第9話 夏が運んできたもの
夏休みに入って十日が過ぎた。今日はエレナ先生が英会話部に来る日。部活は午前中だけらしいから、お昼前にふらっと部室棟の前に行ったら会えるだろうか。でも偶然を装って会いに行くなんて卑怯だったりしないよね。
「髪の色に合わせようかな」
そう言えばこの間会った時も髪と同じTシャツ着ていった気がするな。違う色にしようかな。でも赤い物をいつも身につけてたらトレードマークになるかも。
私はしばらく悩んで、以前とは違う別の赤いTシャツを選んだ。黒いスカートに黒いキャスケット。普段と変わらない気もするけど、服を今から買いには行けないし。取り敢えずは持ってる服で我慢しよう。
「これで行こう!」
私はかばんを斜めがけにして、寮を出た。
外は夏らしく強い日差しが照りつける。暑い。夏真っ盛りだから仕方ないけど。道に沿って植えられた木々の木陰の中を通りながら、部室棟のある方まで向かう。グラウンドを見ると、木陰で休む運動部の姿があった。
部室棟まで来た。まだ部活してるのかな。用もないのに入ったら怪しまれるよね。こんないかにも遊びに出かけるような服装なら尚更。
私は部室棟の影の中で待つことにした。お昼が近づいてきて、部活を終えたらしき生徒たちが吐き出されてくる。みんなちゃんと部活してるのに、私はエレナ先生を待ち伏せしてて、不真面目なのかもしれない。出てきた生徒がこっちをちらりと見てくる。気のせいかな。変なのかな私。ちょっと恥ずかしくなってきた。
逃げたくなってきた。日影でも暑いし。やっぱり帰ろう! 待ち伏せなんてしてもいいことない。夏の熱に浮かされてたんだ。私は寮に戻るために日影から抜け出した。
「
エレナ先生の声が聞こえる。暑すぎて幻聴までする。なんか頭もほわほわするし。
「夏奈、大丈夫か!?」
腕を掴まれた感触に顔を上げると、そこにはエレナ先生の顔があって⋯⋯。
「先⋯生⋯⋯?」
「ふらふらしてるけど大丈夫か? 熱中症になってないか?」
本物? 幻聴じゃなかったみたい。
「こんにちは、エレナ先生。⋯⋯大丈夫です」
「そうか? 顔も赤いし、涼しい場所に移動して休んだ方がいい。こっちにおいで」
エレナ先生は私の手を取って、校舎へと歩いていく。そして職員室まで連れてこられてしまった。
「ここに座ってて。今、冷たいものを持って来るから」
私はほとんど人がいない職員室のエレナ先生の席に座らされた。クーラーが強めに効いてて涼しい。しばらくして、先生はペットボトルの麦茶を持ってきて渡してくれた。
「夏奈、これ飲んで」
「ありがとうございます」
受け取った麦茶を飲む。一度飲むと止まらなくて、半分くらい飲んでしまった。自分でも気付かないうちに喉が渇いていたみたい。
「頭が痛いとか吐き気がしたりしてない? 具合が悪そうなら保健室へ行こう」
「先生、そこまで悪くないので大丈夫です。さっきはほわほわしてましたけど、治ってきました」
「そうか。良かったよ。夏奈が倒れやしないか、心配だったから。空の宮の夏は暑いでしょう」
「はい。夏はいつも。先生の出身地はイギリスですよね? イギリスは夏でも涼しいですか?」
「そうだね。日本に比べたらかなり涼しいよ。初めて日本の夏を過ごした時は、暑くて溶けてしまうかと思ったよ。こっちに来てからは母の実家がある長野で暮してたからね。あちらも夏は暑いけど、静岡ほどじゃないかな。空の宮は更に暑くて、無事に夏を越せるか本気で考えたよ」
先生は白い歯を見せて明るく笑う。
「エレナ先生、長野県民だったんですか?」
これは初耳の情報だ。
「そう。日本に来てからは長野県民だったんだよ」
「長野ってりんごが有名ですよね。先生のお家でもりんご作ってたりするんですか?」
「残念ながらりんご農家ではないんだ。母方の実家はラーメン屋なんだ。話してたら久しぶりに帰って実家のラーメンを食べたくなってきたな。クーラーで涼しくなった部屋で熱々のラーメンを食べるのもなかなかおつなものだよ」
まさか、先生の実家がラーメン屋さんだったなんて。行ってみたいな。でも遠いんだろうな。
「私も食べてみたいです! 先生のお家のラーメン!」
「娘の私が言うのもなんだが、家のラーメンはかなり美味しいからね。夏奈にも食べさせたいよ」
「それじゃ、いつか連れて行ってください!」
って思わず言っちゃったけど、図々しかったかな。先生と話しているのが楽しくて、友だちと話してるような気分になってた。
「もちろん。夏奈なら大歓迎だよ! 夏奈、さっきより顔色が良くなってきたね。安心したよ」
「職員室、涼しいので元気が戻ってきました!」
本当はクーラーだけじゃなくて、エレナ先生と話せたからだけど。
「うん。良かった、良かった。ところで夏奈はどこかへ出かける用事でもあったのかな?」
「えっ、えーと、特にはなくて⋯⋯。あっ、お昼を食べに行こうかと⋯⋯!」
なんて実際にはエレナ先生を出待ちしてただけ。そんなことはさすがに言えないけれど。
「そろそろお昼だったね。夏奈はどこに食べに行くつもりだったんだ?」
「あの、その⋯⋯。ニアマートです! ニアマートに買いに行こうかなって」
「奇遇だね。先生もニアマートに買いに行こかと思ってたんだ。良ければこれから一緒に行く?」
「は、はいっ!」
なんか私と先生いい感じになってる? だって、一緒にお昼を買いに行くなんて、きっと他の子はしてないと思うし。それとも先生は、誰とでもお昼を買いに行くのかな⋯。さっきとは別の熱さが身体を巡っている。たとえ近くのコンビニでも、先生と出かけられるなんて夢みたい!
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