第39話 最凶の刺客、現る その3

 妙な気分だった。


 プオタ客との揉め事を避けるため、注文もせずにファミレスを出た俺と桜咲は、無言のまま駅へ向かって歩いている。


 プオタ客を相手にすることで解消できたからか、桜咲の攻撃的なテンションは鳴りを潜めていたので、桜咲が乗る駅まで送る余裕すらあった。


 空はまだオレンジ色だ。桜咲の身の安全を心配しているのではなく、俺にはどうしても言いたいことがあった。


「桜咲さん、ありがとうな」


 天敵だろうと、これだけは言っておかないといけなかった。


「はぁ? キモっ、なんなの急にありがとうとか。ていうか、返事聞きそびれたけど、明日からもう結愛っちと関わるのやめて――」

「名雲の膝のことだよ」

「あんたの膝がなんだっていうのよ」

「いや、名雲弘樹選手の方な」


 桜咲は、結愛のことで俺を問い詰めることを忘れていないようで、まだまだ攻撃的な姿勢は残っていたけれど、親父の名前を聞いた途端に態度が変わった。


「ニセモノが、ホンモノの名前を出した……?」


 何故か動揺する桜咲だが、どうやらニセモノとは俺のことらしい。

 前も『ニセモノ』扱いされた気がするが、これってもしかして同じ『名雲』だけど名レスラーと名字が同じなだけの陰キャの方、という意味で言っていたのだろうか?


「まさか……名雲くんも名雲のファンなの?」


 名雲名雲ややこしいな。

 嫌っているはずの俺は君付けで、贔屓の選手のはずの親父の方が呼び捨てというのも妙な話だ。


「そっか……親が名雲のファンだから『名雲』って名前にしたわけね」

「もし俺が『名雲名雲』って名前だったら、その通り、って言ってあげられるんだけどな」


 あいにく、ゴリラの正式名称みたいな本名ではない。


「知ってるか? 名雲が『ハイフライ・プレス』を封印したの、自分のこどものためなんだ」


 親父の込み入ったエピソードを話すのは、俺としてはかなりのギャンブルだった。


「えっ、なにその情報。瑠海知らないんだけど? や、名雲にこどもがいるのは知ってたけど……」


 桜咲が食いついてくる。

 トップロープからリングに寝た相手へ向かって体を投げ出すプレス系の技は、着地の都合上、技を放った側の膝に大きな負担が掛かる。見た目は華やかだけれど、プレス系の技の多用は膝の寿命を著しく縮めることになるのだ。


「……あれ以上膝を悪くして立っていることすら辛くなったら、『ディズ◯ーランドで一緒に順番待ちしてやれなくなるから』って理由で封印したんだ」


 昔、笑い話みたいなノリで、親父から教えてもらったことがある。

 俺はまだ小学校の低学年くらいで、両親の離婚が決まって間もない頃のことだった。

 それまでずっと、レスラーとしてのし上がることで頭がいっぱいだった親父が、初めて仕事より家族を取った瞬間だったように思う。大事な必殺技を封印した代わりに、親父は俺をよく気にかけるようになり、ウザいくらい面倒を見てくれるようになった。


「じゃあ名雲は、キャリアより自分のこどもを取ったってこと?」

「そうなるのかもな」


 まあ、あれから親父はことあるごとに、『オレ、おめぇのために大事な必殺技を捨てたんだぜ? オレってレスラーとしても父親としても世界一の二冠王だよな』と自画自賛しながらウザ絡みしてくるので、当事者の俺からすれば単なる美談で終わる話ではなかったのだが。


