俺の許婚になった義妹は、それでも俺に「嫌い」と言いたい

メソポ・たみあ

義妹、許婚になる


「いや、義理でも兄妹が結婚するなんておかしいだろ」


 これはまだ義妹が小学生だった頃、俺が彼女に発した言葉だった。

 この一言を境に義妹の――天寺あまでら莉々りりの態度は変わった。




「……ただいま」


 玄関がガチャリと開き、姿を見せたのは制服を着た女子高生。

 俺の義妹――莉々が帰ってきたのだ。

 現在彼女の年齢は16歳で、俺の一つ下。

 まるで女優かアイドルとでも見紛う端正な顔立ちと白い肌、そして長く伸びた髪をハーフアップにまとめたその姿は、誰がどう見ても超の付く美人。

 しかしクール――というかどこか不機嫌そうな雰囲気を常に醸し出しており、彼女をよく知らない人には近寄りがたいと思われるだろう。

 二階の自室へ向かうべく廊下にいた俺は、彼女と鉢合わせする。


「莉々、おかえり。今日の学校はどうだった?」

「……別に」

「弁当箱、流し台に置いとけよ。後で洗っておくから」

「…………」


 俺と目を合わせることもなく、ほぼ無視に近い形で二階へと上っていく莉々。

 最近、少なくとも莉々が高校に進学してからはコレが俺こと天寺あまでら宗一そういちの日常となった。


 ――世の中には、義妹がいるだけで羨ましいなんて言う奴もいる。

 血の繋がらない妹と同居なんて色んな妄想し放題じゃんサイコー、みたいな。

 が、現実は全くそんなことないワケで。

 さらに仲が悪くて日常会話すらままならないと、それはそれで地獄。

 まあ、兄妹なんて実義問わずどこもこんなもんなのかもしれないが。

 さらにウチは両親の仕事が多忙であるため、家の中では兄妹二人でいることが多い。

 沈黙の時間が多いのは、ただ単純に気まずいだけだ。


 昔は……お互いの親が再婚して兄妹になったばかりの頃は、もっと仲良く過ごせてた気がするんだけどな……。

 俺個人としては――できることなら仲直りしたい。


「――莉々!」


 俺は義妹を呼び止める。

 すると彼女は足を止め、振り向いてようやく目を合わせてくれる。


「……なに?」

「お前は俺のことが嫌いかもしれないけど、俺はお前を本当に大事な妹だと思ってる。できれば昔みたいに、一緒に笑って過ごしたいんだ。だからさ、この後二人でゲームでも――」

「…………義兄にいさんのそういうとこ、ホント嫌い」


 俺の言葉を遮るように莉々は言うと、プイっと顔を背ける。

 そして、そのまま背を向けて自室に入って行ってしまった。


「ハァ……やっぱりダメかぁ」


 ぶっちゃけ、こんなアプローチ行ったのはもう一度や二度ではない。

 仲直りしようと俺の想いを率直に何度もぶつけているのだが、大抵「義兄にいさんのそういうとこ、ホント嫌い」で会話を終わらせられてしまう。

 やっぱり直球で仲直りしたい!と言うのが間違いなのだろうか?

 思春期女子高生のメンタルは繊細だろうからな……。

 でも俺はそういうやり方しかわからないし……むむむ……。


 思い返してみれば、まだ莉々が小学生だった頃に言ってしまったあの一言から俺は嫌われるようになったよな。


 〝いや、義理でも兄妹が結婚するなんておかしいだろ〟


 それは莉々が「将来は義兄にいさんと結婚する!」なんて言うから、からかい半分に言った些細な冗談だ。

 それは義兄である俺が言うべき当然の返事で、たぶん世間一般の常識でも当たり前の返事だろう。

 しかしそれからというもの、莉々は俺と遊ばなくなった。

 露骨に俺を避けるようになり、面と向かって「嫌い」と言われるまでに嫌われてしまった。

 あの一言の、どこにそこまで毛嫌いされる要因があったのか……。

 逆に、「じゃあ結婚しよう」と言ってほしかったとか?

