第31話 親父の探しもの その1
夜。
親父が部屋で荷造りをしていたので、俺も手伝っていた。
期末試験が控えている身だから、勉強に集中したい気持ちはあるのだが、親父は明日からアメリカへ遠征に旅立ってしまい、しばしのお別れになるからな。ちょっとした親孝行をすることにしたわけだ。
「ペイッ!」
「親父、力技で無理やり収めようとするなよな。あとで破裂するぞ」
スーツケースに向けてストンピングするなよな。壊れるぞ。
親父は昔からパッキングが下手なので、遠征する時の荷物はたいてい俺が詰めることになっていた。遠征先で荷物がどうなるのか、俺は知らないけどな。
「親父、今度はこれ持っていくのか?」
俺は、ホラー映画の怪物みたいなおどろおどろしいデザインのラバーマスクがスーツケースに入っているのが気になった。
「ああ。プエルトリコの団体からもオファーがあってな。オレじゃなく、オレの相棒をご指名なんだよ。小せぇトコなんだけど、若い頃世話になったからなぁ。恩返ししてやらなきゃなんねぇんだわ」
親父は言った。
プロレスラーは、いくつもの『顔』を持つこともある。
親父も例外ではなく、名雲弘樹という素顔以外にも、別の『顔』を持っている。今でこそ、コンディションの都合で素顔以外のキャラクターでリングに上がることはないが、若い頃は怪奇派系、コミカル系、ルチャ系、と、マスクを被り分けることで色々なスタイルで闘うことができたらしい。中の人が全部別人なのではと思えるほど、見事に使い分けていたそうだ。
「親父、今度紡希にキャラの作り方教えてやってくれない?」
この前の紡希の一件を、俺は親父に伝えていた。一応、家族には教えておかないとな、と思ったのだ。
「いいけどよ、『相棒』はちょっと忙しいからな。ヒマになりそうだったら、『代理人』としてオレが伝えとくからよ」
「親父、俺の前ではそのギミックいいから。『相棒』も『代理人』も親父のことだろ」
「違う。オレとは別人だ。今度よく見てみろ。上腕三頭筋と腹斜筋のカットがオレと全然違うだろ」
俺のはこう! と、突如Tシャツを脱いだ親父がポージングをして筋肉を強調する。
この期に及んで親父は、マスクマンとしての姿を、自分とは別人、と言い張るのだ。
今に始まったことではないから別にいいけどな。これも親父なりのプロ意識なのだろうし。
「ていうか最近、よく海外行くな?」
もともと、オファーさえあれば世界各地どこへでも飛んでいけるように、と、日本一のメジャー団体からの所属契約を断ってまでフリーランスを選んだ親父だ。だから、日本以外での試合が多くなるのは、別に不思議なことじゃない。
「そりゃ、家のことはおめぇに任せられるようになったからだろ?」
なんでもないことのように、親父は言った。スーツケースの上に座るなよな。スマートにパッキングすること諦めやがって。
「紡希のことは?」
試しに聞いてみる。
「おめぇなら大丈夫だろ。結愛ちゃんもいるしよ」
返ってきた答えは予想通りのものだ。俺は別に、親父が家を空けることで、紡希との関わりが減ることを咎めたいわけじゃない。
親父は仕事をして生活のために稼ぎ、俺は学生として勉強に徹しつつ、紡希の面倒を見る。
紡希が我が家の人間になると決まった時、俺も親父も互いに同意した上で、この役割分担を決めた。
だから今更、親父が海外での仕事を増やそうが構わないはずだった。
……ただ、彩夏さんが亡くなって以降は、海外の団体に参戦する機会が特に増えたことが気になっていた。
「……おめぇの言いたいことはわかってるよ、心配かけてすまねぇな」
親父の無駄にデカい手のひらが、俺の頭をわしゃわしゃと撫でる。
「恥ずかしいな、やめろよ」
俺は、親父の手のひらを頭を振って避けた。
長身の親父からすれば、中背の俺はいつまでも小さい頃から変わらないのだろう。
「オレも最近、こうテーマっつうの? それを見失ってるトコがあんだよ」
親父は言った。
「闘うためのテーマが、もうここにはない気がするんだよな」
俺は、親父と違って闘争心が旺盛で血気盛んな闘う男ではないから、上手く共感できないことが多々ある。
この時ばかりは、親父の言いたいことがわかる気がした。
親父は、ついこの前に行われた武道館での大きな大会で、シングルのヘビー級タイトルに挑戦して、破れた。
相手は、プロレスラーが一番肉体的にも精神的にも充実してピークに入っていく30代に差し掛かったばかりの、団体もファンも期待しているエース格の選手だった。
40代も半ばになり、慢性的に故障持ちになっている親父の勝率は下がりつつあった。
その気になれば生涯現役でいられるプロレスラーだが、いつまでも強い存在でいられるわけではない。
いくら根強い人気があろうが、ベテラン頼みでは団体のためにならず、業界のためにもならないからな。
今後、親父よりも若くて、動けて、見た目が良くて、お客を呼べる選手が団体の顔として取って代わるかもしれない。
親父は目立ちたがり屋で、自分が1番と思っていて、いつでもスポットライトを浴びていたいと考えているタイプだ。だからこそ、たとえどれだけ精神的に堪える出来事があろうが妥協せずにトレーニングに励んだり試合に挑んだりするから、自分が主役でなくなる時が来ることを許せないのかもしれない。
いつまでもその考えでは業界で生き残っていけないとわかっているからこそ、リングに立ち続けるための今までとは違う動機を探しているのだろう。
それとは別に……やっぱり、彩夏さんのこともあるのかもしれない。
一時期の親父は、自分が歴史的な試合をしまくれば、それを見た彩夏が元気になる、と念じながらリングに上がっていて、どこか病的なところがあったからな。
それほど大きな動機を失ってしまったのだ。
何かしら別の目標を見つけることなく、気の抜けた試合ばかりするようになってしまえば、親父は今まで築き上げた地位から転げ落ちてしまうわけで、親父なりに必死なのだ。そういう感を全然出さないのが親父らしいけどな。
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