「ウィキにも載っていないしインタビューでもそんなの読んだことないのに……それなのに名雲くんがどうして……」


 どうして俺が名雲弘樹と同姓なのか、これで桜咲に俺の正体がバレるかもしれない。

 たとえバレようが、俺は桜咲に感謝したい気分だった。


 俺が親父のプロレスラーとしてのキャリアを奪ってしまったのではないかと、心のどこかでずっと気にしていた。

 俺がいなかったら、更に凄い選手になっていたのではと思うことすらある。

 それでも桜咲は、『ハイフライ・プレスを失ってからが全盛期』と言ってくれた。

 そういう捉え方をしてくれるファンがいると知ったことで、親父に対して抱えていた申し訳なさが晴れた気がしたのだ。


「さては名雲くん、あんた瑠海が思ってる以上の名雲ファンね!」


 桜咲は、俺が名雲弘樹の息子と疑う様子が一切なかった。

 まあ、大柄な親父の息子が、まさか平均身長程度の俺だとは思っていないのだろう。


「でも、名雲のことなら瑠海の方がずっと詳しいよ」


 オタのプライドがうずいたのか、あの試合知ってる? このエピソードは? などと桜咲からトリビア合戦を仕掛けられた。やがて話題は、親父のこと以外にもプロレス全般にまで広がった。俺はプオタではないが、準当事者として多少は濃い話ができるのだ。


 駅にはとっくにたどり着いていたのだが、桜咲は改札を抜ける気配を見せず、出入り口でひたすら話し込むことになる。


 そうこうしていると、桜咲の瞳が潤んでいて、声も少し震えていることに気づいてしまった。


「ど、どうしたんだよ?」


 泣くようなとこ、あった? わりと楽しくお話していた気がするんだが……。


「……だって、初めてなんだもん」


 顔を伏せ気味にして、桜咲が言った。


「クラスメートと、なんの遠慮もしないで名雲の話とか、プロレスの話できたの」

「高良井さんとは?」

「……結愛っちには、言ったことない」

「どうして?」

「あんたもプオタなら、ぜんぜんプロレスに興味ない人に話を振る時のリスクくらいわかるでしょ?」

「……あー、まあなぁ」

「もし結愛っちから、『プロレスってさー、八百長なんでしょ?』なんて言いにくそうに言われたら、瑠海立ち直れないもん……」


 後ろめたそうに目を伏せて、桜咲が言う。


 桜咲だって、大事な親友が無神経なことを言う人間だとは思っていないのだろう。悪気もなく、そんな発言が飛び出すことだってある。それでも、万が一という可能性はあるわけで、結愛を信用しきれていないような自分に罪悪感を覚えているのだ。


 俺だって、結愛がその手の否定的な発言をすることはないと思っている。


 結愛は、他人が大事にしている人やモノを尊重できるヤツだから。


「安心しろ。高良井さんは、そんな薄っぺらいことは言わない」

「ふん、あんたに結愛っちの何がわかるの。調子に乗ら――」

「高良井さんはな、人気者の陽キャイケメンじゃなく、わざわざ陰キャぼっちの俺と一緒にいるんだぞ? 変わり者なんだ。そんなくだらんフツーなこと、言うわけないだろ」


 高良井結愛は、邪道なんだ。


「普通」以上のものを持っているようでいて、「普通」を持っていない。

 だからこそ、上っ面のことだけで片付けやしない。


「そ、そう……だよね……そうかも」


 こいつ自分でそれ言うんだ、という顔で桜咲は呆気にとられていた。


「……結愛っちと縁切る話の返事、まだ聞いてないんだけど」


 まだ忘れていなかったか。


「でも、あんた今日は少しだけいいヤツだったから、あと少しだけ見逃してあげる」


 まるで捨て台詞みたいなことを言う。


「あんたをいじめたら、瑠海のプロレス欲の解消しどころがなくなっちゃうもん」

「別に、桜咲さんがどうだろうとプロレス談義には付き合うけど?」

「そうやって媚び売ろうとしたってダメなんだから」


 桜咲は、スマホをちらちら確認しはじめる。


「今日のK楽園ホール大会なら、あと30分後にライブ配信始まるな」


 俺は言った。親父も出る試合だ。


「はぁ? 配信のことなんか気にしてないし! これから現地に行くんだから!」

「そっか……今からだと前座に間に合うのは厳しいかもしれんが、邪魔して悪かったな」


 思ったよりずっと熱心なファンらしい。


「別に邪魔じゃないし! 名雲くんのことは嫌いだけど、プオタとしては充実したひとときだったんだから!」


 ちょうど電車が到着するアナウンスが響いたので、桜咲は大慌てで改札を抜けていった。


 帰宅してから、ライブ配信を確認してみると、客席をカメラが映した時、目立つピンク髪のツインテール女子高生はすぐに見つかった。


 Tシャツにタオルに手乗りサイズのマスコットに、と、親父のグッズをフル装備する女子高生は確かにまあ、あんまりいないかもな。

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