 まさかそんな……アニメじゃあるまいし……。


 それにあの一言は、本当は・・・――


 ……いや、もう考えても仕方ないことか。

 やれやれ、なにか都合よく仲直りできるきっかけ・・・・でも起こらないもんか……。



   ❀ ❀ ❀



「…………」


 自室へと入った天寺莉々は、ドサリと鞄を床に落とす。

 そしてドアにもたれかかると、


「あ~もう~……もう~っ……!」


 湯気が出そうなほど赤くなった顔を、両手で押さえた。


「なんで? なんでああいう恥ずかしいことを素直に言っちゃうかな義兄にいさんは? 言われるこっちの身にもなってってば……」


 激しく悶えつつ、部屋に置いてあった大きなクッションに顔をうずめる莉々。

 さきほどまでのクールでツンとした雰囲気はどこへやら、である。


「大事な妹とか……恥ずかしげもなく恥ずかしいこと言っちゃうのホント嫌いだけど……ホント好き」


 ポツリと漏らすように言う莉々。

 そしてクッションを抱えたままベッドにダイブ。


「好き……なのに、顔合わせる度にどんな恥ずかしいこと言われるかわかんなくてマトモに話せない……せめて普通の会話くらいはしたいのに……これじゃまるでコミュ障みたいじゃん……うぅ……」


 悶えて喜んだかと思えばシーンと静まり返って落ち込み、コロコロとテンションを変える莉々。

 ――そう、これが彼女の本性だった。

 極度のブラコンのくせに、義兄に対してだけコミュ障。

 本当は普通の兄妹として接したいのだが、いざ本人を目の前にすると心の余裕が全くなくなり、結果としてロクな会話ができなくなってしまう。

 もっともこれは、莉々とは対照的に宗一があまりにもド直球に気持ちを伝えてくるせいもあるのだが――


「……私も、昔みたいに仲良くしたい。一緒に過ごしたい。でもそうしたら、絶対にバレちゃう……私が義兄にいさんのこと、異性として好きだってこと……」


 莉々は、義兄である宗一に恋心を抱いていた。

 それも昔から、出会った当初から。

 しかしそんな彼女の恋は、宗一の一言で叶わぬことを知る。


 〝いや、義理でも兄妹が結婚するなんておかしいだろ〟


 それは莉々にとって、最も絶望的な言葉であった。

 あの瞬間から、自らの恋は決して成就しないと理解する。

 以後というもの、義兄であり片想いの相手でもある宗一とどう付き合えばいいかわからなくなったのだ。


義兄にいさんにとって私はあくまで〝義妹〟で、それ以上でもそれ以下でもないんだよね……。私の気持ちがバレたら、絶対にキモいって思われるに決まってる……」


 昔みたいに仲良くしていれば、異性として好きなことが絶対に悟られる。

 本当は仲良くしたい、けど想いがバレて気持ち悪いと思われるのは耐えられない。

 義兄にとって、宗一にとって義兄妹は男女の関係にならないし、なってはいけないモノ。

 この気持ちが知られた時、彼にどんな視線を向けられるか――それを考えただけで、莉々は怖くてたまらなかった。

 だから、自らの想いを悟られないため距離を置く。

 嫌われるくらいなら〝嫌い〟と言う。

 そうしてどこにでもある兄妹関係を演じれば、心の傷は小さく済む。

 そんな葛藤にコミュ障っぷりが乗算され、拒絶するのような態度として現れてしまっている――それが今の彼女だった。


「なんとかしたいなぁ……。でもどうしたらいいんだろう……」


 ハァ、と深いため息を吐き、ベッドに突っ伏す莉々。


 こんなちぐはぐな義兄妹の関係が始まって、早数年。

 けれど――――それは唐突に終わりを迎えることとなる。



   ❀ ❀ ❀



「どうしたんだよ突然、話があるなんて。それも家族揃って……」


 ある日、俺と莉々は家族会議とばかりにリビングのテーブルに集められる。


「いやなに、今日はお前たちに大事な話があるんだ。なあママ」

「そうそう、大事な話なの。ねえパパ」

「ハハハ、今日も綺麗だよママ」

「ウフフ、今日も素敵よパパ」


 そんな俺たち兄妹の前で、年甲斐もなくベタベタとイチャつく両親。

 もう再婚して10年経つのに、随分とお熱いことだ。

 対して義妹の莉々は、もう慣れたものだとばかりに涼しい顔でマグカップのコーヒーをちびちびと飲んでいる。


「……俺たち、もう部屋に戻っていいか?」

「……私、学校の宿題があるから」


 席から立ち上がる俺と莉々。

 如何に片親が再婚相手と言えど、親がイチャつく光景を見ると胸焼けを起こしそうになるよ。

 そんな俺たちを、俺の実父である親父が諫める。


「そう言うな、まあ二人共座りなさい」

「ったく……それで用件を早く言ってくれよ」

「ああ、父さんたちは仕事の都合で海外に転勤することになった。しばらく日本を離れることになる」


 海外へ転勤――その言葉を聞いて「ああ、またか」と内心で思う俺。

 親父と義母かあさんは同じ大手企業で働いているのだが、どちらも社内では幹部の立場で重役を務めている。

 故に日本国内に限らず事あるごとに海外へ飛んでは大きな仕事をこなしており、俺たちを置いて家を留守にするのは珍しくもなかった。

 

