あなたのことを
そこにまた、
「だから私達はね、この
「それが、ピサロとお前たちの契約か」
つまりそれは、お前たちにとってのわたしが、これからは、他の女たちにとってのお前たちになる、ということだろう。そしてピサロがそれを自分の監視下に置く――わたしみたいに、増長しないように。
「そう。でも問題があった。あなたの――つまり私達の顧客には、帝国の要人もいたから。その情報をピサロ様に直接掴まれるのは、帝国としては避けたかった」
「はは。得意げに、誰にものを言ってるか分かってるの? そんな当然のこと、今更気が付いたの?」
わたしはそう口をはさんだが、しかしこのやけっぱちの挑発に
「でも、帝国にもほしいものがあった――あなたの〈
ペラペラと、よく話す女だ。
「でも、あなたは一応、有名人だからね。何の理由もなく拘束したら角が立つかもしれない。それで、適当な理由が必要だった。多少強引でもいいんだけど、とにかくピサロ様の領域の人たちも、帝国の連中も、両方が納得するような建前が――たとえば、自由市民権とハーブの両方を持っている、しかもそれなりに地位のある人間を、あなたが特に理由もなく殺すとか、ね。ついでに拷問でもしてくれたら最高。ああ、あの魔女の嗜虐趣味もついに一線を越えたか、なーんてみんなが思ってくれるでしょう」
あのスキンヘッドか。そこに
「ね、あなたは、あんなに懇意にしていたマーカスさえ迷うことなく殺してしまった。パーティ直後だったから
「ともかく、ひとつ問題があってね。そういう地位のある人間で、かつ実際に殺してもいい人というのは、あんまりいない。そこであのスキンヘッドさんの出番よ。高級官僚のくせに、流行の
ずいぶんと、手の込んだことだ。
「そしたら――これは偶然だったんだけど――スキンヘッドが自分から私達に絡んでくれたから、チャンスが来た。あのとき
ご苦労なことだ。
「でもちょっとした計算違いがあってね、あの男は思ったより理性を保っていて、私達が何かを企んでるって感づいていたみたい。それで、余計なことをベラベラ話し始めた」
「
と、
「そんな、私はちゃんとやったわ。でもあの人は身体が大きかったし、たぶん普通の人より耐性が――」
「ちょっと、やめてよ。誰のせいでもないでしょ」
と
「ええっと、とにかくね、結果としてスキンヘッドは思ったよりラリってなかった。しかも、口から出まかせとはいえ核心に近づくようなことを言い始めた。それで仕方ないから、ハックしておいたドロイドに撃たせた。まあいずれにせよ、男の死体から見つかるのはやっぱりあなたの
偶然やトラブルが適度に混ざっていたせいで、わたしはこの陰謀を見抜けなかったのか。いや、そうだとしても、言い訳にはならない。
「そうそう、あの部屋にあなたを閉じ込めたのはね、スキンヘッドが目を覚ますまでの時間稼ぎ。スキンヘッドがなかなか起きなくて、予想以上に時間がかかってしまったんだけど。それから帝国の連中があなたを拘束しにくるまで閉じ込めておく必要もあった。あなたを
「種明かしどうも」
わたしは無表情のまま続ける。
「ええと、つまり、要約するとこういうこと。今からわたしを、帝国に引き渡すってことね。〈
「ところが、その必要はなくなったのよ」
と、
「ピサロ様が、あなたよりもずっと役に立つ別の人についての情報を、帝国に提供したから。私達も詳細は知らされていないけど、辺境にいた元帝国官僚がどうのとか。ピサロ様が何十年も保護していたのを帝国に引き渡したらしいわ。まあ、ともかく、あなたはもう、用済みなの。ピサロ様にとっても、帝国にとってもね」
――まずい。
こいつらは、わたしを殺す気だ。ここから早く逃げないと、殺される。
……でも、どうやって? 自分の
「ところで、どんな夢を見ていたの? ずいぶん深く、何日も眠り込んでいたみたいだけど」
と
「夢ねぇ。やっぱり魔女サンは魔法の羊の夢を見るわけ?」
と、
