第46話 大団らん その2

 夕食のあと、俺は結愛を駅まで送ることになる。

 夜の住宅街なだけに静まり返っていて、俺たちの足が地面を擦る音しか聞こえない。


「なんか、騒々しくて悪かったな」


 俺は言った。

 親父は元々騒々しいのだが、今日は輪をかけて賑やかだった。


 俺の客が来ているということが、よほど嬉しいのだろうけれど。その上彼女だと思っているのだから、その喜びだって倍増していたのだろう。


「あやまんなくていいじゃん。慎治の家族に紛れられて楽しかったよ」


 結愛が笑う。本心から笑ってくれているようだった。


「……結愛が楽しんでくれたなら、よかったよ」


 俺は結愛の家族関係を思い出していた。

 今日のこの場は、結愛のためになってくれただろうか?


「変なこと言うけど」


 結愛が言った。


「今日は私まで名雲の人になった気がする。私も家族だったら、ああやって笑ってたんだろうなって」


 結愛の表情が沈んで見えた。


 夕食会の時には見せない表情だった。たぶん、今まで堪えていたのだろう。他人の家族の前で、自分の家族と比較して悲しい表情をしてしまうほど、結愛は迂闊ではないから。


「結愛がいてくれてよかったよ」


 俺は言った。


「俺も、あんな賑やかなの経験したのは初めてだから」

「慎治のお父さんがいるのに?」

「あれ、いつも以上にはしゃいでたぞ」

「そうなの?」

「ああ。実は、彩夏あやかさん……紡希の母親を亡くしてから、親父も落ち込んでたからな。表にはしようとしなかったけど、俺がよく知ってる親父とは違う感じになってたんだ」


 あくまで親父基準での落ち込みだから、きっと他人が見たら同じに見えただろうが、俺にはその微妙な変化がわかった。彩夏さんの死後、親父が大変だったところを見ていたせいでもある。彩夏さんは、実家とは折り合いが悪く、唯一親父だけが家族で繋がりがあった。だから、彩夏さんが死んだ後の手続きは全部親父がやっていた。親父はリングの中では超人だが、そこから降りれば普通の人間であり、元々書類仕事は得意ではないから、妹を失って間もないのに慣れない仕事をこなさないといけなかったのは堪えたことだろう。わざわざメキシコへ長期の遠征に行ったのも、気分転換の意味もあったんじゃないかと思っている。


「俺だけじゃ、親父にしてやれることも限られているからな。……だから、結愛のおかげで名雲家が明るさを取り戻したようなもんなんだよ。結愛がいなかったら、俺は紡希と噛み合わないままだったし、ぼっちのままだったから、親父だって落ち込んだままだったよ」


 結愛は、うつむきながら無言で歩いていた。


「私でも、いる意味あったんだね」


 小さく笑いながら、結愛が言う。


「当たり前だろ。らしくないな。もっと胸張って自慢していいんだぞ?」

「ごめん、この辺、静かすぎるから」


 それもあるだろうし、ついさっきまで賑やかなところにいたから急に熱が引いたようで違和感があるのだろう。


 教室では見せることのない、この大人しいというには暗い結愛のことを知っているクラスメートは他にいるのだろうか?


 ひょっとしたら桜咲ですら知らないんじゃないか、と思ってしまう。

 だとしたら、今の結愛は俺だけが知っている特別な姿かもしれない。


 だからといって、嬉しくなるはずもない。

 俺は、結愛にはいつだって鬱陶しいくらいグイグイきて、ひたすら明るい存在でいてほしかったから。


 俺は、前々から考えていた計画を実行に移すことにした。


 ちょうど辺りは静かで、人気もないし、やるなら今しかない。今しかないぞ。


「結愛、これ」


 俺は、結愛の手にそれを握らせる。


「なに?」


 手のひらを見つめる結愛の目が見開かれる。


「……合鍵?」

「いつ渡そうかって思ってたんだ」


 結愛は、ほぼ毎日のように名雲家へ来て、一緒に遊んだり、世話を焼いたりしてくれる。

 もはやほとんど我が家の住人だ。

 だったら鍵くらい持ってたっておかしくないよなぁ、と考えるようになった俺は、少し前に鍵の複製を依頼していたのだった。


「一人暮らしだと困ることもあるだろうし、なんかあったらいつでもうちに来ていいから」


 いくら最近仲良くなっているといっても合鍵なんて重いかなぁ、などと今更になって心配するのだが。


「ありがと、慎治」


 手のひらの鍵を両手でぎゅっと握りしめた。


「大切にするね」


 今度は、気を遣っているような緊張感は混じっていない高純度の笑みを見せてくれる。


「これ、慎治からの指輪だって思うことにする」

「いやそこまでの意味は――」


 ない、と答えようとして、落ち込んだ結愛を元気づけられるようなことを言ってしまおうと思った。


「あると思ってていい……けど」

「マジで? ヤバいんだけど!」


 ようやく結愛に見慣れた得意気な笑みが戻ってきたと思ったら、すーっと音もなく俺に体を寄せて腰に両腕を回してきた。


「このまま私の家に来ちゃう? 二人っきりだし朝までコースできるよ?」

「やめろ、そういう冗談まだ慣れないからやめろよな……」


 どうしていいかわからなくなるんだよなー。俺、たぶん結愛の前だと一生こんな感じだと思う。いやなんで『一生』なんて想定してるんだよ。まるで本当に結婚でもしちゃうみたいでしょうが。


「別にネタじゃないのになー。でも今度、一回うちにも来てよ。紡希ちゃんも連れて」


 それならいいか、と思って俺は頷いた。

 結愛の部屋がどんな感じなのか、気になることだしな。

 未だに結愛の部屋を知らないというのは、なんか仲良し度が低い感じがして嫌だし。


 やっぱり結愛は、陽キャでいてくれた方がいい。

 いつでも深刻な顔した陰キャは俺だけで十分だ。

 そうでないと、バランスが取れないからな。


 鍵を渡しただけで結愛の悲しみを全部消せるとは思っていないけれど。


 名雲家はいつだって結愛を受け止めるつもりがあるのだと、わかっていてくれるといいと思った。

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