「それで今度はどれくらい家を空けるんだ? 一週間か? 一ヵ月か?」

「いや、今度はもっと長くなる。おそらく三年ほどになるだろう」

「…………それは、随分長いな……」


 三年――という数字を聞いて、流石に俺もやや驚く。

 莉々も驚いた様子だ。

 これまで、それほど長期的に家を空けることはなかった。

 同時に俺は親父たちがなにを言いたいのか察する。


「なるほど、俺たち兄妹も海外に着いてこいって言いたいワケか」

「いや、そうじゃない。父さんたちから見てもお前たちは十分自立しているし、学業のこともある。少なくとも今の高校を卒業するまではこの家に居てもらいたいと思ってるよ」

「? それじゃあ……」

「海外へは私たち二人だけで行く。だからこの家は、お前たちに任せたいんだが……」

「その前に二人に伝えておくわ。まず結論を先に言うから、心して聞いてね」


 藪から棒に義母かあさんが切り出す。

 そして、次に義母かあさんの口から出た言葉は――


「宗一くん、莉々ちゃん、あなたたち〝許婚〟になりなさい」


「…………は?」

「――――はああああああああああああああああああああっっっ!?」


 俺よりも圧倒的に早く、莉々が立ち上がって困惑の大声を上げる。


「ど、ど、どういうこと……!? どうして私と義兄にいさんが、い、いいい許婚に……!? 意味わかんない……っ!」

「あらあら落ち着いて莉々ちゃん。パパもママも、あなたのことはよくわかってるつもりだから」

「そうそう、可愛い娘の背中を押してやるのも親の役目ってな。ハッハッハ」

「おい待て、俺を置いてけぼりにするな。話についていけん」


 全く話が理解できない俺が突っ込むと、親父は「やれやれ」と頭を抱える。


「宗一、お前最近莉々と上手くコミュニケーションが取れなくて悩んでただろ。違うか?」

「そ、それは……」

「全く、そんな鈍感な男に育ってしまって父さんは悲しいぞ? 昔みたいに莉々と仲良くなりたいと思わないのか?」

「……思うけど」

「よし、やはり許婚になって将来結婚しなさい。そうすれば仲直りできるぞ♪」

「ふざけんな! そんな無茶苦茶な説得で納得できるか! だ、大体義兄妹で結婚なんてできるワケ……」

「できるとも。日本の法律上は問題ない。嘘だと思うなら調べてみろ」

「もっとも、最終的には本人たちの同意の上でなければならないのだけどね」


 親父と義母かあさんはそこまで言うと席を立ち、どこからともなくスーツケースを取り出す。


「さてと、言いたいことは言ったし父さんたちはもう行くな。それと海外の割と危険な地域で仕事するから、念のため遺書にはお前たちが結婚しないと遺産相続させない旨も書いておいた。帰ってくる頃には孫の顔が見れるといいな。ハッハッハ!」

「もうパパったら、気が早すぎるわよ♪ さて、莉々ちゃん?」

「は、はいっ……!?」

「これで全部、私たちのせい・・・・・・にできるわね? ママ応援してるから、ファイト☆」


 そう言い残すと――親父と義母かあさんはリビングを後にし、家から出て行った。


「……嘘だろ、なに考えてんだあの二人……。おい莉々、どうす――」

「し、知らない……! 私、部屋に戻るからっ……!」

「んなっ、ちょっと待てよ!?」

「い、今は話しかけないで!」


 莉々は食い気味に言うと、俺と目を合わせることすらせずリビングから出て行った。

 そんな彼女は、背後からでもわかるほど耳が赤く染まっていた。



   ❀ ❀ ❀



「んぉ……もう朝か……」


 カーテンの隙間から日差しが漏れるのに気付いて、俺は目が覚める。

 今……今は何時だ……?

 寝惚け半分にスマホを手に取り、時間を確認すると――


「――ってやべっ、学校!」


 画面に表示された時刻は、既に九時を過ぎている。

 完全に遅刻だ。


「あーくそっ、昨日あんなことがあって全然眠れなかったから――って、あれ?」


 慌てて寝衣を脱ぎ捨てて準備しようとするが、画面をよく見ると〝日曜日〟と表示されていることに気付いた。


「な、なんだ……今日は休日か……」


 ハァ、と胸を撫で下ろす。

 再びベッドで二度寝しようかと思ったが、


「……いや、寝坊に変わりないか。もう義母かあさんたちはいないんだし、莉々に朝飯でも作ってあげないとな」


 いつもなら義母かあさんが既に朝食を準備してくれている時間だが、今日からは自分たちで準備しないといけない。

 俺は幸いにも台所に立つのは嫌いじゃないから大丈夫だけど、莉々が料理なんてしてるの見たことないからな。

 朝はしっかりした物を食べさせてあげたいし、起きて準備するか。

 そう思った俺は、部屋を出て一階のリビングへ向かう。


「莉々の奴、昨日は部屋に籠ったまま出てこなかったし……許婚なんて言われても、今日からどんな顔して会えばいいのやら……」


 そりゃ親父が言ってたように、莉々とは仲直りしたい。

 だからって許婚なんて無茶苦茶すぎる。

 そもそも、兄妹で結婚するなんて――


 〝いや、義理でも兄妹が結婚するなんておかしいだろ〟


 ――昔、自分が莉々に言った言葉が頭をよぎる。

 あの時から、俺たちの関係はおかしくなった。

 俺は、また昔と同じことを繰り返そうとしているのか?

