第39話 調子が悪くて調子いい結愛
期末試験本番が、刻一刻と迫っていた。
明後日になれば、試験の1日目を迎えることになる。
この日、結愛は俺の部屋に来て勉強をしていた。
結愛の勉強を俺が見ることができるのは、この時間だけだ。結愛が家にいる時は、自分の力だけで勉強してもらわないといけない。
結愛にとって、相変わらず鬼門は数学だった。
本番直前の今、どれだけできているのか確かめるために、市販の問題集から設問を抜粋した自作の小テストをやらせてみたのだが……。
「……結愛、これヤバいぞ……」
自室の丸いローテーブルの前に座る結愛の隣で、俺は採点済みの答案用紙を持つ指先を震わせていた。
「うーん、最近なんか調子悪いんだよねー」
悪びれもせずに、結愛が舌をぺろっと出す。
俺が見る限り、なんだかふざけ半分だった初日を除けば、結愛は真面目に勉強していた。これなら苦手な理数系科目でも赤点回避どころか平均点以上は狙えるのでは? と思えるくらいだった。
俺の目が届かないところでも、ギャル仲間と勉強会を開いていたくらい熱心だったはずなのに……どうしてこうなった?
自慢じゃないが俺の小テストは、テスト本番に問題用紙を前にして、『これ名雲ゼミでやったやつだ!』とイキり散らせるくらい精度が高いと自負している。友達と交流する時間を勉強に費やしてきた勉強の鬼である俺が、数多の問題集に挑む過程で、出題される頻度が高い問題だけを選びぬいて作成したのだから。
この時点で、小テストで赤点レベルの点数しか取れない結愛は、本番でも同じ目に遭う可能性が高い。
「結愛、家でもちゃんと勉強してたよな?」
「してたよー」
結愛が口を尖らせる。
「でも慎治のこと考えてる時はぜんぜん勉強が手につかなかったんだけどねー」
などと冗談を言ってみせる結愛だが、もしかしたら、勉強が手に付かない理由……結愛の気分を不安定にさせる、つまり両親絡みのことで何かあったんじゃないか?
そう考えると、俺にはもう心配な気持ちしかなかった。
今から、俺がしてやれることで、何かできることはないだろうか?
家族の問題に踏み込むことは難しくても、勉強のサポートならできる。なんだったら、俺の勉強時間を削ってでも結愛の勉強を見たい気すらしていた。
「そうだ。合宿やろ。試験の前の日に、泊まり込みで」
突然、いいこと思いついた、とばかりに結愛が言った。
「慎治が1日つきっきりで勉強見てくれたら、本番でも高得点間違いなしじゃない?」
合宿……か。
それなら、俺でもできる。俺がついていれば、結愛の注意が勉強からそれることを防げるかもしれないし。
ただ、問題は場所だ。
ホラー映画合宿の時のように俺の家だと、大はしゃぎの紡希が結愛に「遊んで」なんて言ってきて勉強にならなさそうだ。
「かといって、結愛の家ってわけにも……」
「おっ、うち来る?」
結愛は乗り気なようで、身を乗り出してくる。
「……いや、でも、そうなると紡希が1人になっちゃうんだよな」
親父は今、アメリカに遠征中で、俺が結愛の家で1日を過ごすことになってしまったら、紡希が取り残されてしまう。
百花ちゃんという親友がいるのだから、紡希の精神状態はかなり落ち着いているに違いない。だが、俺はどうしても、紡希が名雲家に来たばかりの時の、1人の部屋で彩夏さんを思い出して泣いてしまっていた頃の印象が頭から離れなかった。
「そっか。紡希ちゃんのことがあるもんね」
結愛にとっても、紡希のことは大事な問題と思ってくれている。
それまでグイグイ来ていた結愛もトーンダウンしてしまった。
「でもほら、結愛の勉強だって俺はどうにかしたいんだよ」
結愛の成績は心配だが、だからといって紡希を置いて結愛の家へ行くことはできない。
そうして腕を組んで悩んでいると。
「話は聞かせてもらったよ」
扉がギィ……と開いたと思ったら、出入り口の枠に背中を寄せて腕を組む紡希がいた。どうしたんだよ、ハードボイルドだな……。
「シンにぃ、心配しなくていいよ。ちょうどわたし、百花の家にお呼ばれしてるから」
「お呼ばれ?」
「この前、百花と一緒にごはん食べたでしょ? そのお礼に、今度は百花が夜ごはんつくってくれるんだって。なんか、聞いたら泊まってもいいよーって言ってた」
そう言っている間にも紡希はぴょんぴょん小刻みに跳ねていて、すっかり百花ちゃんとのお泊り会に思いを馳せているようだ。
まあ、紡希がそうしてくれるのなら、今の問題は解決してしまうのだが。
「じゃあ、うち来ちゃう?」
再度結愛が訊ねてくる。
「そうした方がいいよ! 結愛さん家、行っちゃお!」
ロケットのごとく飛んできた紡希に、目の前で圧を掛けられてしまう。
「一晩中1つの部屋に2人きり。何も起きないはずがなく……」
「そうだな、一晩中2人きりだったら成績アップするよな」
「あら? とぼけちゃって」
百花ちゃんはいないというのに大人ぶりモードに入った紡希が、肩に掛かった髪を払うような例の仕草をする。
紡希め、まさか、周りの人の優しさによって成立している大人キャラを自分の実力と勘違いして都合よく使い分けようだなんて考えてやしないだろうな?
