第44話 ついに初遭遇、陽キャVS陽キャ その3

 リビングを出て2階にたどり着くと、結愛がこう言った。


「慎治ってお父さんの前だとあんな感じなんだね」

「なんだぁ、急に……」


 親子タッグから逃れた途端に結愛はからかいモードになる。


「別にー。仲いいの羨ましいなって思って。慎治のとこって本当に家族仲いいんだね」


 家族とは不仲な結愛から言われると身構えそうになるのだが、結愛は重たい雰囲気を放つことなく楽しそうだった。


「ていうか私もファミリーの一員扱いしてくれちゃっていいんスか。いっすか、調子に乗っちゃっても?」


 結愛の笑みはいつになく輝き、直視するのをためらいそうになるくらい眩しかった。


「まあ、結愛には世話になりっぱなしだし。この期に及んで『まったくの他人です』だなんて言えないだろ。なんなら、ここ最近に限れば名雲家の滞在時間は親父より結愛の方がずっと多いぞ」


 うちに飼い犬がいたら、親父より結愛の方を格上の扱いにするだろうな。


「じゃあ、慎治のお父さんのこと『お義父さん』って呼んでいい?」

「まずは親父の前で地蔵にならなくても済むようになれよな」

「あれはー。久々に帰ってきたお父さんの邪魔したくなかっただけだし」

「でも、話さない結愛も新鮮だったし、あれはあれでいいんじゃないか?」


 俺がそう言うと、途端に結愛は左右に身を捩ってくねくねし始めた。


「じゃあちょっとの間だけ結愛ちゃん喋らないモードになっちゃおうかなー」


 無口キャラの結愛というのも気になったので、俺は結愛の好きにさせてみることにした。

 結愛は深呼吸を始める。どうも息を止めようというつもりらしい。どこかに潜りでもするつもりか?


「あ、慎治、なんか気になるからそれ貸して」

「一瞬で終わったな、喋らないモード……」


 普段の結愛とどんなギャップが見られるのかと期待していたのだが……。


「だって、慎治がそばにいるのに喋らないなんて損じゃん」


 頬を緩ませる結愛は、俺の手にあった土産物のルチャマスクを手に取った。

 メキシコの露店で購入したのであろう応援用のマスクは、キラキラの金色カラーで、額に白地の十字架があり、空いた両目には翼みたいなデザインが縁取られているのだが、口元はきっちり覆い隠すタイプのものだった。


「これ、このまま被ればいいの?」

「ああ。でもヒモ通してないな」


 マスクの後ろは靴紐のような穴が開いていて、一番上の部分しかヒモが通っていなかった。


 どうも結愛はマスクマンになってみたいらしい。マスクをすぽっと被ると、俺にヒモを結ぶよう要求した。付き人を従えた先輩レスラーみたいな風格だな。


「あんまりぴったり被ると肌がこすれてメイク取れちゃうかもしれないぞ」

「じゃ、ゆるめにして」


 顔が隠れていても表情がわかるくらい、結愛の声は弾んでいた。

 変身願望でもあるのだろうか?

 などと思いながら、マスクの後頭部にあるヒモを結んでやろうとするのだが、結愛は壁に背中を預けたまま動こうとしなかった。


「結愛、背中向けるか、そこから動いてくれないと結べないんだが」

「このまま結んで?」


 マスクは被っていても、目元は空いているから、目が三日月になっているのはわかった。

 正面から腕を伸ばして結べ、と結愛は要求する。

 俺はマスクのヒモを結ぶことに関してはちょっとした腕があるから、通し穴を見なくてもできることはできる。ぼっち過ぎてヒマな時に習得したスキルである。


「じっとしてろよ」


 結愛の気まぐれに巻き込まれるのはもはや日常茶飯事なことと、腕の見せ所だと得意になっていたこともあって、俺は結愛の後頭部に腕を伸ばす。

 立ち位置の都合上、甘い吐息すら嗅げそうなくらい結愛の顔が間近に迫ったその時だ。


 突然結愛がマスクの下に指を入れたと思ったら、ぐいっと引き上げ、口元が露わになる。

 口元を覆うタイプのデザインだしマスクに慣れていない結愛には呼吸が苦しかったのかな、と思って油断していると、俺の唇は結愛の唇にあたる部分と衝突していた。


 しっかり密着したわけではなく、唇の先をちょこんと当てる程度のものだったが、キスはキスなので、俺は著しく冷静さを失ってしまう。


「なにしてくれちゃってんの!?」


 俺はバックステップで飛び退く。


「ヒモ結んでくれたご褒美的なヤツ?」


 もはや目元まで見えるくらいマスクを引っ張り上げている結愛は、悪びれもせずに口元に手を当てて愉快そうにする。


 びっくりこそしたが不快感は皆無で、それどころか満たされた気持ちになってしまっているのだから、ご褒美としては成立しているのだが、それにしても結愛はとんでもないことを仕掛けてくるヤツである。


「……お前、それよほど自分に自信がないとできないやつだぞ?」

「まー、私モテるからさぁ」


 一切の謙遜もなく、結愛が言う。

 まあ結愛以上にこの手の発言をして説得力を持つ人間もいないだろうな。


「でもこれで、私と慎治しか知らないことができちゃったっていうか」


 結愛の意図がわかった。

 俺と桜咲に共通する『趣味』に当たるものがないことを、結愛はまだ気にしていたようだ。

 まさかそれが、宣言通り肉体接触であるキスになるとは思わなかったけれど。

 顔を近づければ再び同じ目に遭うのではないかと、警戒と期待を半分ずつ持ちながら、俺はどうにかマスクのヒモを結ぶことができた。


「ていうか慎治ってば、ちょっと唇当てたくらいでそんなにびっくりするなんて、ぜんぜん免疫ないじゃん。もっと慣れてくれないと私も困っちゃうんだけどな~」


 何がどう困るのか知らないが、俺と違って余裕の結愛は、紡希と遊びたいらしく颯爽と紡希の部屋へ向かう。


 くそっ……こんなことなら『ん? 蚊でも止まったか?』とばかりに無理にでも余裕ぶっかますか、逆に唇を押し付け返すくらいのことをしてやればよかった。まあ、再び俺がさっきと同じシーンに遭遇したところで、恥ずかしくて何もできなさそうだが……。


 結愛はマスク姿が気に入ったようで、スマホで自撮りをしたり、紡希に見せびらかしながら戦隊ヒーローモノみたいなポーズを取ったり、紡希と一緒になって俺のベッドをトランポリンにしたりして、やたらとはしゃいでいた。


 女児みたいな無邪気な振る舞いをするのも、顔が隠れたことで一時の匿名性を得た高揚感のせいなのだろう。


 まさか俺とキスしたせいでテンションが爆上がりしたと考えるのは……自分が思い上がっているみたいになるから、できるだけ考えないようにした。


「おい結愛~、そろそろ夕飯の準備始めるぞ」

「あっ、はーい」


 ベッドから飛び降りた結愛は、俺のところまで駆け寄ると、金色マスクを脱ぐ。

 体を動かしたせいか、額に軽く汗が滲んでいた。

 メイクがちょっと崩れていようが、整った顔立ちをぐんにゃり曲げて屈託のない笑みを見せてくれる。


 どちらかというと、こういう素顔の結愛を出してくれる瞬間の方が、俺からすれば学校の連中が誰も知らない姿を知っているようで、なんか特別感あるんだよな。

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