 

「……やっぱり、莉々とは一度話し合って――って、あれ?」


 そんなことを考えながら階段を下りていた俺は、ふといい匂いがするのに気付く。

 まさか――と思いつつリビングに入り、台所へと足を向ける。

 すると――――


「あ…………お、おはよう、義兄にいさん……」


 そこには、エプロン姿の莉々が立っていた。

 いつもは義母かあさんが着ているエプロンを身に着け、手にオタマを持ち、鍋でなにかを作っている。

 匂いからして、おそらく味噌汁だろう。


「お……おはよう……どうしたんだよ、莉々が朝から料理なんて……」

「べっ、別に……もうお母さんがいないから、代わりにやっただけ……! もうすぐできるから、座って待ってて!」


 台所から追い出された俺は、仕方なくリビングのテーブルに座る。

 しばらく待っていると、


「……できたよ、義兄にいさん」


 莉々が料理を運んできてくれる。

 茶碗に盛られたご飯、黒いコゲが目立つ目玉焼き、そして具材がわかめだけの味噌汁。

 ――以上である。

 なんというか、とても質素な感じだ。

 まるで初めて朝ごはん作りました的な初心溢れる雰囲気。

 っていうか本当に初めてだったのだろう。

 莉々も自分の分を運び、俺の反対側の椅子に座る。


「……さ、食べて」

「お、おう……いただきます……」


 促されるまま、俺は味噌汁を手に取る。

 ……莉々がすっごい真剣な眼差しで見てきて食べづらいが、とにかく一口。


「うっ……」


 ――塩辛い。

 かなりしょっぱいぞ、これ。

 たぶんわかめの塩抜きをせずにそのまま入れたんだろう。

 味噌――の配分もわからず多めにいれた感じもある。

 次にご飯。

 箸ですくって食べてみると、なんだか水っぽくて柔らかい。

 水の量を間違ったか、米の量が少なかったか?

 まあ水が少なくて固くなるくらいなら多めに入れてしまえ、という思考回路は理解できないでもない。

 最後に目玉焼き。

 ……うん、苦い。コゲた味がする。

 でも醤油をかければ普通に食えるレベルではある。

 ――総じて、やはり莉々が料理下手だということがわかった。

 これなら義母かあさんの朝ごはんの方がずっとクオリティが高いのは間違いない。

 だけど――


「ど、どう……義兄にいさん……?」

「うん――――すごく美味い・・・よ。なんていうか、頑張って作ってくれたのがよくわかる。食べる人のことを考えて、少しでも美味しくしようとしたのが伝わってくるんだ。うん……やっぱり美味い」


