第33話 昼休みの尊い空間

 親父が長期間の海外遠征へ出発した翌日。


 この日の昼休みは、屋上を利用していた。

 結愛と一緒に来ることが多いこの場所だが、今日はもう1人いた。


 桜咲である。


 フェンス前にある縁に腰掛ける俺を挟み込むかたちで、結愛と桜咲が座っている。


「ねー、慎治。これ昨日の残りなんだけどさ、手作りだし味が染みてておいしいから食べてみてよ」


 一緒にいるのは、親友である桜咲なので、もちろん結愛は嫌な顔をすることなく、いつもどおりに接してくる。自分の弁当からハンバーグを箸でつまんで、俺の口元へ持っていこうとしていた。


 結愛から餌付け……もとい、あーん、されることはそれほど珍しくなくなっていたので、口を開けることもやぶさかではないのだが、隣が気になった。


『結愛っちから食べ物をもらうなんてご褒美、瑠海が許さないんだから! 処す!』


 とか。


『あんた早く口開けなさいよ。なにもったいぶってんの、名雲くんのくせに』


 とか。


『名雲くんが食べるより先に瑠海が食べる! 結愛っちの手ごねハンバーグを通して瑠海も結愛っちの一部になるの!』


 などと、いつものマッドドッグなノリを出してくれるのなら、俺も反応のしようがあったのだが。


 桜咲は、獰猛なところを見せることなく、そわそわした様子で落ち着きがなかった。


 俺は桜咲を熟知しているわけではないが、ここ最近の態度から察するに、プロレストークをしたいのだろう。桜咲が俺にくっついてくる理由なんて、それくらいのものだ。


 だが、結愛がいる手前、それもできない。


 だからといって、結愛を疎ましがるようなことをしないのが、桜咲が桜咲である所以である。


「瑠海もいる?」


 そこは結愛のことなので、いつもとの違いを感じ取ったらしく、桜咲に話を向けた。


「……いる」

「いるのか」


 俺は言った。


「結愛っちからの施しなんて、もらうに決まってるでしょ」


 桜咲は、まったく躊躇うことなく結愛から、あーん、をしてもらう。俺の目の前でイチャついてんなぁ。ああ、この感じ、この前百花ちゃんが描いてたマンガの雰囲気と同じだ。尊いなぁ。


「おい桜咲、その箸……」


 見過ごせないことがあって、俺は言った。


「はいはい、名雲くんとの間接キスでしょ」


 どうということはない様子で、桜咲は言った。

 まあ、桜咲の俺に対する態度なんて、こんなもんだ。人を人と思っていないのだろう。


「へー、瑠海、珍しいじゃん」


 ニヤニヤしている結愛が気になった。


「瑠海って、『間接キスとかないわ~、回し飲みもないわ~、男子が口つけたものに口つけたくないし』って前言ってたんだよね~」

「なっ!」


 桜咲が、ぐりんと首を結愛へ向ける。


「それだけ慎治に気を許してるってことだよね?」


 普段俺に向けられているからかいの表情が、今は桜咲に向けられていた。


「やっぱり、瑠海も慎治のこと好きなの?」


 よりによって、厄介事に巻き込まれそうな煽りをしてくる。


「いや全然」


 桜咲から感情が消えていた。

 桜咲が大慌てで否定したせいで修羅場っちゃうかも、なんて一瞬でも期待した自分が恥ずかしくなる。


「瑠海の好みの体重じゃないから」

「えっ、体重?」


 結愛が聞き返す。


「ち、違うってば。身長っていい間違えたの! 瑠海はもっと背が高い人が好きだから~」


 なんでそこで動揺するんだよ。いや、ヘビー級の体格を好む桜咲としては、自分のプロレス趣味がバレるかもしれないと恐れたからだろうけれど。とりあえず俺のことはまったくもって恋愛対象外らしいな。


「だいたい、名雲くんは結愛っちの彼氏でしょ!」

「瑠海……やっと慎治のこと認めてくれたんだね!」


 結愛は今にも抱きつきそうな勢いだった。


「認めてないよ」


 桜咲は、俺に対して思い切り舌を出した。


「……でも、名雲くんは結愛っちに好き勝手告白する男子とは違う気がするし、そういうところはちょっとだけ認めてあげてもいいかも」

「やったね、慎治。これで瑠海の前でもイチャつけるよ!」

「イチャつくのはナシ……!」


 桜咲は、今にも白目になりそうなくらい鬼の如き形相をしながら、俺の腕を曲がらない方向に伸ばそうとしていた。


 いくら俺を意識していないとはいえ、目の前でカップルがイチャコラしているところを見ていて楽しい人間なんていないからな。


「だって瑠海がいる時は、瑠海にかまってほしいから!」

「かまうかまう~」


 結愛は、桜咲の隣へと移動する。


 綺麗な顔立ちの女子2人がイチャつき始める。尊い。


 俺より桜咲を優先させたことに一瞬の寂しさを覚えるものの、たまにはこういうのもいいか、という気分になった俺は、のどかな昼下がりの休憩時間に、体と同時に心への栄養を摂取することに成功したのだった。

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