第38話 最凶の刺客、現る その2

 可愛い女子と放課後にファミレスに寄って、他愛もないおしゃべりをしたり、勉強会をしたり、そんな高校生の青春らしい光景を妄想した経験はある。


 だが、可愛い女子から殺気まみれのオーラを向けられながら相対する妄想をしたことは一度たりともない。


「逃げずによく来てくれたね、名雲くん?」

「……逃げようがなかったからな」


 このファミレスは、学校の近くにあり、周囲には同じ制服姿の男女がちらほらいるのだが、俺たちみたいな殺伐としたオーラを発しているのは誰もいなかった。


 桜咲は、おもむろにメニューを開く。


「名雲くんは何にしちゃう?」

「俺はいらない。水で十分だ」


 こんな殺気まみれの空間に引っ張りこまれて、のんきにメシなんぞ食えるか。それに俺の夕食は帰って紡希と2人で摂るものと決まっている。


「ふーん。瑠海はもう決まったけど」


 桜咲は、メニューをテーブルに伏せると。


「結愛っちのことは諦めて。それが瑠海の注文」

「どうして高良井さんがそこで出てくるんだ?」


 聞き返すものの、この時点で嫌な予感は最高潮に達していた。


「そういうすっとぼけたことするのやめてくれるかなー」


 舌っ足らずな桜咲の声に、トゲトゲしさが混ざる。


「この前の日曜日、結愛っちと遊んだんだけど」


 桜咲は突然こちらに身を乗り出し、俺の頭をガッと掴んだと思ったらすんすんと鼻を鳴らし始めた。

 突然の奇行に、俺は驚くばかりで何もできない。


「やっぱり……あの時の結愛っちと同じシャンプーの匂いがする……。あの日だけいつものと違うから、変だと思ったんだ」


 重い愛を持っていそうな、桜咲の発言だった。

 そういえば、日曜日の結愛は、うちを出た後に友達と遊ぶ予定があると言っていた。

 相手は、桜咲だったのか。


「……偶然だ。シャンプーなんて、似た匂いのヤツはいくらでもあるだろ」


 認めるわけにはいかなかった。

 もしここで、結愛と一晩を過ごしたことがバレたら、絶対に桜咲は盛大に誤解する。

 その誤解によって俺は殺されかねない。桜咲からは、そんなヤバさのある本気度を感じた。


「絶対、結愛っちがいつも使ってるのじゃなかったよ。瑠海は結愛っちから普段どのシャンプー使ってるのか聞いて、同じの買って毎日すんすんして『これが結愛っちの匂いかー』って楽しむのを趣味にしてたんだから」


 クレイジーサイコレズ疑惑が浮上する。


「それに、結愛っちとなんにもないなら、どうして結愛っちのスマホの壁紙が名雲くんと一緒に写ってるやつなの?」


 恐怖心よりも結愛への呆れの気持ちが勝った。


 ほら言わんこっちゃない。結愛のヤツ……あれだけ気をつけろと言ったのに、なんでよりによって一番厄介なヤツに見られてるんだよ……。


「高良井さんと俺が一緒だって? 本当に2人きりか?」


 たとえどれだけ怖かろうが、こればかりは聞いておかないといけない。


「ううん、間になんか女の子がいた。隠し子かと思ってびっくりしちゃったけど、中学生っぽかったから」


 よかった。いや、状況はまったく良くなりはしないけれど、万が一結愛が紡希をトリミングで外していたらどうしようかと思った。そうなったら流石に俺も結愛との付き合いを考え直さないといけないところだ。


「ていうか今日も昼休みにこそこそ2人でいたよね? 結愛っちのことこっそり追いかけていったら、様子見してたら、屋上で膝枕してるんだもん。びっくりした」


 これは、『詰み』の状況まで追い込まれたらしい。


 そうか、あの時、扉から物音がしたけれど、やっぱり誰かいたのか。そして桜咲だったのか……。


「……あと最近、結愛っちが名雲くんの話ばっかりするからいい加減にしてほしい……」


 それまで圧倒的優勢で俺を詰めていたはずの桜咲が、意気消沈して死んだ目をする。

 俺はもう、ごまかすのをやめた。無意味だからだ。


 あいつ……隠す気ないだろ。


 まあ、相手が親友の桜咲だから、信用していたのかもしれない。


「名雲くんのくせにどうやって結愛っちのこと騙したのか知らないけど、瑠海は認めてないから、もう結愛っちと関わらないで」


 桜咲は立ち上がり、テーブルに両手を付けて身を乗り出してくる。


「付き合ってるくせに、教室にいる時は知らんぷりするなんて結愛っちがかわいそうだもん。名雲くんの『好き』なんて、そんなもんなんだよ」


 耳の痛い話だった。

 桜咲の指摘はもっともで、反論なんてできそうにない。

 すべては、結愛と交流があるのを知られて中傷されたくない、という俺の気の弱さが招いたことだ。


「ほら、なにも言えなくなっちゃったでしょ?」


 完全勝利の状況でも、どこか失望したような視線を向けてくる。


「やっぱり瑠海じゃないとダメなんだよね。結愛っちはあれでいて隙だらけなところがあるから、瑠海が支えてあげないと」


 桜咲の瞳は、使命感に燃えているような光が映っていた。


 俺は、結愛とも桜咲とも2年生になって初めてクラスメートになったから、それ以前に2人にどんな歴史があったのか、まったく知らない。もしかしたら、俺が思っている以上に2人には強い繋がりがあるのかもしれない。