 塩辛い味噌汁をすすりながら、俺は答える。

 俺が初めて料理を作った時はそりゃ酷い有様で、とても食えたもんじゃなかった。

 でもこの料理はちゃんと食える。

 初めて台所に立った莉々が色々考えて工夫したのが、しっかりと味に出ている。

 これを美味いと言えなけりゃ、罰が当たりそうだ。

 そんな俺の感想に照れたのか、莉々は気恥ずかしそうにする。


「ホ、ホ、ホントっ、義兄にいさんのそういうトコ、ホント嫌い……! 言ってて恥ずかしくないの……!?」

「なんだよ、素直に思ったことを言っただけだぞ? それよりどういう風の吹き回しなんだ? 莉々が俺に手作り料理を振舞ってくれるなんて」

「べ、別に義兄にいさんのためってワケじゃ……! お母さんがいないから仕方なく……!」

「はいはい、そういうことにしておくよ。どれ、朝のニュースでも……っと」


 俺はテーブルの上に置いてあったリモコンを手に取り、電源を入れる。

 テレビの画面が点くと再びリモコンを置くが、


「む……私このニュース番組嫌い」


 今度は莉々がリモコンを取り、チャンネルを変えた。

 画面は映画の新作などを紹介するバラエティ系情報番組に切り替わる。


「いやいや、朝はニュースで時事問題を見ないと。さーて今日の世界情勢は、っと……」


 また番組を戻す俺。


「時事問題なんて見ても暗い気分になるから嫌。私はLiLiKa姉さんの映画紹介が見たいの」


 またまた番組を戻す莉々。


「……莉々はもう少し大人になった方がいいぞ?」

「……義兄にいさんちょっとおっさん臭い」


 ギギギギ……っと互いにリモコンを掴み、鋭い眼光で睨み合う俺たち兄妹。

 だが――俺はすぐにリモコンを手放した。


「……ぷ……くくく……」

「? な、なに笑ってるのよ……」

「いや、莉々とリモコン取り合うのなんて、マジで何年振りだろうと思ってさ。あんまり懐かしい感じだったからおかしくて」


 子供の頃は、よくこうやって番組争いしてたっけ。

 でも莉々が俺を避けるようになってから、いつの間にかしなくなってたんだよな。

 そんな些細な機会が戻ってきたのは、率直に嬉しい。


「…………なあ莉々、昨日親父たちが言ってたことだけど――」

「……なるよ」

「え?」

「私、義兄にいさんの許婚になる」


 莉々は小さい声で――けれどハッキリと言った。


「お、おいおい……! 本気かよ莉々!?」

「だ、だってそうしないと、義兄にいさんは遺産相続できなくて、将来借金苦になって天涯孤独なまま道端で野垂れ死んじゃうんでしょ……? それは可哀想っていうか……」

「いやそこまで酷いことにはならんと思うが」


 別に普通に働けば普通に暮らしていくことはできるだろ。

 そう思う俺を余所に、莉々は両手の指を合わせながら、


「だ、だからその、しょうがないから結婚してあげるって言ってるの! これはお母さんたちのせいで、ホント仕方なくで……べ、別に私の意思ってワケじゃないから……!」


 ――泳いでる。すっごい目が泳いでるよ。

 たぶん言ってる本人もメチャクチャ恥ずかしいんだろうな。

 

「に、義兄にいさんは、私の許婚になるの……嫌?」

「莉々……あのなぁ、兄妹で結婚するなんて――」


 ――そこまで言いかけて、俺は反射的にグッと言葉を留まらせた。


 〝兄妹で結婚するなんておかしいだろ〟


 そう言おうとしてしまったのだ。

 俺はまた、同じ過ちを繰り返そうとしてしまった。

 かつての後悔が、俺を踏み止まらせる。


「……莉々は、それでいいのか?」

「仕方ないって言ってる」

「他に誰か、好きな男とかいないのか?」

「……別に」


 その質問に対しては、かなり露骨に不機嫌そうな顔をする。

 このタイミングでそんなこと聞くな、とでも言いたげだ。

 少なくとも、莉々はかなり真剣に考えていることはわかった。


「…………ちょっと、考えさせてくれ。できるだけ早く答えを出すから……」

「ん……わかった」


 俺の返答を聞くと莉々はカチャカチャと料理を食べ終え、食器を持って席を立つ。


「……昨日あのまま寝ちゃってお風呂入ってないから、シャワー浴びてくる」

「あ、ああ」

「……覗かないでよ?」

「覗かねーよ!」


 莉々は台所で食器を見ずに浸し、そのまま風呂場の方へ向かって言った。



   ❀ ❀ ❀



 脱衣所で一糸まとわず素肌をさらけ出し、莉々は風呂場へと入る。

 そして蛇口を捻り、シャワーを頭から浴びる。


「――――い、言っちゃった……言っちゃったよぉ……!」


 温かいお湯を浴びながら、恥ずかしさのあまり両手で顔を覆う莉々。

 言ってしまった、許婚になるって。

 

