第55話 自転車がないと帰り道もゆったりモード
昼休み中の、ちょっとした『事件』を乗り越えた帰り道でのことだ。
時間をずらして学校を出た俺と結愛は、他の生徒に見られる心配のない、俺の自宅に近い場所にある小さな公園で合流した。
「じゃ、帰るか」
「うん」
2人で肩を並べて、公園を後にする。
この日も結愛はうちで一晩過ごすらしい。紡希の部屋に置いてある私物は、1日泊まった程度ではなんともないくらいの量があるようだ。そのうち名雲家に住み着いちゃいそうだな。俺としては、まあ、結愛さえよければ、それでもいいんだけど。
「昼休みのことだけどさー」
結愛が言う。
やっぱりそこに触れてくるか。
午後の授業中には蒸し返してくることはなかったから、あるとしたら帰りの時だろうと予想していたのだが……当たってしまったみたいだ。
「慎治にしてはめっちゃ思い切ったね」
歩きながら、結愛が俺に視線を向ける。
「でも、怪我するようなことはもうしないでね」
結愛は、離すまいとするかのように、俺の右腕に左腕を絡めてくる。
非常階段で弥島を助けようとしたのも、結愛としては何らかの理由があると思っているのだろう。
「俺が、あんな無茶をしたのは」
結愛には、伝えておこうと思った。
「あそこで弥島が怪我したら、結愛が気に病むだろうなって思ったのもあるんだけど、俺には、出ていった母親と、結愛を勝手に重ねちゃったところがあるんだよな。ここで何かしないと、あの時の繰り返しになるかもしれないって思った」
あの時はほとんど無我夢中だったけれど、冷静に思い返すと、俺にはそういう恐れがあったのだ。
母親のことは、以前も結愛に話していて、未だ母親に執着していることを指摘されてしまったから、またか、と呆れられる恐れはあった。
「それで焦った結果が、あれなんだろうな」
「じゃあ、昼休みの時も?」
「……あの時は、結愛のことを考えてたかな」
結愛がクラスの仲間と揉めてしまうことだけは避けたいと考えた時、結愛のことは考えても、母親のことは考えなかった。
純粋に、結愛が傷つくようなことにはなってほしくない気持ちだけがあった。
「よっし!」
「うわっ、どうした?」
突如結愛が飛び上がって勝利の凱歌を上げたものだから驚いた。しかも滞空時間がやたらと長い。
「だって、それって私が慎治のお母さんに勝ったってことでしょ!?」
空の旅から帰ってきた結愛の瞳には、星屑みたいな光が煌めいていた。
「まあ、そういうことになるのかもな……」
「えへへ、岩石落としからの片エビ固めで勝利って感じ?」
「勝ち方の例えが物騒すぎるだろ。あんなんでも一応俺の親だぞ。……まあいいけどさ、ずいぶんと結愛らしくないボキャブラリーだな」
「瑠海から教えてもらった」
だと思った。
プオタがバレて以降、桜咲はやたらと結愛にプロレスネタを振っていたからな。
「まー、私はもうチャンピオンベルト的なモノはもう慎治からもらってるから。勝って当たり前だよね」
結愛は、手首に巻いてあるブレスレットを見せびらかしてくる。
自分が渡したプレゼントとはいえ、そう嬉しそうにされると照れくさくなるな。
「慎治は、私のために頑張ってくれてるよ。結局さー、何をした、とかじゃなくて、慎治が私のためにしてくれたから嬉しいんだよ。気持ちが大事で、それがすごい劇的かどうかじゃないんだよね」
結愛は、握っている俺の腕を振り回す勢いで腕を振ってきた。
まあ、結愛がそう言ってくれるなら、いいんだけどさ。
「でも、よかったね。昼休みのあと、弥島くんが話しかけてくれたじゃん?」
「まあ、あいつもバツが悪かったんだろうな。ずっと黙ってて」
結果的に弥島の盾になってしまったわけだけど、午後の授業の休み時間中、俺に話しかけてきたのだ。
『名雲、色々迷惑かけてごめんな』
こっそりと謝罪をしてきた。
非常階段でのことにしろ、昼休みのことにしろ、俺としては結愛を守るためにしたことなので、弥島に謝ってもらいたいとは思っていなかった。怪我したことを根に持ってもいないし。
それでも、弥島の気持ち自体は嬉しかった。
「慎治、弥島くんとフツーに話せてたじゃん」
「結愛とか、桜咲のおかげかもな」
結愛が言う通り、俺は挙動不審になることなく、今まで会話をしたことがない弥島ともそれなりにやりとりができてしまった。
これも日頃、結愛や桜咲と関わったおかげだろう。だが、弥島も弥島で、話してみるとそう悪い印象はなく、むしろ話しやすかった。あいつ、陽キャのクセにホラー映画に明るいんだ。『タイタニック』は恋愛映画の被りものをした海洋パニックホラー映画なのだからレンタル屋はホラーの棚に置くべきだ、という俺の主張にも同意してくれたしな。
「怪我のおかげで、いいこともあったね」
「まあな」
結愛の言う通りだと思う。まさに怪我の功名だ。
「でもさー、1つだけわがまま聞いてもらっていい?」
少しうつむきながら、結愛が言う。
「私の前では、他の子が知らない慎治でいてほしいところもあるんだよね」
すると結愛は、小首をかしげて、ふと考える仕草をする。
「やっぱ、ちょっとわがまますぎかな?」
「いや、いいんじゃない?」
思わず、結愛の手を握る力が強くなってしまう。
「……俺も結愛に対して似たようなこと思わなくもないし」
「じゃあ、帰ったら早速他の子が見たことない私を見せてあげるから、慎治も付き合ってよ~」
やたら甘い声を出してくる結愛が、手を繋いだまま俺に肩をくっつけてくる。
「お前が何をやりたがっているのか聞くのが怖いし怪我人は丁重に扱ってくれ……」
「だいじょうぶだよー、慎治は寝転がってるだけでいいんだから」
相変わらずグイグイ来るな、このギャルは。
「悪いが、紡希が今日は料理当番をするって言って聞かないんだよな。そんな悠長なことしてるヒマはないぞ。お前は紡希の料理スキルを甘く見すぎている」
え、そんなヒドいの? という顔になった結愛は、一気に心配そうになった。
「結愛も協力してくれ。オリジナリティという呪いから解き放つことができるかどうかに、俺たちの明日がかかっているんだから」
そう、俺たちの戦いはこれからだ。
……なんだか打ち切りみたいな雰囲気の不吉なノリになってしまったものの、俺と結愛と、そして紡希の日常は当然ながら今日も明日も続いていく。
今日俺は、自分の中で少しだけ何かが変わった気がするし、クラスで起きたちょっとした変化を思うと、そう的外れなことではないはずだ。
俺だけでなく、結愛や紡希だって、少しずつ変わっていくに違いない。
けれど俺は。
隣に結愛がいることだけは、変わらなければいいなと思ってしまうのだった。
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