第34話 真名と新たなる賑わい その1
放課後、平日ながら百花ちゃんが遊びに来た。
この日、俺は結愛の勉強を見るつもりだったのだが、あいにく結愛は教室のギャルグループで集まって勉強する予定があるらしい。仲間内で赤点を回避するために知識の共有をしようというのだろう。どんなかたちであれ、勉強をしてくれるのなら俺としては言うことはない。
階下で女子中学生組が楽しそうにしていると、1人で試験勉強をするなんて慣れっこのはずなのに、どことなく寂しさを感じてしまう。
この日は百花ちゃんの姉が迎えに来てくれるそうで、この前より長い時間紡希と遊んでいた。
百花ちゃんが帰る時間になると、俺も庭まで一緒についていって見送ることにする。もうすっかり暗くなっているからな。一応、男手があった方がいいだろう。
百花ちゃんの姉は、もう近くまで来ているらしい。家の前を通りかかればすぐわかるように、俺たちは庭で待っていた。
夏休みになったらここに集まって花火とかやりたいよね、なんて微笑ましい提案が、女子中学生組から出てくる。うちの庭は広いから、花火をするくらいなら余裕だ。なんだったらバーベキューだってできるぞ。
百花ちゃんは、この日もタブレットPCを持ってきていた。今もペンをぐりぐりとディスプレイの上に走らせている。
「百花ちゃんは本当に絵を描くのが好きなんだな。昔から描いてたの?」
俺は言った。
「始めたのは、わりと最近なんですよ。私、ずっと自分には絵なんて描けないって思ってて」
百花ちゃんが言う。
「でも、お姉ちゃんに言われて始めたら、自分で思ってたより好きに思えて、長続きしてるんですよね」
「百花ったら、すごいのよ。フォロワー数20万人超えのアカウントを持っているのだから」
紡希が言った。まるで自分のことのように胸を張っている。
紡希から言われて、シイッターを開いて百花ちゃんのプロフィール欄を見ると、たしかにたくさんのフォロワーがついていた。以前紡希がアカウントをつくった時、プロフィールに【女子中学生です】と書いてある他に内容のあるシイートなんてないのにやたらとフォロワーがついていて、慌てて一旦アカウントを削除するように注意したものだが、その時の数字なんて目じゃないくらい多い。
だが、気になることがあった。
「百花ちゃん、大きなお世話かもだけど、シイッターで本名出すのは……」
「慎治兄さんには言ってなかったっけ?」
紡希が怪訝そうにする横で、百花ちゃんが言う。
「あっ、実は、私の名前ってペンネームで」
「ペンネーム?」
「イラストを投稿する時だけ名乗ってたんですけど……つむちゃんが学校でもこっちの名前で呼んできちゃうから、いつの間にか本名よりこっちが定着しちゃって」
「百花は引っ込み思案なところがあるから、有名な方で呼んで自信をつけさせてあげようと思ったのよ」
紡希が答える。
「こんなにフォロワーがいるすごい百花が、控えめにしてたらもったいないから」
いつもの俺だったら、そんな見ず知らずの人間の指先一つで決まった数を自分の評価基準にするんじゃない、と言ってしまっていただろうが、誇らしげな紡希を前にすると、それもアリだなと思えてしまった。SNS上で支持されていることは、中学生からすれば十分すぎるステータスだ。そんな「社会的地位」が高い百花ちゃんがフォローすることで、紡希のクラス内の立場が保たれているところもあるのだろうし。
「でもわたしにとっては百花は百花で、名前がどうだろうと関係ないわ」
紡希は、隣の百花ちゃんの腕に抱きつく。紡希からすれば、どんな呼び名だろうと百花ちゃんそのものを好きなのだろう。
「私も、どんなつむちゃんでも好きだよ」
百花ちゃんは微笑みで返す。