「名雲くんは、もう結愛っちとは仲良くしないでね。もし明日も結愛っちと休み時間に一緒にいたら、クラスのみんなに、『2人は付き合ってるよ』ってこっそり言っちゃう」

「……俺と高良井さんを別れさせたいのに?」

「それでどうなるか、名雲くんが一番よくわかってるんじゃない?」


 桜咲が言った。その通りだ。今までずっと俺が恐れていたことが、桜咲の手で強制的に行われるわけだ。


 結愛ほどではないが、桜咲も相当な美少女である。つまり、カースト上位者で、発言力がある。桜咲の言葉ならみんな耳を傾けるだろう。


「でも、瑠海だってホントはめんどくさいことなんてしたくないんだよね。もう結愛っちと絶対関わらないよって約束してくれたら、なにもしないであげる」


 桜咲は、動画を撮る気らしくスマホを向けてくる。


「別にSNSにアップしようってわけじゃないから。証拠が撮れれば、それでいいの」


 とは言うものの、こういう場面でスマホを向けられるのは不快感しかない。


 以前までの俺なら、すぐに桜咲の言う通りにしていただろう。

 俺が最優先させるべきは紡希のことだったから。迷わず紡希を取っていた。

 けれど、もはや結愛は、完全な他人ではないのだ。名雲家にとっても、俺にとっても、大事にしないといけない大切な客だ。


 俺は、こう言おうと覚悟を決める。


『お断りだ。結愛は俺の大事な友達なんだ。縁切りなんてできるか。言いたいのなら言えばいい。その代わり、言いふらした結果お前が結愛からどう思われるようになっても、俺は知らないからな』


 結愛と完全に他人になるくらいなら、クラスメートから誹謗中傷される方がずっとマシだ。

 教室の中で、結愛が味方でさえいてくれればいい。俺はそれで十分だ。


 グラスの水を一口含み、さあ言うぞ、と構えた時だった。


 仕切りで隔てられた隣の席から、話し声が響いてくる。

 隣の客の雑談に注意を払っている場合じゃないというのに、それでも耳に届いてしまったのは、身内について話しているとわかったからかもしれない。


「次の武道館の対戦カード見た? 名雲でメインやるのはもう無理あるよな」


 仕切りの向こうの客は2人いて、どちらも俺よりずっと年齢が上だから、名雲と言われても俺のことではない。


 見知らぬ人間が、知り合いを語るような口ぶりで『名雲』の姓を出す時は、決まっている。親父のことだ。


「名雲、そんなダメか? ライジングサン・トーナメント覇者だから、世界ヘビーに挑戦できるんだろ?」


 親父のアンチらしい男の連れは、穏健派なようで、男をたしなめている。


「タイトル取っててもなー、もうピーク過ぎてて痛々しいんだよ。『ハイフライ・プレス』を封印した時点で終わりだよな。もう前座の賑やかしになるか、インディーで細々やるべきだったんだ」


 アンチ親父の男が言った。


 試合を決める必殺技は、プロレスラーにとって自分自身の象徴そのもので、若手時代から現役を終えるまでずっと同じ技を決め技にする選手もそう珍しくはない。

 その技で相手に勝利した積み重ねが、そのままその選手の栄光の歴史になるからだ。全盛期の動きには程遠くなってしまったレジェンドレスラーが、6人タッグや8人タッグのほんの少しの出番の中で、往年のヒットメドレーのごとくラリアットなりドラゴンスクリューなりパワーボムなりを繰り出せば、それだけで観客を沸かせて満足させてしまう。技にそれだけの歴史があるからだ。技を放つその一瞬だけで、それまでの激闘がフラッシュバックする。


 だから、そんな必殺技を封印するということは、今後の選手としてのキャリアや、戦い方すら大きく変えてしまいかねない重大な決断を要する事態なのだ。


 見知らぬ人間に反論するなんて、ヤバいヤツもいいところだけれど、俺は立ち上がってしまっていた。


 特に、親父があの技を封印した事情を知っている身としては、ここは何が何でも親父の名誉を守ってやりたかった。


「――名雲は『ハイフライ・プレス』を封印してからが全盛期なんですけど!」


 俺が口にするより前に、俺の言いたかった言葉が飛んでくる。


 俺の目の前からだ。


 なんと、桜咲だった。


「若手の頃の名雲はセンス抜群で身体能力も高くてなんでも出来るせいで、華はあるけど唯一無二の個性がない感じでしたけど、『ハイフライ・プレス』を封印して戦い方に制限ができてからやりたいことがはっきりして、プロレスラーとして超一流になれたってわかんないんですかぁ?」


 桜咲の大演説に、プロレスオタクらしきお客はぽかんとするしかなかった。


 俺もまた、同じ顔をしていたことだろう。

 まさか桜咲……プ女子とかいうやつなの? 都市伝説かと思ってた。


「満員の武道館で贔屓の鯉島が名雲に負けるのが怖いんですよね? 今回は挑戦者の立場ですけど、キャリアの違いを見せつけちゃいますよ」

「こ、鯉島こいじまが負けるかよ! 現役で最高のレスラーだぞ!?」

「ふふっ、動揺しないでくださいよー、それこそトランキーロですよ」


 桜咲が両手で押さえつけるような仕草をして、煽る。


 それから、プオタ客と桜咲は、お互いに武道館での試合を現地で観戦するらしく、どちらがより良い席を取ったか張り合っていたが、プオタ客の連れの男にたしなめられて抗争が激化することはなかった。

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