 ――昨日、一晩中考えた。

 どうするべきかって。どうしたらいいんだろうって。

 お母さんとお義父とうさんが私の気持ちに気付いていたのには凄く驚いた。

 その上で背中を押してくれたのは、本当の本当に嬉しかった。

 結婚するための理由を、自分たちのせいにしてくれたのも。


 ……正直、今でも怖い。

 義兄を好きな義妹なんて気持ち悪いって、義兄にいさんに思われるんじゃないかって。

 でも――今朝の義兄にいさんの様子を見て、もしかしたらまだチャンスはあるかもって思えた。

 少しの期待と大きな不安で、胸が張り裂けそう。

 もし――もし今この場に、義兄にいさんが入ってきてくれたら、なんて――


義兄にい……さん……」



   ❀ ❀ ❀



「…………」


 俺はリビングのソファーに腰掛け、莉々が好きな情報番組をぼうっと眺めていた。

 莉々と……義妹と結婚……。

 今、この家に両親はいない。

 許婚になりそうな義妹と義兄の二人きり。

 そして、義妹は風呂場……。


 義兄妹二人、両親不在、シャワー中。

 なにも起きないはずがなく……。


「いや、なにも起きないからな!? 俺は起こさないぞ!?」


 自分で思って自分にノリツッコミをしてしまう。

 そもそも、もう何年一緒の家に住んでると思ってんだ……。

 今更義妹が風呂に入ってるからって変な妄想するかよ……。

 そう自分に言い聞かせる俺。

 すると、


「……上がったよ、義兄にいさん」


 リビングに莉々が入ってくる。

 ルームウェアのパーカーとハーフパンツを着て、乾いた髪からはホカホカを湯気を立てている。

 同時に、女子が使うシャンプーのいい香り。

 俺が普段から使ってる安物とは全然違う匂いだ。


「お、おう、食器は洗っといたぞ」

「……覗かなかったんだ」

「覗かないって言ったろーが!? っていうか覗いてほしかったのか!?」

「は、はぁ……!? そんなワケないでしょ!?  義兄にいさんの変態!」


 何故か痴話喧嘩のようになる俺たち兄妹。

 だがすぐに二人共ハアハアと息を切らし、平常心を取り戻す。

 なんか……今日は朝から凄く疲れる気がするな……。


「やれやれ、なんか喉乾いたな……。莉々もなんか飲むか?」

「あ、義兄にいさん、冷蔵庫の中は――」


 台所に赴いて冷蔵庫を開け、なにか飲み物を取り出そうとする俺。

 しかし、ガチャリと開けた俺の目に映った光景は、


「な……なんだこれ!? 冷蔵庫の中がほとんど空っぽじゃないか!」


 本当に最低限の食材やら調味料のみを残し、もぬけの殻になった我が家の食糧庫だった。

 なるほど、莉々の朝食が異様に質素だったのはこれが原因か……。

 そして食料の代わりに、中には小さいメモ書きが一枚。


 〝二人が好きな物を食べられるように、冷蔵庫の中は空にしておきました。仲良く買い物に行ってね〟


義母かあさんめ……こりゃ買い出しに行かないと晩飯も用意できないぞ」

「それじゃあ買い物、行く?」

「そうだな。……一緒に行くか?」

「……うん!」


 俺たちはすぐに着替えて外出の準備をし、揃って家を出る。

 向かった先は家からそう遠くない大型ショッピングモール。

 本当はもっと近くにスーパーもあるけど、色々買い揃えるなら大きな店の方が便利だ。

 今日は日曜日だから、ショッピングモール内は大勢の人で賑わっていた。


「さて、どこから見ていくか……。それにしても……」

「? なに、義兄にいさん?」


 俺は隣を歩く莉々に目を向ける。

 彼女は少し大きめのセーターにふわりとしたフレアスカートという服装をしており、顔は薄めのナチュラルメイク。

 元々端正な顔立ちと色白の肌をしているため、かなり可愛い印象を受ける。

 現にすれ違う人々は男女問わずチラリと莉々のことを見ていくから、いい意味で目立っていることは間違いない。

 

