第6話 好きという気持ち
私は
一時間ほどで美結先輩は身の回りを手際よくきれいに片付けた。今は机の上を整理している。
気さくな人だし、しっかりしてそうだし、悪い先輩じゃないのは短い時間でも伝わってきた。
教科書をまとめている後ろ姿をぼんやりと眺めていたら、机から何かがヒラヒラと舞い落ちた。そのうちの一枚が私の足元まで飛んで来た。
「しまった!」
と声を上げる美結先輩は落ちたそれらを丁寧に拾い集める。私も自分の足元に落ちてきたそれを拾った。それは写真だった。
そこに写っているのは黒いミディアムロングヘアーの女性で、紺色のエプロンをしている。私には写真の女性に見覚えがあった。
「
「わーっ!
顔色を変えた美結先輩が振り返って、私の手から写真を取り上げた。
「⋯⋯瓜田さん、見ましたよね? 見ちゃいましたよね?」
「⋯⋯はい、すみません」
見てはいけない写真だったのかな。
写真に写っていたのは美術の
でも何で一色先生の写真を美結先輩が持ってるんだろう。そう言えば美結先輩も3年2組だっけ。担任の先生だから、何かクラス行事とかで使う写真なのかも。
「あの、瓜田さん⋯⋯。お願いがあるんですけど」
「お願い、ですか?」
「はい。私がいっちゃん先生の写真を持っていたことは誰にも言わないでおいてくれませんか?」
「先輩のお願いなら、もちろん⋯⋯」
そもそも私には誰かの秘密を共有する人なんていないけれど。内緒にしてほしいってことは、クラス行事とかは関係ない写真ということだろうか。
「あぁ、よかった。絶対秘密厳守でお願いしますね。ライバルが多いですから、このことがバレるわけにはいかなくて」
「ライバル?」
「そうです。ライバルです。知られたらどうなるか分かりませんから! もしかして瓜田さんもライバル⋯⋯ってことはないですよね!?」
ぐいっと眼前まで迫られて、思わず後ずさる。
「何の話かよく分からないですけど、ライバルではないと思います」
「瓜田さんもいっちゃん先生に憧れてたり、恋したりしてないってことでいいですか?」
「⋯⋯はい」
一色先生はいい先生だと思うけど、憧れとか恋なんて考えたことない。人気がある先生だから、美結先輩も独り占めしたいって思ってたりするのかも。
私なら一色先生より、できればエレナ先生がいい。独り占めするならエレナ先生。⋯⋯って何考えてるんだ私。
「瓜田さんがライバルじゃなくて安心しました。せっかくルームメイトができたのに、ライバルだったら安寧した寮生活できませんからね」
美結先輩は写真を束ねると、白いケースの中にきれいにしまい込んだ。
それにしてもあの一色先生の写真はどこか変だった気がする。何か違和感がある。でも何がおかしいかは分からない。
それにあの写真はどうやって手に入れたのだろう。見たところ一枚や二枚なんて数ではなかった。
気になるけどそんなこと聞けるほど仲良くないし。少しもやもやしてすっきりしない。
「瓜田さん⋯。あの、瓜田さんも学園内に憧れてる人とかいます? 例えば写真が欲しくなるような」
「憧れてる人?」
「そうです。もしいれば私が写真を手に入れてきますよ。まぁ、その、さっきのを秘密にしてもらう対価というか、お礼、みたいな。学園の有名所なら確実に入手できますから」
私がそう言われて真っ先に浮かんだのがエレナ先生だった。この学園内で、誰が一番好きかって問われたら、エレナ先生以外の言葉が思いつかなかったから。
「それってどんな人でもいいんですか?」
「そうですね、あんまり有名じゃない一般生徒とかだとすぐには手に入らないかもしれませんが、お願いすれば手に入れられるのは間違いないですね」
こんなことを言われてほしくなっている私がいる。美結先輩がどうやって写真を入手するのか謎だし、すごくあやしいけれど。
「瓜田さんの憧れの人については当然秘密は守ります。どうですか?」
いけないものを売る密売人みたいな目で美結先輩が不敵に微笑んでいる。
エレナ先生の写真。ここで逃したら卒アルでもないと手に入らないと思ったら、逃したくない気持ちがふつふつと湧く。自分でもどうしてこんなにエレナ先生にこだわるか分からないけれど。
それにさっきエレナ先生がかっこいい男の人といて、胸がちくちくした。他の知らない人と親密にしてる姿なんか見たくない。これって独占欲なのかな。
