第45話 大団らん その1

 結愛を交えた名雲家の夕食が始まる。


 四角いテーブルなのに、両隣から俺を挟み込むように紡希と結愛がいる配置だった。そんなに俺が好きか? と期待しかけたのだが、単に俺の向かいに座る親父の隣が嫌だという可能性の方が高い。縦にも横にもデカいヤツだから。


 初対面の時には借りてきた猫になっていた結愛だが、すっかり慣れたようで、親父の前でもいつもどおりの姿になっていた。


「それで結愛ちゃん、うちの慎治は学校でどうなんだ?」


 親父が余計なことを訊く。変なところで親っぽいところ出そうとするなよな。


「めっちゃ優等生で、めっちゃ私と仲良いんですよー」

「まあそら彼女だもんなぁ」

「ぶっちゃけここでは言えないことするくらい仲良いんスよね~」


 こいつ……人様の親の前で何を言い出すんだ。


「やるじゃねぇか慎治ぃ!」


 親父が手を打ち鳴らす。


「うるさいよ。結愛もウソ言うなよな」


 ここではやめろ、と結愛にアイコンタクトを送る。決して全くのウソというわけでもないのだが、この場では話したくなかった。事実を話せば親父は鬱陶しいし紡希の耳に入れるのはちょっと気が引けるし。


「ごめんね~、ちょっと話盛っちゃった。仲良いのは本当だけど」


 さすがにこの場では結愛も心得ているようで、俺の意図をわかってくれた。


「でも慎治って、教室では私と喋ってくれないんですよね」

「えっ、どうして?」


 親父よりも前に紡希が反応する。


「シンにぃ、なんで結愛さんを無視するの?」


 そういえば、俺たちが教室でどう過ごしているかは、紡希には伝えていなかったな。


 俺を非難するような視線を向けるものの、もっちゃもっちゃとメシを食う手を止めようとしないから怒ってはいないのだろう。


「……いや、無視してるわけじゃなくてね?」

「おめぇ、言いたいことがあるんならちゃんと言った方がいいぞ? ほら、聞いててやっから」


 俺がもごもごしているのを察したのだろう。親父が口を出してくる。

 親父は箸を置くと、こいこいと両手で手招きをする仕草をした。それ、親父が試合中に、お前の攻撃を受けてやる! って時にするやつだろ。闘う男の顔になってんぞ。


「慎治ってば恥ずかしがっちゃうんだよね」


 結愛が言った。

 恥ずかしい部分もあるのだが、実際は違う。


「おい、慎治、せっかくの彼女だぞ? もっと体と心でぶつかっていかねぇとダメだろうが。結愛ちゃんを心配させんじゃねぇよ」


 親父はもはや完全に結愛の味方になっていた。


「……だって」


 ――釣り合い、取れてないだろ。

 そう言いたかったのだが、ついつい紡希の反応が気になってしまう。

 紡希の前では格好悪いところを見せたくない。


「……親父。シングルのヘビー級王者と、デビューしたばかりの若手が何の脈絡もなくメインで試合させられたら、お客やら他の選手やら各方面から大ブーイングだろうが」


 俺は、親父にだけわかるかたちで意図を伝えようとする。

 もちろん、俺が『デビューしたばかりの若手』の側である。


「んなもん、戦い方次第だろ?」


 親父は、くだらねぇこと言いやがるなコイツ、って顔で完全にバカにしていて、今にも鼻をほじりそうな勢いだった。腹立つ反応するなよな。


「実績ねぇ若いヤツだろうが、気迫ガンガンで勝ちを狙えばブーイングなんかされるかよ。やる前から負けること考えるバカいるよ、おめぇだ」


 親父はアゴをしゃくれさせながら言った。


「慎治ったら、変なこと気にしちゃうんですよ~」


 突如結愛は、俺の肩に腕を回して密着してくる。


「お父さんから見ても、お似合いじゃないですか?」

「おう、お似合いだな! オレとチャンピオンベルトくらいお似合いの組み合わせじゃねぇかな~」


 いちいち自慢をぶっこんでくるのが親父流である。


「娘が増えるならオレは大歓迎だぜ。家の中が華やかになるもんな」

「セクハラモードに入んなよな、親父。控室じゃないんだぞ」


 あと結婚を煽るようなことを言うな。俺たちの恋人関係はあくまでギミック(設定)なんだぞ。本当のこと言い出しにくくなっちゃうだろ。


「そういえばシンにぃ、昔わたしと結婚してくれるって言ってたよね」


 思わぬ発言は、右側から飛び出した。

 相変わらずメシをもちゃもちゃ食いながらだから、真剣さはなく、たまたま思い出したから言っただけ、といった感じだった。


 あれは確か、まだ彩夏さんが元気で、紡希が小学生になったばかりくらいの頃だ。別に俺が小学生しか愛せない男なのではなく、『紡希は慎治くんに懐いてるし、これからもよろしくね』と彩夏さんが言ってきたので、『じゃー、つむぎちゃんと結婚しちゃおっかなー』と返しただけだ。あの頃の俺は無邪気でお調子者だったのである。