「ね、見てあの子。メッチャ可愛くない?」

「ホントだ! 肌キレー……それにデートとか羨ましいー」

「でも彼氏の方は、ちょっと冴えない感じだよね」


 俺たちを見てひそひそと話す女子たち。

 たぶん休日に遊びに来た他校の女子高生たちだろう。

 莉々が褒められるのは嬉しいが……俺の方が冴えないと評されるのは悲しくなるな……。


「…………」


 女子たちの小話が耳に入ったのか、彼女たちをギロリと睨む莉々。

 目が合って気まずくなった彼女たちは、そそくさとどこかへ行ってしまった。


「おい莉々、あの子たちお前のことを褒めてたんだぞ?」

「でも義兄にいさんのこと冴えないって言ってた」

「へえ、じゃあ俺のために怒ってくれたのか?」

「……知らない」


 莉々はプイっと前を向いて、スタスタと先に行ってしまう。

 だがすぐに歩く速度を落とし、


「……私と義兄にいさん、デ、デートしてるカップルに見えるのかな……? 兄妹じゃなくって……?」

「あの子たちには、そう見えたみたいだぞ?」

「そ、そっか……」


 心なしか顔がほころぶ莉々。

 おいおい、そんな顔されるとこっちまで照れ臭くなるだろうが……。

 俺も表情が緩まないように気を付けながら歩いて行く。

 すると、モール内の女性物アパレルショップの前を通りがかった。


「あ……」


 ふと、莉々が立ち止まる。

 なんだろう? と思って彼女の視線の先を見ると、可愛らしいワンピースがマネキンに着させられていた。

 その一着は所謂シフォンワンピースの類で、デザインは……なんというか、いささか少女趣味的だ。


「あれが気になるのか?」

「べ、別に……」

「莉々は可愛い物が大好きだもんな。着たいなら着ればいいじゃないか」

「私もう16歳なのに、あんなの着たら子供っぽく見えるだけじゃん。それに似合わないから……」

「莉々ならなにを着ても似合うと思うぞ。この兄貴が保証してやる」

「…………ホントそういう……いつも適当なことばっかり言うんだから……」

「適当なんかじゃないさ。俺は昔から・・・、それだけ莉々を魅力的な女性だと思ってるよ」

「――――え?」


 莉々が驚いた表情でこっちに振り向く。

 ――おっと、しまった。

 つい口が滑ったな……。


「あ、いや、え~っと……。よ、よし! 俺があの服を買ってやるよ! おーい、店員さーん!」

「ちょっ、義兄にいさん!? いらないってば……!」


 はぐらかすようにアパレルショップの中に入り、店員を呼ぶ俺。

 そして莉々の制止も聞かず、結局なけなしの小遣いでワンピースを買った。


「もう……いらないって言ったのに……」


 ――ワンピースが入った紙袋を持ち、再び俺と共にモール内を歩く莉々。

 迷惑そうな顔をしてはいるが、同時に少し嬉しそうでもある。


「似合うから大丈夫だって。それに、これは仲直りのプレゼントだと思っとけよ」

「べっ、別にまだ義兄にいさんと仲直りしたワケじゃ……」

「俺の許婚になるって宣言したくせに?」

「だ、だからあれは仕方なくで……!」

「わかったわかった。さて、流石にそろそろ食料の方を――」

 