「ふっ、アップするのは一体どこなのかしらね」
「紡希、それ以上続ける気なら今月のお小遣い全額カットだぞ?」
「シンにぃやめてよぉ~、せめて『月刊KOWAI!』を買える分だけはちょうだい~」
カネの問題をチラつかせた途端に元の紡希になって泣きついてきた。
「紡希ちゃん、慎治はうちに来てくれるから、そんな心配しなくていいんだよ?」
そんな紡希を優しくフォローする結愛だった。
「結愛さん……うちのシンにぃを……男にしてあげて。あとは頼んだよ」
結愛に向けて手を伸ばし、ガクッ、と口で言いながら倒れ込む紡希。
「そんな大仁田劇場みたいな茶番はいいから、ほらほら、百花ちゃんに『泊まっていいって言われちゃった!』ってこどもっぽく元気に伝えてこい」
俺は死んだふりをする紡希を転がし、部屋から追い出す。
紡希を雑に扱うようで嫌だが、これ以上おかしな言動をさせないようにするには、そうするしかなかった。
懸念の紡希の問題が片付いた以上、結愛の家で合宿を行わないわけにはいかなくなる。
「結愛の成績が壊滅的だから、合宿をするんだってことを忘れるなよ?」
予定が決定したことで、結愛と二人っきりになることを否が応でも意識させられ、緊張を誤魔化すために俺は言った。
「はいはい、わかってるよ。合宿の日の夜ごはんはなにがいい? 夜食もあった方がいいよね?」
一応、夜通し勉強する程度のやる気はあるようだ。まあ、試験本番で眠くなったら元も子もないから、徹夜は絶対にしないしさせないけどな。
「うちにはベッド1つしかないから、寝る時は一緒ね」
「おい待て」
さらっととんでもないことを口にしなかった?
「なんで? だって、慎治のとこみたいに予備の布団なんかないんだけど?」
「俺は……床で寝るからいいよ」
「だめだよ。せっかく私に勉強教えてくれるのに、床に放り出すなんて悪いでしょ」
結愛は俺の腕を取って、グイグイ押したり引いたりする。
「人ん家の慣れないベッドで寝ようとしたらいつもと感覚違くて寝れないだろ? 寝不足でテスト本番で力を出せなかったら大問題だ。だが床の感触はどこの家も大差ない。……だから俺は床で、寝る……!」
言うに事欠いて俺は、そんな言い訳をした。
「なんでそんな意地張っちゃってんすか」
にや~っとする結愛が、俺の頬をつんつんつついてきて、終いには唇まで、ぐにぐに指先で押してきた。
「慎治~、私はたんに、寝る場所を提案しただけだよ? ベッドじゃないけど、慎治とはもう一緒に寝たことあるし、その時はなにもなかったじゃん。なんで今回はえっち込みで考えちゃってんの?」
この煽りは効いたよ。ガツンと来た。
「慎治の頭の中では、私はどうなっちゃってんのかな~。ふふふ」
何故だ。俺は結愛を尊重するために同衾を拒否していたというのに、これじゃ俺がとんだ下心野郎みたいじゃないか……。
「まー、いいや。そういうの込み込みでいいから一緒に寝よ? 慎治を床に放り出して私だけベッドなんて、慎治に悪い気がして寝不足になっちゃうから」
毎度のことだが、結愛は一度言い出すと聞かないところがある。
結愛からすれば親切のつもりだから、ここで意見を引っ込めることはあるまい。
よく考えてみると、ここで頑なに同じベッドで眠ることを拒否するのは、結愛ではなく下心がある俺の問題のような気がしてきた。同衾したからといって手を出さないといけない決まりはないだろう。大人の世界のルールは知らんが、俺はまだ子どもだから、それでいいはず。結愛の言う通り、以前同じ布団で一緒に寝た時は何もなかったしな。まああれは結愛の寝相が悪いせいで起きた色気皆無な出来事で、胸にマシンガンチョップを食らうという忘れられない痛みを残した夜になったわけだけど。
「そんな構えなくたっていいじゃん。一夜のあやまちがあっても、テストで間違わなければいいんだから!」
「上手いこと言ったみたいで大問題だからな?」
もしかして紡希は、結愛のこういうところに悪い影響を受けているんじゃないだろうなぁ、と心配になる。
寝床問題は未解決ながら、こうして俺は、結愛の家にて泊まりで勉強することになった。
合宿、再び。
しかし今回は、間に入ることで二人っきりの恥ずかしさを紛らわせてくれる紡希はいないのだ。
そもそも俺は結愛の家に行くことが初めてなんだよな。
異性の部屋に足を踏み入れるなんて大事件を前にして、緊張するなという方が無理である。
期待やら不安やら何やらが色々混ざって、テスト本番が控えているというのに体調不良にでもなりそうだ。
とはいえ、ここ最近は、あいにく俺も勉強に集中しにくくなっている精神状態だった。
案外、結愛との勉強合宿は劇薬として有効かもしれない。
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