目の前にいる紡希が、背伸びをした姿であることを知っている百花ちゃんの発言なだけに、俺も安堵してしまう。百花ちゃんの前でなら、今後紡希も自分が一番落ち着く姿でいられるようになるかもしれない。
「変な百花。わたしはイラストなんて描けないのだから、わたし以外になりようがないわ」
百花ちゃんの意図にまったく気づく様子を見せない紡希は、のんきにぷふっと吹き出した。
大人ぶった紡希より自然体な百花ちゃんの方がずっと大人だ。下手したら俺より落ち着きと包容力があるぞ。もし俺が似たような状況だったら、秘密を隠していたことに動揺してその後の付き合いに影響しかねないからな。
紡希にいい友達がいてよかった。
紡希が学校でボロを出さないのは、紛れもなく百花ちゃんの働きによるものだ。感謝の証として、今後、我が家に来るたびに何かしらお土産を持たせることにしよう。
「そっか、ペンネームだったのか……」
じゃあ本名はなんていうのだろう、と疑問に思っていると。
「私が絵描き始めたの、お姉ちゃんのプロレス好きがキッカケなんですよね」
嬉しそうに、百花ちゃんが俺に教えてくれる。
ここで俺は、ん? って思ったよ。
「お姉ちゃん、好きなプロレスラーの人がいるみたいで」
百花ちゃんはスマホを取り出して、何やら操作をしたあと、画面をこちらに見せてくる。
「自分はイラストが描けないから代わりに描いてって言われて、それで始めたんです。こういうの、ファンアートっていうですけど」
百花ちゃんが見せてくれたシイッターの画面には、色々な人がそれぞれのタッチで描いた、イラスト化されたプロレスラーの姿があった。アメコミ調からレトロゲー風ドットキャラやら、どういうわけか少女漫画風のものまであって、バラエティに富んでいた。まさかこんな世界が広がっているとは、SNSに弱い俺は知らなかった。
「お姉ちゃんが好きなプロレスラーの人、名雲弘樹さんっていうんですけど。私がこういうイラストをシイッターに上げていれば、そのうち名雲選手が見つけてくれて、アカウントに返信が来たら名雲選手と繋がれるかもしれないってお姉ちゃんが言ってたので、今まで続けてきたんです」
妹をダシにして推しと繋がるゲス行為をしそうなギャルの顔が頭に浮かぶのだが、それでも俺は別人と信じようとしていた。こんな素晴らしい人格を持った百花ちゃんと血が繋がっているとは考えたくなかったからだ。
さっきは百花ちゃんのアカウントのプロフィール欄くらいしか見ていなかったが、シイートを辿っていくと、本来百花ちゃんが描きたいのであろう可愛らしいイラストの途中でサブリミナルのごとく親父のイラストが現れる。少年漫画風でも浮いてんなぁ、親父。百花ちゃんのフォロワーは、どうして時折こんなものを描き出すのかわからなかっただろうな。
「でも、なかなか名雲選手って、グッドをくれたりリシイートしたりしてくれないんですよね」
それは親父が機械オンチだからで、シイッターの使い方を未だによくわかっていないからだろうな。もし親父が、自分のファンが自分の姿を描いたと知ったら、堂々とリシイートで取り上げて自慢するだろうから。
「お姉ちゃんの考えた通りにはいかなかったんですけど、おかげで私は趣味ができて、イラストを描くだけで楽しかったし、みんなに褒めてもらえて自信にもなったから、お姉ちゃんには感謝してるんです。このタブレットPCもお姉ちゃんが買ってくれたんですよ」
百花ちゃんは、嬉しそうにタブレットPCを抱きしめる。
どこぞのゲスなプオタ姉の理由はどうあれ、結果的には百花ちゃんのためになっているということか。
「じゃあ、本当の名字は『桜咲』だね?」
そう訊ねると、百花ちゃんは不思議そうに首を傾げる。
「どうして私の名字を――」
知っているんですか、と言いかけた時だった。
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