 そんな会話をしつつ、俺たちが食料品コーナーに向かおうとした――その矢先だった。


「――あれぇ、天寺じゃね? 奇遇じゃん!」


 そんな女子の声が、俺たちを呼び止める。

 いや――正確には莉々のことを。

 振り向くと、そこにはちょっと派手な服装のギャルっぽい子が二人。

 彼女たちの姿を見た莉々は「げっ……」と露骨に嫌そうな顔をする。


「ホントだ、マジ偶然! ってか天寺兄も一緒やん! こんちゃーっす!」

「あ、ああ、こんにちは……。莉々、彼女たちは知り合い……?」

「一応、私のクラスメート……。普段はほとんど話さない別グループの子だけど」


 なるほど、道理で莉々とは雰囲気の違う感じだなと。

 どちらかと言えば、莉々はこういう子は苦手なはずだもんな。

 それにクラスメートということは俺や莉々と同じ学校に通っているワケだから、俺のことを知っているのも納得だ。


「休日に会うなんて意外of意外! 天寺もここに買い物にきたん?」

「……まあ、そうだけど」

「わかるー、ここ色々揃ってるもんね? でもさ、なんで兄妹二人しているの?」

「天寺モテるんだし、ちゃっちゃと彼ぴ作って遊びにくればいいじゃん」

「っ……あなたたちには関係ないでしょ!」


 莉々はぐっと眉をひそめ、不快さを露わにする。

 な、なんかよくないムードだぞ、これは……

 だがギャル二人はきゃっきゃと笑いながら、


「あ、そういや二人ってあくまで義理の兄妹なんだっけ? ってことは、もしかしてデキてるとか!? ヤバ!」

「バーカ、漫画の読み過ぎやん。義理でも兄妹が・・・・・・・付き合うなんて・・・・・・・おかしい・・・・ってば」


「――――ッ!!!」


 ギャルの子が放った言葉に、莉々は血相を変えた。

 それは、そう、紛れもなく――かつての俺が莉々に言ってしまったあの一言と、同じ意味を持つ言葉であった。


「わかってんよ、ジョーダンだってば。悪い悪い、流石にデリカシーが――」

「っ!」


 ワンピースの入った紙袋を落とし、顔を伏せて莉々は走り出す。

 まるでこの場から逃げ出すように。


「! お、おい莉々!」

「あ……あれ? ウチ、なんか地雷踏んじゃった……?」


 ギャルの子たちも焦燥の顔を見せる。

 無神経だったのは間違いないが、あくまで悪気はなかったのだろう。


 俺は急いで莉々を追いかける。

 全力疾走で走る彼女の足は意外にも速く、俺は中々追いつけない。

 ショッピングモールを出て、道路沿いの歩道を歩いていたところでようやく彼女の腕を掴んだ。


「莉々! おい待てってば!」

「放して! 義兄にいさんなんて嫌い!」


 尚も俺から逃げようとする莉々。

 だが、俺は絶対に手を放さない。

 すると――次第に、彼女の身体から力が抜けていった。


「……どうせ、どうせ義兄にいさんも同じこと思ってるんでしょ……? 兄妹が付き合うなんて……兄妹で結婚するなんておかしいって……! 昔もそう言ってたしさ……!」

「莉々、違うんだ。アレは――」

「知ってるよ、それが普通の考え方ってことくらい……。私が義兄にいさんを好きでいるのはおかしいってことなんて……わかってても……好きなんだもん……」


 莉々の目から、ポツリと涙が落ちる。

 莉々――お前、そこまで――


「どうせ義兄にいさんも、私のこと気持ち悪いって思ってるんだ……。もう嫌だよ……耐えられない……」

「そう、か……そうなんだな…………莉々も、同じこと・・・・考えてたんだ」

「……え?」

「俺もな、ずっと怖かったんだよ。俺の本当の気持ちがバレて、義理の妹に気持ち悪いって思われるのが。だけど今、莉々の言葉を聞けて安心しちまった」

「ど、どういうこと……? 同じって……?」

「莉々……俺もな、お前のことが好きだ。妹としてじゃなく、一人の女性として。ずっと昔から、出会った時から一目惚れだった」


 俺の言葉を、いや告白を聞いて莉々は目を丸くする。

 そして涙を止め、驚きの表情を見せる。


「は……え……!? 一目惚れって……だって子供の時、兄妹で結婚するなんておかしいって……!」

「ああ、あれな……本当はただの照れ隠しだったんだよ……。それに兄貴の立場というか見栄というか、とにかく真に受けてキモいって思われたくなくてさ……」


 そうなのだ、あの一言は決して以て俺の本心ではなかった。

 あの頃の俺は子供ながらに世間の一般論をわかったつもりでいたし、兄としての見栄みたいなものがあった。

 だから好きって気持ちを押し殺して「こう言うべき」みたいなモノを優先してしまったのだ。

 その方が莉々からの印象はいいだろう、と思って。

 それが却って莉々との距離感を遠ざけてしまったことに、後でえらく後悔した。


「だからずっと謝りたかった。悪かったって。でも、今なら改めて言える」


 俺は掴んでいた莉々の腕を放し、彼女の手の平を握る。


「莉々、キミが好きだ。どうか俺と付き合ってくれ。俺の許婚になって、いずれ俺と結婚してほしい」

「そ……そ……そんなこと、突然言われても……!」

「世間がどう思うかなんて、もう知ったことか。一生かけて幸せにする。むしろ義妹と結婚しましたって自慢して、漫画みたいで羨ましいって言われてやる」

「バっ、バカじゃないの……!? そんなことで自慢なんてしないでよ! |義兄(にい)さんのそういうトコ、ホント嫌い……!」


 莉々は口ではそう言うが――ゆっくりと、俺の手を握り返す。


「でも……ありがとう。嬉しい。だからもう一度言うね。――私、|義兄(にい)さんの許婚になる」



   ❀ ❀ ❀



 ――三年が経った。

 互いの気持ちを伝えあい、正式な許婚となって早三年。

 もう俺も莉々も高校を卒業し、どちらも今や立派な社会人だ。

 そしてようやく、この日が訪れる。


「新郎・天寺宗一、新婦・天寺莉々。あなた方は健やかなる時も、病める時も、共に歩む人生において、互いに真の愛を捧げることを誓いますか?」


「「はい、誓います」」


 神父さんの問いかけに、俺たちは答える。

 式場には親父と義母かあさんを始め、俺や莉々の友人たち。

 義兄と義妹の結婚なんて周囲から批判されることも覚悟の上だったが、意外にも友人たちは祝福してくれた。

 特に莉々は義兄が好きなことが周囲にバレバレだったらしく、結婚報告をするとそれはもう盛大に盛り上がったらしい。

 そうして集まってくれた中には、あの時ショッピングモールで莉々に無神経な一言を放ったギャル二人組もおり、ダバダバと涙を流しながら莉々を祝福してくれている。

 なんでもあの後しっかり謝られて、ちゃっかり友人になったんだとか。

 なにはともあれ、祝ってくれる人が一人でも多いのは嬉しい。


「それでは――誓いのキスを」


 神父さんに言われて、俺は新婦の頭にかかったベールを上げる。


「綺麗だよ、莉々。こんな可愛い義妹を嫁さんに貰えて、俺は幸せだ」

「……ありがと。でも、こんな時まで妹扱いされるのは……ちょっと複雑かも」

「ハハハ、そうだな。それじゃ照れ臭いけど、新郎らしい言い方で――――あなたを一生かけて幸せにします、俺の最愛の人よ」

「……義兄にいさんのそういう恥ずかしい台詞を堂々と言っちゃうとこ、ホント嫌い――――だけど、大好き」


 莉々はとても可愛らしく笑って言う。

 そしてゆっくりと、俺の唇に唇を重ねた。


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俺の許婚になった義妹は、それでも俺に「嫌い」と言いたい メソポ・たみあ @mesopo_tamia

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