「⋯⋯ちょっとくらいなら、欲しい⋯⋯かもしれないです。た、例えば⋯⋯エレナ先生の⋯⋯写真⋯⋯とか」
言ってしまった。もう後戻りは出来ない。美結先輩がどんな顔をするか不安だったけど、特に顔色は変わらない。むしろ天使みたいに柔らかな笑みを私に向けた。
「エレナ先生って英語のカワシマ先生ですよね?」
私は恥ずかしくなって声も出なくて、ただ頷いた。
「カワシマ先生も人気があるからすぐ手に入ると思います。なるほど、瓜田さんはカワシマ先生のファンなんですね」
そっか、私はエレナ先生のファンなんだ。ファン⋯⋯。本当にそうなのかな。でも大好きってことは、そういうことだよね。
「先輩も一色先生のファンなんですか?」
あれだけ写真を持っていたなら、相当なファンのはず。
「うーん、そうですね。ファンというか憧れです」
美結先輩は床に転がっていたクッションを抱えて、向かいのベッドに腰を下ろした。
「私、子供の頃から絵を描くのが好きだったんですよね。でも下手くそで。
一年生の時の美術の先生に、私が描いた犬の絵を色々注意されたんです。あげくの果てに『深海の生き物みたいだ』って言われて、それはもう散々で。でも二年生になって、その先生が辞めて美術の担当がいっちゃん先生になって。私、また自分の絵が変って言われるんじゃないかってびくびくしてて。
でもね、いっちゃん先生は『栗栖さんの絵は見てると元気が出るね。私は栗栖さんの絵好きだな』って言ってくれて。それ以来、もっと絵を頑張ろうって思って!」
語る美結先輩の目はきらめく水面のように光っていた。大切な何かを見つめる眼差し。端から見ても、美結先輩の一色先生に対する気持ちは、とても愛おしく大切なものだと分かる。彼女の瞳が物語っているから。
「まだまだ絵は下手だけど、いつかいっちゃん先生のことを描くのが夢だから、頑張ってるんです! 私の絵見ます?」
立ち上がった美結先輩は机の引き出しからスケッチブックを取り出してきた。
それは二冊あって、先輩は片方をまず開いて見せてくれた。そこに描かれているのは、正直よく分からない。良く言えば前衛芸術、かもしれない。
「これは、先輩が⋯⋯?」
「えへへ、下手くそですよね。下手ですよね。何描いてるか分かります?」
「えっと⋯⋯」
「分かんないですよねー。いいですよ。それで。これは一年前の私の絵です。それじゃ、もう一つの方を見てくれますか。これは最近の絵です」
開かれた見開きのスケッチブックには、写真のようなリアルな猫の絵とバラの絵が鉛筆で描かれている。猫の細かな毛のタッチや、バラの柔らかな花びらの質感も鉛筆だけで表現されていた。まるでさっきとは別人の絵。
「すごい⋯⋯。これも先輩が描いたんですか?」
「信じられないかもしれないけど、これも私です! 少しでも上手くなって、いっちゃん先生を描くために絶賛練習中です!」
一色先生への憧れがここまで美結先輩を成長させた。気持ち一つでここまで伸びるなんて、私は言葉がなかった。
「先輩は本当に一色先生のことが好きなんですね。ここまで変わるくらいに」
「もちろん、『好き』です」
その『好き』という一言に美結先輩の誇りがある気がした。きっと先輩は全身全霊で一色先生が好きなのだ。
こんなにも好きになれるってすごいな。私もそんな気持ちになることがあるのかな。私もいつかここまで誰かに好きな気持ちを向けることがあるのかな。何だが私は美結先輩が羨ましい。そんな気持ちを持てることが。
(エレナ先生⋯)
そして私が思い出すのはエレナ先生で。私はきっと先生のファンになってしまったから。でも、本当にそれだけなのかな。私の先生への好きの正体は何なのだろう。
エレナ先生が男の人と笑ってた。楽しそうだった。でも一緒に楽しそうにしてるなら私がいい。この気持ちは何だろう?
答えはまだ出なかった。
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ゲストキャラクター
桜ノ夜月様
「捕食」(小説家になろう)から
一色蒼さん。
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