「どうせセレスの薄汚れた羊でしょ」
夢。
そうだ、夢だ。
わたしは、夢を見ていたんだ。
とにかく、たくさんの夢を見ていたような気がする。なにかひどく救いのない夢ばかりだったことは確かだった。
たくさんの世界が消えてしまった。
いくつか、思い出せる夢もあった。でも、ほとんどは、もう何も覚えていない。
「確認――してただけよ。世界はいつも、すぐに終わってしまうんだって。夢みたいにして、消えてしまうんだって。きっとあなた達の運もすぐに尽きるわ」
わたしは、そう答えた。
「はは、相変わらず愉快ね。運が尽きているのはあなたの方――」
そう言って
「――だって私達はもう、この
わたしはとても、気分が悪い。
「は、黙れよ、
そう言ってわたしは彼女のヒールに唾を吐こうとした。しかし言い終わらないうちに、目の前に火花が散り、続いて鋭い痛みが襲う。
床に自分の血が飛び散るのが、視界の片隅に見えた。
呼吸が激しく乱れる。
わたしの右目は、視力を失ったのだろう。
わたしは、まず口を固く結んで、それから唇を少し突き出して、ひゅーと息を吐く。そして自分でも奇妙なほど落ち着いた声で、言う。
「ええと、夢の話だったかしら? そう、わたしは、あなたたちには信じられないようなものを見たの。信じられないような、ものをね」
急に話し出したわたしに面食らったのか、〈コンパニオン〉たちは顔を見合わせている。
「灰色の空には巨大な彗星が横たわっていた。オリオン星雲を背景に黒々と浮かび上がる無数の戦艦が燃えあがり、崩れ落ちた。押し寄せるひとびとから世界樹を守る巨獣たち、それから滅びの火。西の空に真っ黒な太陽が昇り、両眼が溶けてみんな死んだ。――そうやって、千もの世界が救われて、そのまた千倍もの世界が滅び去った」
堰が切れたようにまくし立てるわたしを、
「そう、滅び去ったの。まるで、そうね、まるで、わたしたち自身のようにね」
自分でも何を言っているのか分からなかった。わたしはあそこで、何を見たのだろう。
右眼がひどく痛んだ。
「とうとう、本当に狂っちゃった?」
すると
「
「そう」
とだけ、わたしは応える。
わたしがしてるのは、そんな話じゃない。
「これから、どうするの?
と
どうするもこうするも、ないだろう。わたしの命は、おまえたちが握ってるんじゃないか。
――十三歳でセレスのゴミ溜めを這い出したとき、わたしは目に映るものすべてを手に入れたいと望んだ。誰かがわたしを所有するのではなく、わたしがすべてを支配する。わたしはすべてを手に入れたい。強くなる。世界よりもわたしの方が、強くなる。もう二度と、濁った星空の下でゴミの山に埋もれなくていいように。その気持ちは今でも少しも変わっていない。もしも今日世界が終わるのだとしても、そんなことは関係ない。たとえそれが
お前たちにそれを、奪うことは出来ない。
「ピサロを殺すわ」
わたしはじっと
「そしてまた初めからやり直して、すべてを手に入れるの」
「ははは、ばーか。出来るわけないでしょう? 自分の置かれた状況、分かってる? 私の気分ひとつで、あなたは死ぬの」
「知ってるさ。殺せよ」
間髪入れずにわたしは言った。自分でも意外なくらい、低く、力のこもった声だった。
「ピサロ様は、あなたに選択肢を残しているわ。あなたのハーブと自由市民権を剥奪してから、彼が懇意にしている偉い人のところに送り込むの。きっと帝国の辺境艦隊の提督クラスの人物よ。運が良ければ、これまでの私達と同じくらいの暮らしなら、できるかもしれないわ」
「だといいけど。ちっぽけな臭い駐屯地の、太った軍曹とかかもね」
そう言ってまた、
わたしは、お腹の底に力を入れて、十三歳のあの日以来したことのないような、飛び切り野蛮な表情を作る。それからやっと
「いいから、殺しなさい」
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