第8話 元・後ろ姿の専門家

 翌日。


 2クラス合同にして2時間ぶち抜きの体育の授業を控えた俺は、他のクラスメート男子と同じように教室で学校指定の赤いジャージに着替え、憂鬱な足取りでグラウンドまで向かっていた。


 ここのところ、急激に気温が上昇している。

 外での体育の授業は地獄だ。


 しかも球技は俺の苦手分野である。大活躍してみんなの人気を集めるなどという芸当は不可能なので、ストレスを溜める結果にしかならない。


 憂鬱に押し潰され背中を丸めて歩いていると、前方に見知った姿があった。


 長い栗色の髪を揺らして自信満々に歩く長身の女子は……結愛だ。

 校名が入った白Tシャツに、赤ジャージのハーフパンツ姿だった。


 女子は校舎の中に専用の更衣室が用意されているから、そこから出てきたばかりなのだろう。女子はこの日、空調の効いた体育館での授業なので、炎天下に放り出される男子よりはずっと負担が少なくて済む。羨ましいったらなかった。


 窓から差し込む日差しのせいで、Tシャツが透けて上半身のラインが出そうになっていたのを目にした俺は、慌てて視線をそらす。


 結愛を見つけたところで、どうせ学校の中では話せないのだ。


 無言のまま結愛の背中を追いかけるのも変態っぽいので、俺はさっさと追い抜いて行こうとするのだが。


「おう名雲くん!」


 ちょうど横を通り過ぎようとした時、結愛のすぐ隣を歩いていた桜咲に声を掛けられてしまう。しまった。桜咲がいる側を通り抜けようとするんじゃなかった。


 周囲には、俺と同じようにグラウンドへ向かっている男子が大勢いるのだが、桜咲から声を掛けられたところで、敵意のある視線を向けられることはなかった。桜咲だからな。アイドル顔をしたマッドドッグとして有名なだけに、嫉妬されることはない。これが本性を知らない他クラスや他学年の男子が周りにいたら別だが、幸い今は見当たらなかった。


「瑠海たちは今日、涼しい体育館でバレーボールだけど~、男子は暑い外でわざわざなにやるの?」


 なんだよ、煽るために声を掛けてきたのか……。


「サッカーだよ。……もういいか? 早くグラウンドへ行って、日陰の位置をチェックしておきたいんだ」


 この日の授業がサッカーなのは、不幸中の幸いだった。


 特に記録を測るわけでもないし、適当に走ったふりをしつつボールに触れる回数を低く済ませることで手抜きが可能だ。試合中に休むことだってできる。だからあとは、校舎が日光を遮ってくれているポジションをいかに確保するかが勝負だった。


「へー。やる気ないねぇ」


 桜咲は、やたらとバカにした調子でへらへらすると、すーっ、と俺のすぐ隣まで距離を詰めてきて耳打ちをしてくる。匂いが甘ぇ。


「結愛っちの前で、いいところ見せなくていいの?」


 すぐ近くにいる結愛に聞こえない程度の小さな声が、俺の耳の穴に入り込んでくる。こそばゆいな。


「……俺には、魅せの技術なんぞない。球技は苦手なんだ」

「ふーん、結愛っちのためにがんばろうって気ないんだ? 彼氏だからってふんぞりかえってなにもしないでいると、結愛っちから見放されちゃうんじゃな~い?」


 ぐぬぬ、と呻きそうになった。


 どうやら桜咲は、今後は常に俺を査定の対象にするつもりらしい。

 桜咲に煽られていると、肩を掴まれ、俺と桜咲の間に割って入ってくる人影があった。


 結愛だった。


 割って入ったものの、無言を貫いたまま、ひたすら前方に向けた視線を外そうとしない姿は異様というか……怖い。桜咲から離れられたはいいものの、このままグラウンドへ行っていいものか迷ってしまう威圧感が漂っていた。


 結愛はいつもニコニコして陽キャオーラを全開にしているヤツだから、黙った時はちょっと怖いな……。声を掛けようにも、休み時間中の廊下には男子がたむろしている。桜咲と違って、結愛の場合は同学年に限らずあらゆる男子を警戒しないといけない。この状況では、話すことは無理だ。


「…………」


 結愛がちらりとこちらに視線を向ける。すると今度は、桜咲がいる方へ向けて、くいっと顎を振った。


 と思ったら、頬を膨らませた結愛は、俺の額へ向けてデコピンを仕掛けようとしてくる。


 自分を差し置いて、桜咲とは普通に会話したことが気に入らないのだろう。結愛は俺と違って、教室でも普段どおりでいたがっているからな。


 結愛と話せないのは、周りを気にする俺のせいだ。デコピンくらい甘んじて受け入れよう。ちょうど廊下の曲がり角にいて、男子からは死角になっているわけだし。


 そう考えた俺は、無言のまま前髪を上げ、さあやれ、と言わんばかりに顔を近づけるのだが。


「…………!?」


 その時、結愛の動きが止まった。俺まで足が止まってしまう。

 俺をじっと凝視する結愛は、体をふるふる震わせながら、頬なんぞを染めてもじもじし始めた。


「ちょっ、やめてよ! なに名雲くんってば結愛っちと2人だけの世界つくっちゃってんの!」


 ぷりぷり怒る桜咲が、俺と結愛の間に入り込んでくる。


「ほら、結愛っちさっさと行こ! 名雲くんの前で女の顔することないじゃん!」

「お、女の顔!?」


 結愛が大きな声で聞き返す。


「そうだよ! 瑠海もびっくりしちゃったんだからね!」

「いや、そんな顔してたなら私もびっくりなんだけど……」

「ほー! 自覚ナシですか! 見せつけてくれちゃって!」


 拳を天に突き上げる桜咲の非難の視線は、結愛ではなくガッツリ俺へ向かっていた。


 桜咲は、俺から遠ざけるように結愛の背中を押し、体育館へ繋がる階段を降りていってしまう。


 なんだったのだろう……?

 俺は、結愛の反応の意味ばかり気にして、これからグラウンドで憂鬱な授業が待っていることすら忘れてしまうのだった。

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