第38話 プロレスラー・名雲弘樹の答えの出し方
2人の問題が解決すると、俺と紡希も混じってお茶会が始まった。
唯一の初対面同士だった紡希と桜咲だが、桜咲からすれば紡希は、「親友である結愛の年下の友達」で、紡希からすれば桜咲は「憧れの結愛の親友」なので、お互いに「高良井結愛が大好き」という共通項があったおかげで、打ち解けるのも早かった。やっぱ女子ってコミュ力高いわ……。
「結愛っちさー、名雲くんと話してる時にプロレスの話になんない? もしかして誰か知ってるプロレスラーいる?」
高良井式◯ッキー食いを早速実践しながら、桜咲が訊ねる。
「んー、名雲弘樹って選手なら」
そう答えるしかないだろうな。唯一知っているし、面識があるし、なんなら一緒にメシ食った仲だもんな。まあ目の前に『名雲弘樹以外認めん!』という格好をしているヤツがいれば、たとえ他の選手を知っていたとしても親父の名前を挙げるしかないだろうな。
「結愛っちも名雲のファンだったの!?」
拡大解釈をした桜咲は文字通り飛び上がる。
「有名な人なんでしょ? 名前と顔くらいは知ってるよ?」
結愛が親父の名前を出した時、あの人名雲くんのお父さんなんだよ? とカミングアウトしてしまわないか心配になったのだが、そんな様子は見当たらなかった。親友同士互いに秘密を打ち明けた直後ということもあり、オープンな雰囲気になって俺の秘密まで口にしてもおかしくない雰囲気だったんだけどな。その辺、結愛は賢いというか、しっかりしているのかもな。
「名前と顔知ってるだけでファンの素質十分だよ! とりあえずこの試合とこの試合は、名雲初心者でも名雲の魅力がわかっちゃうから観てほしいんだけどー」
桜咲が結愛の前にスマホを向けようとする。
「桜咲さん、オタの悪いところ出てるぞ……」
布教に必死になるあまり、結愛にグイグイ迫りすぎていた。
「いいじゃん。せっかくだし、瑠海が好きな名雲さんの試合見せてよ」
「さっすが結愛っち。名雲くんとは違うね! 名雲くん、ほら早くセットして」
俺を小間使いのように扱う桜咲は、配信動画をテレビに映すように要求してくる。
なんだか腹が立つ態度だが、仲直り記念ということで大目に見てやろう。
ついさっきまで観ていた試合ではなく、桜咲が名雲の名勝負として選んだ試合を観ることになる。
「名雲は試合はもちろんだけど、入場も凄いんだよね。入場だけでお金取れる、って言われてるくらい凄いんだから! 名雲くん、入場シーンカットしないでね」
プロレスラーにとっては、入場曲とともに登場するところも大事な見せ場の1つだからな。これだけで観客を満足させてしまうことだってあるくらいだ。
桜咲の要求通りの試合を再生すると、親父の入場シーンが始まった。
今よりずっと若く、コスチュームも今より時代を感じるデザインだ。若い上にヒゲがないせいで爽やかなイケメンにしか見えないのが、俺からすると違和感あるんだよな。
「結愛っち、名雲が入場する時には、曲に合わせて合いの手を入れる決まりがあってね」
入場シーンを見せる、と桜咲が言い出した時点で嫌な予感はしていたのだ。
けれど、仲直りをしていい雰囲気になっている場を乱すほど、空気の読めない俺じゃない。
「ほら、スモークから現れて、後ろで火花がどーん! って鳴って花道を歩いてくるから、曲に合わせて……」
海外のヘヴィメタルバンドに依頼してつくってもらった経緯がある勇ましい曲に合わせて花道を歩く、今より若く膝の状態もずっといい親父が映る中、桜咲は。
「せーの、『ケ~ェ~カ!』『ケ~ェ~カ!』『ケ~ェ~カ!』」
当時の会場にいた観客が響かせている雄叫びに合わせるように、桜咲は天に拳を突き上げ、『ケーカ』と連呼する。
嫌な予感が的中した。
桜咲が、10年以上前の『1・4(イッテンヨン)』ドーム大会を持ち出した時点で、こうなるとはわかってはいたのだが……。
「瑠海、『ケーカ』ってなに? なんかみんなめっちゃぶちアガってるけど?」
戸惑いながら拳を上げ下げしていた結愛が、桜咲に問う。
大会場にいる観客が一体感に包まれている感動的な光景も、経緯を知らない人からすれば、意味不明に思えるだろうな。
「元々、『ケーカ』ってチャントは名雲のアンチが野次るために使ってたんだ」
桜咲が答える。
「『ケーカ』っていうのは、『
「あっ、そうなの……」
結愛の視線が一瞬だけこちらを向いた。
名雲弘樹の元妻ということは、まあ、そういうことだからな。
「だから、元々はアンチは悪口のつもりで使ってたけど、名雲はメンタルお化けだから、そんな状況を変えちゃったんだよねー。ほら、この試合の時にはもう会場がめっちゃ盛り上がってて、フツーに応援っぽいでしょ? 声援もブーイングも、選手に向けた熱いメッセージって意味では同じだからね。名雲はマイナスのものでもプラスにしちゃうパワーがあるんだよ」
桜咲の言う通り、この合いの手みたいチャントは親父が入場する時の定番になり、団体を背負うトップ選手へと成長を遂げた証となった。
桜咲に合わせて、俺は言う。動揺していないアピールとして。
「……離婚騒動が出る前は、若手時代のノリを引きずってやたらと元気にリングに向かってたのが、夏にやる大きなリーグ戦の『グレイテスト・リーグ』を通して、野次やブーイングを目一杯浴びるみたいに時間をかけまくって入場するようになったからな。日本ではずっとベビーフェイスだったのに、ここからヒールターンしたんだ。顔つきもなんかふてぶてしいだろ?」
「そうそうそ! 華やかでも優等生っぽくて物足りなさもあったから、名雲は人気があってもアンチも多かったんだけど、離婚スキャンダル後の『GL』でちょっとずつ流れが変わっていって、そこで優勝して、とうとうこの『1・4』のメインイベントで、アンチも認めさせるくらい大化けしちゃったっていうか!」
それまで爽やかな優等生キャラでアイドル的な売り出し方すらされていた親父なだけに、女性問題でのやらかしは、本人にとってもファンにとって大ダメージだったはずなのだが、ヒールターンを選択することで、かえって親父はファンを増やしてみせたのだった。
それは親父なりの、離婚問題に対する決着の付け方だったのだろう。
世間から貼り付けられた悪いイメージを、あえて真正面から受け止めることで、自分の新た一面を世間に提示して、受け入れられたのだ。
プロレスラーである親父はそうして乗り越えたのだが、俺は親父とは違うからどうすることもできない。
結愛が気にした通り、『篠宮恵歌』は俺の母親だ。
奇しくも親父が大化けしたのと同じ位の時期に、幼い子どもを抱えた若いシングルマザー役で出演した映画で、誠実でひたむきな役柄を演じきった力量が評価されて各賞を総なめにしたことで話題になり、今もドラマや映画に引っ張りだこの人気者である。
世間のそんなイメージを耳にするたびに、俺はいつも違和感に襲われる。
あいつは、そんな善玉じゃないからな。
「――じゃあ慎治、また明日学校でね」
帰り際、結愛が言った。
「ああ」
桜咲と一緒に駅へ向かう結愛の背中を見て、俺は思った。
この時間だって、いつか突然終わるかもしれないんだよな。
母親がいなくなった時みたいに。
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