第8話 恋かもしれない?

 夏休みに入って三日目。帰る自宅がない状態の私は、夏休み中はずっと寮生活。同室の美結みゆう先輩は、お盆の時期だけ実家に戻るらしい。


 その美結先輩は机に向って、ずっと絵を描いていた。この間シャーク先輩からもらった写真を見ながら、スケッチブックに一色いっしき先生を描いている。たくさん練習して、いつか本物の一色先生をモデルにして描くのだと、張り切っている。


 私は手帳に挟んだエレナ先生を見つめる。けして目が合うことのない写真。見ていると罪悪感と、高揚する気持ちがせめぎ合う。


 次にエレナ先生に合うのは二学期最初の英語の授業なのかな。それは嫌だな。学校が休みだから仕方ないけど。パンケーキを食べに行った日みたいに、偶然会えたりしたらいいのにな。そんな偶然、しょっちゅう起こるわけないんだけど。


 私はベッドに寝転がってクーラーの風を浴びる。部屋の中は美結先輩が鉛筆を動かす音だけが静かに聞こえる。


うりちゃん、聞いてなかったですけど、部活は何をやってるんですか?」


 椅子ごと振り返った美結先輩が尋ねてくる。


「書道部です。あんまり、顔出してないですけど」


 小学生の頃に書道教室に通っていたという理由だけで選んだ。一緒に入る友だちもいなかったし、書道部なら一人でも問題ないと思ってたのに、入部後にパフォーマンスをするような派手な部だと知った。


 先輩たちもいかにも日の当たる場所にいそうな明るい人たちが多くて、なんか肩身が狭い。高等部に進学したら転部しようかな。


「書道部は夏休み中も部活あるんですか?」


「七月中は休みですけど、星花祭で書道パフォーマンスをするので、八月は部活があります」


「それじゃ、今月は部活きっかけでエレナ先生と会うのは難しそうですね。クラスに英会話部の子がいて、七月に部活があるって聞いたんです。エレナ先生も特別にゲストとして参加する日があるみたいですよ」


「エレナ先生が!?」


 びっくりして飛び起きたけど、でも私は英会話部じゃないし、部活をする場所も違う。英会話部は多分部室棟を使ってると思うけど、書道部は弓道場横の離れ。部室棟からは遠くはないけど、同じ建物ではない。


「顧問の先生ではないですから、いつも来る訳ではないそうです。でもエレナ先生のネイティブな英語は、ヒアリングの勉強になるとかで呼ばれるみたいです」


「私も英会話部だったら、夏休み中もエレナ先生に会えたってことですよね」


「そうですね。で、いいものがあるんですよ。余計なお世話かと思いましたが、瓜ちゃんに知らせたくて」


 美結先輩は机の引き出しを開けると、一枚のメモ帳を取り出した。カピバラのキャラクターが描かれたメモ帳には日付が書いてある。七月の日付と八月の日付が二つずつ。


「これは⋯⋯?」


「じゃーん、エレナ先生が英会話部に来る日付です! 先生に何か用事が出来たら参加はキャンセルになるかもしれませんが、そうでなければこの日には会える可能性がある訳です。文化部は午前中で終わることがほんどですから、終わった時間に狙いを定めれば⋯⋯」


「会えるかもしれないって、ことですか?」


「そうです!」


 どうしよう。会えるなら会いたい! 


「瓜ちゃん、嬉しそうですね。エレナ先生が大好きなんですね」


「⋯⋯おかしいかな」


 私は気づいたらエレナ先生のことが大好きで、もっと知りたい、近づきたいって思ってる。私がエレナ先生のファンだから。これがファンの気持ちなのかは自分でも分からないんだけど。美結先輩が一色先生に抱くような、憧れとかそんな気持ちだと思う。


「私だって一色先生が大好きですし、他にも私たちみたいに先生に憧れる人はいますよ。だから変じゃないです。生徒が先生に恋してもいいんですよ」 


「えっ、あっ、こ、恋!?」


 突然、美結先輩の口から飛び出した言葉に、だんだんと胸が速くなっていく。私のエレナ先生への気持ちは恋なの? 会いたい、知りたい、近づきたいは、ファンでも憧れでもなく、恋⋯⋯。


 私には分からない。だって、恋なんてドラマとか漫画の世界の話だと思ってたし。学園内で付き合ってる人たちらしき存在を感じたこともあるけど、自分がこんなすぐに当事者になるなんて。


 もし恋するなら女の子がいいなって何となく思ってた。具体的に誰かを想像したこともないのに。私はエレナ先生に恋してたの?


「私は瓜ちゃんのエレナ先生への気持ちは、勝手に恋だと思ってましたけど、違いました?」


「⋯⋯分からないです。エレナ先生は大好きだけど」


「気持ちなんて形も色も匂いもないですもんね。それが何かなんて、すぐ答えは出ないかもしれませんね。私は一色先生が好きです。憧れの大切な人です。恋かと言われたらそうな気もします。でも違う気もします。私だって、はっきり分かってないです。けど、大好きって気持ちだけははっきりしてます。それは瓜ちゃんもですよね」


「それは⋯⋯」


 私の中にある、エレナ先生への気持ち。大好きって言葉で表せるのは嘘ではなくて。


「急いで答えを出す必要ないですよ、瓜ちゃん。もっと自分と向き合って、エレナ先生とも向き合って、そうしていくうちに、答えが見えてくるかもしれません。取り敢えずは、エレナ先生との接点を増やしていきましょうよ。そしたら、何か変わるかもしれないですね」


 私は黙って頷いた。


 美結先輩はすぐ答えを出さなくていいと言う。私はエレナ先生への気持ちがどんなものなのか、ゆっくり探ってみよう。


「この予定表はあげます。エレナ先生と話す機会が増えたら、楽しいでしょう?」


「多分、楽しいと思います」


「この夏のどこかで、エレナ先生との思い出が増えたらいいですね」


 窓の外には山のようにそびえる真っ白な入道雲。濃い影を落とす木陰に蝉の歌声。私の夏は始まったばかり。 

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