「でも今は結愛さんがいるもんね」


 紡希は満面の笑みを浮かべる。


「だから、『シンにぃと結婚する権』は、結愛さんにあげる」

「えー? マジで? もらっちゃっていいの?」

「うんうん。わたしのお姉ちゃんになって?」

「なるなる~。あ、ねえ慎治、今日慎治の部屋に泊まっていい?」

「……お前、俺の部屋に泊まってなにするつもりなの?」

「どうしよっかな~。言っちゃおっかな~」

「やめろ。もう何も言うな……」


 時々、結愛の発言が冗談なのか本気なのかわからない時があるんだよな。

 特にこういう場合は反応に困るから控えてほしいところ。


 そんな俺たち3人のやりとりを見ていた親父はというと。


「おめぇ、慎治、あれだ。結愛ちゃんと教室では話せなくても、焦んなくていいんじゃねぇか?」

「なんだよ、どういう心変わりだよ?」


 あれだけ俺を急かしていたくせに。


「結愛ちゃんとその調子でやれるなら、いま別に尻蹴っ飛ばしてゲキ入れなくても、上手くやれんだろうなって確信できたからだよ」


 親父は言った。


「もうおめぇは、ちょっと前のおめぇと違うからな」


 親父の周りには、すでに飲み干したハイボールの缶によるタワーができていた。

 どうやら親父から見ると、久々に会った俺には何らかの変化が起きているらしい。

 確かに俺は、変わったかもしれない。それは自分でもわかる。


 以前の俺は、自分だけの力でどうにかしなければと意固地になって、結果的に紡希を理解するのに程遠い状態になっていた。ひょっとしたら、紡希の言葉にだって心の底では耳を傾けていない状態になっていたかもしれない。


 それもこれも、結愛と関わるようになったおかげで変わった。


 意固地になりがちな俺と違って、やたらと積極果敢な結愛のペースに振り回されたおかげで、俺は多少なりとも自分の殻から抜け出すことができた。そうやって俺を引っ張り上げてくれたのは、結愛だ。


 だからこそ、近いうちに、たとえリスクがあろうとも関係なく教室でも結愛と関われるようになれるだろう。そうしないといけないんだよな。


「慎治、オレが娯楽スポーツ界最高の美技こと『ハイフライ・プレス』を封印してまでおめぇを選んだ理由がわかったんじゃねぇか?」


 親父の鉄板の自慢話である技封印の件が再び蘇る。

 けれど今回のは単なる自慢だけに聞こえることはなかった。

 親父が自身のレスラーとしてのキャリアを犠牲にしてまで守りたいものが生まれた気持ちが、俺にも少しはわかったから。


「親父、酔ってんのか?」


 親父の言うように変化を自覚しつつも、相手は親だ。素直に反応してみせるのは恥ずかしい。


「酔ってねぇよ、茶化すな。足首極めながらハーフボストンクラブ食らわすぞ」


 親父の場合、これ本気でやろうとするからな。


「え~、じゃあ私は教室で慎治といちゃいちゃするのまだおあずけなんですか~」


 結愛は不満そうにする。


「慎治、早くどうにかしてやれ。のんびりしてるとコーナーに追い込んでマシンガンチョップするぞ」

「前言撤回早っ」

「ばかやろ。前言撤回ほどプロレスラーらしいものはねぇだろうが。引退宣言からの前言撤回で現役復帰するパターンなんておめぇも散々知ってんだろ?」


 そりゃあるあるだけどさ、親父が言うなよな、それ。あと結愛に甘すぎぃ。


「ねー、シンにぃ。教室でも仲良くするくらいもう簡単でしょ。さっき廊下で結愛さんとちゅーしたくらいなんだし」

「えっ!?」


 紡希……まさか見ていたのか?

 ほーらお前のせいで紡希の情操教育に不都合なシーンを見せちゃったでしょうが、と非難の視線を結愛に向けようとするのだが。


「…………」


 なんでこいつ、ゆでダコ状態になって俯いてるのよ。


 お前からしてきたことでしょうが……。

 こっちまで体温が上がりまくって背中に汗ダラダラ流れてきたんだけど?


 ついさっきまで饒舌だった結愛が物を言わなくなってしまったものだから、緊張が隣の俺まで伝わってきて、しばらく揃って微動だにせず、親父と紡希を喜ばす見世物になってしまうのだった。

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