第7話 シャーク先輩

「せっかくこれから寝食を共にするのですから、瓜田うりたさんのこと、あだ名や下の名前で呼んでもいいですか?」


 課題を終えて一息ついたところで、美結みゆう先輩が声をかけてきた。


「あっ⋯⋯、はい」


「やったー! それじゃ何て呼びましょうか? あだ名ってあります? クラスメイトから何て呼ばれてるんですか?」


 私が友だちなんて一人もいないことを、まるで知らない美結先輩が、楽しそうに詰め寄ってくる。本当のことなんて言えないしな⋯。


「小学生の時は瓜坊って呼ばれてましたけど」


 今は誰も呼ばなくなったあだ名。星花せいかに進学してからしばらくは、小学生時代の友だちと連絡を取っていたけど、気づけばやり取りは皆無になっていた。


 だからもう瓜坊なんて呼ぶ人はいない。


「瓜坊ですか。可愛いあだ名ですね。瓜坊⋯、瓜坊。瓜ちゃん。うん、私はこっちの方がしっくりするかも。瓜ちゃんって呼んでもいいですか?」


 あんまりに美結先輩がにこにこしているから、私は反射的に頷いてしまった。


「それじゃ、瓜ちゃん、改めてよろしくお願いしますね!」


 あだ名で呼ばれるのは少しこそばゆいけど、悪くないかも。


 美結先輩が差し出した手を私も握り返した。

 




 美結先輩がルームメイトになってから、一緒に行動することが増えた。寮で一緒にご飯を食べたり、お風呂に入ったり。朝の登校も一緒になることが多かった。


 こんな風に隣りに誰かがいる生活は久しぶりだった。


 美結先輩はよく一色いっしき先生の話をしてくれる。それはもう楽しそうに。きっと一色先生の話をするだけで幸せなんだと思う。話を聞く度に、私なら誰の話をしたいだろうって考えて、エレナ先生を思い浮かべた。


「この間、エレナ先生とたまたまパンケーキ屋さんで会って、一緒に食事して⋯」


「瓜ちゃん、羨ましい〜! 私もいっちゃん先生とカフェデートしたいなぁ」


「デ、デート!?」


「だって、それってデートですよね!?」


「そうなのかな⋯⋯」


 確かに二人きりだったけど、会ったのは偶然だし、プライベートではそれっきりだし。デートと言われたせいか、何か頬が熱くなってきた。


 そんな話をしながら一緒に短い学校までの距離を登校する。


「瓜ちゃん、放課後は何か用事ありますか?」


「ないですよ」


「実は、瓜ちゃんに会わせたい人がいるんですよね〜。残念ながらエレナ先生ではないですけど。あっ、でもエレナ先生にある意味会えるというか⋯⋯」


「???」


 エレナ先生ではないけど、エレナ先生に会えるってどういうことだろう。


「放課後のお楽しみってことで!」


 それ以上詳しくは教えてくれなかった。でも美結先輩だから、おかしなことにはならないはず。





 そして一学期最後の登校日が終わる。帰りのホームルームを終えて教室を出ると、美結先輩と待ち合わせ場所に指定された校舎の五階へ向かう。何でわざわざ上の階を指定したのか、すごく謎だけれど。


 五階にあるのは講堂で、生徒の姿は見えない。ましてこんな一学期最後の日にここに来る人なんているわけがない。


 しばらくすると、階段から足音がした。覗いてみると、美結先輩がいた。


「瓜ちゃん、お待たせー!」


 そして美結先輩の後ろにもう一人いる。制服の上に黒い長袖のパーカーを羽織った、ショートボブの目つきが鋭い人が。一体誰なんだろう? この人がエレナ先生と関係あるのかな。


「瓜ちゃん、他に誰もいないですよね?」


「私たちしかいませんよ、多分」


 しーんと静まり返った廊下に、私たちの声が反響した。そのまま廊下の奥に移動する。


「瓜ちゃん、紹介したい人がいたので連れてきました。こちらは高等部2年2組の鮫島さめじま朋花ともか先輩です。通称、シャーク先輩です!」


「鮫島でーす。どーも」


「こ、こんにちは」


 何だかちょっと怖そうな先輩。


「実はですね、このシャーク先輩は、学園のあらゆる人物の写真を持ってるんですよ」


「しゃ、写真⋯⋯?」


 もしかして、この間美結先輩が写真を手に入れるとか何とか言ってたよね。それと関係してる人ってこと?


「頼まれてた写真、持ってきたよ」


 シャーク先輩は通学かばんを開けると、小さな封筒を二枚取り出した。


「こっちがいつもの一色先生の写真ね。こっちは英語のエレナ先生。間違いないかな」


「シャーク先輩、ありがとうございますっ!」


 封筒を受け取った美結先輩は中身を取り出して確認する。三枚ある写真はどれも一色先生だった。もう一つの封筒を渡される。中を見るように促されて、私は白い封筒を開いた。こちらにも三枚の写真。どれも学園内で撮られたエレナ先生の姿が写っていた。


「あの、これ⋯⋯」


「希望はエレナ先生って聞いたけど、間違った?」


「そうじゃなくて、えっと⋯⋯」


 どうしてこの先輩が先生たちの写真を持っているのだろう。


「瓜ちゃん、その写真はもらってもいいんですよ。シャーク先輩のご厚意ですから!」


「写真はただだから安心して。まぁ、これは趣味の延長みたいなもんでさ。ボランティアみたいもん?」


 と言われても何だかよく分からない。シャーク先輩は、趣味で先生の写真を撮ってるってこと?


「シャーク先輩は趣味で学園内の生徒先生の写真をくれる先輩なんですよ〜」


 変わった趣味の先輩だなぁ。これって本当に現実? もしかして私、まだベッドの中で寝てるのかなぁ。現実味のない事態に少し頭が混乱している。


「私の両親が探偵しててね。私もゆくゆくは家業を継ぐつもりで。探偵スキルを磨くために写真を撮ってるんだ」


「シャーク先輩はそれが高じて、人物写真を撮るのが好きなんですよね」


「そうそう。でもこっそり撮ってても楽しくないし、せっかくだから欲しい人にあげてるんだ。喜んでもらえるし。でも風紀委員に見つかったらヤバいから、内緒にしておいて」


 改めて写真を見て、私は気づいた。先日見た一色先生の写真から感じた違和感。一枚もカメラ目線の写真がなかったことを。要するに、こっそり隠れて撮った写真だから、被写体はカメラを見ていない。


「瓜ちゃん良かったですね。エレナ先生の写真あって」


「あ、うん。先輩ありがとうございます」


「いいよ、いいよ。また欲しい写真あったら教えてよ」


「私はまた一色先生でお願いしまーす!」


「相変わらずだな、栗栖くりすは。じゃ、私他の人にも頼まれてる写真あるから、行くね」


 シャーク先輩はひらりと身を翻して階段の方へと去っていった。


「⋯⋯世の中には変わった先輩がいるんですね」


 星花女子は個性派も多いけれど、私とはずっと無縁だったから、未だに信じられない。奇特な先輩もいるんだなぁ。


「シャーク先輩は知る人ぞ知るって感じですからねー。エレナ先生の写真がまた欲しくなったら教えてくださいね」


「は、はい」


 私は手にしたエレナ先生の写真を見ながら、少しの罪悪感と初めて味わう喜びにしばしひたっていた。 

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