第36話 特別な感じと新ステージ その2

 昼休みになり、いつものように非常階段へ向かおうとしたのだが、結愛からMINEが来た。


【今日は昼休みに告白される心配ないから、非常階段じゃなくても平気だから】

【屋上にしようよ】

【とある筋から、こっそり入る方法入手しちゃったんだよね~】


 などと送ってきたので、俺としては人目につかないところであればどこだっていいから、結愛の提案に乗ることにした。まあ、とある筋、がなんなのかは気になるけれど。


 結愛は未だに告白で呼び出されているのだが、流石に玉砕する人間も数多くなり、リピーターも減っているらしいので、最近はゆっくり昼休みを過ごせる機会が増えているようだ。


 ただ、俺からすれば結愛と2人きりで昼休みを過ごせる口実が減ってしまうわけで、ちょっと残念ではあるのだが。


 西校舎の3階の階段から上っていける屋上は、普段は階段の前に立て看板が置いてあって立入禁止になっている。


 優等生な俺としては、学校のルールに違反するのは度胸が必要だったが、このフロアには後輩の一年しかいないことと、結愛との付き合いで冒険心が強くなったせいかあっさり立て看板の守りを乗り越えることができた。


 屋上前の踊り場で待つと、結愛がやってくる。購買で買った印である紙袋を持参していた。


 扉には鍵がかかっているので、どうするのかと思って黙って見ていたのだが、結愛はあっさり鍵を使って開けた。


「その鍵、どこから?」

「鍵の人と知り合いになって借りたの。ちょっとお話して、『鍵貸して』って言ったら、はい、って」


 鍵の人ってなんだよ、と思ったのだが、鍵を管理している役割の人だろう。鍵を貸してくれるくらい仲良いなら名前くらい覚えてやれよな。


 一体どんな話術を使ったのか知らないが、まさか屋上の鍵を入手してしまうとは。


「これからは、非常階段だけじゃなくてここも使えるね」

「大事にならないうちに鍵は返せよな……」


 結愛に続いて屋上に足を踏み入れると、どこまでも続くまっさらな青空に包まれた、開放感に溢れる空間が現れた。


 高校に限らず、学校の屋上なんて来るのは始めてだ。まず閉鎖されているからな。

 誰も足を踏み入れない場所の割には綺麗に整備されていて、地面の継ぎ目はひび割れも雑草が生えていることもなかった。


 俺の身長の倍以上ありそうな高いフェンスの縁の部分が、ベンチとそう変わらないレベルで突き出ていたので、俺たちはそこに腰掛けた。結愛が定位置である俺の隣に座り込み、いつもと変わらない昼休みになる。


「今朝、紡希にとんでもない誤解されたぞ」


 校舎近くの町並みが広がる風景を背にした俺は、白米を口に含みながら言った。


「どんな?」


 結愛が言う。俺にぴったり寄り添っていた。先週よりずっと距離が近い気がする。


「結愛を名前呼びに変えたってだけで、なんかエロいことがあったと勘違いしてたんだ」

「紡希ちゃんは鋭いねー」


 購買では一番人気と噂のコロッケパンをかじる口元を手で隠しながら、結愛は笑った。


「鋭くないだろ。まったくの見当外れだ」


 お前は何を言ってるんだ、という顔を向けてやる。


「でもさー、紡希ちゃんが目ぇ覚ました時に、『恋人』の2人が同じ布団でぴったり体くっつけちゃってたら普通になんかあったって思うでしょ」

「それは……。結愛のせいだからな、俺は悪くないぞ」


 俺たちの間に朝チュン的な事実は何もない。


 結愛は思いのほか寝相が悪く、同じ場所でじっと寝ていられないようで、やたらと寝返りを打っては俺のところまで転がってきた。それだけならまだしも、寝ながら胸に逆水平チョップを食らわせてきたのには参った。おかげで俺は、結愛の左腕を抱かないと安眠できなかった。結果的に、結愛が言ったような体勢で朝を迎えるハメになったわけだ。


「結愛の寝相が悪いせいで胸に紅葉ができたんだからな」

「だからそのことはごめんってば~」


 流石に悪いと思っているらしく、この話題を出すと結愛は露骨にうろたえる。

 何かと俺に対して主導権を握る結愛だが、寝相について触れると毎回同じ反応をするのが新鮮で、もう何度も言っていた。俺が結愛をいじれる数少ない瞬間だからな。


「……私、自分があんな寝相悪いなんて知らなかったんだもん」


 まあ誰かから指摘されない限り、わからないよな。

 そして、今まで寝相の悪さを指摘されたことがない、という情報だけで嬉しくなる気持ちを抑えられない自分がちょっとキモかった。


「もう私、慎治以外の人とは一緒に寝ないようにする」


 決意を込めた瞳は、今にも光り輝きそうだ。


「そうしてくれ。被害者は俺だけでいい」

「なにニヤニヤしてんの~」


 結愛から頬を指で押された。

 確かにニヤニヤしていたかもしれないけどさ。

 たぶん、それ以上に結愛はニッコニコだったんだよな。


 そんな反応をされると、嬉しさより照れくささの方が勝ってしまう。


「なんかさー、こういうのあれだよね、ほらー、あれよ」

「なんだよ、はっきりしないな。結愛らしくない」

「紡希ちゃんが言ってたみたいに、ホントになんかしちゃった感じがするね」


 囁くような声が、耳の中で反響した。


 俺は結愛の顔を直視できなくなる。

 今、この至近距離で結愛の顔を見たらどうなってしまうかわからない。

 ひたすら俺が勘違いしているだけで、結愛はあくまで俺を『親しい友だち』と認識している可能性はまだ残っているし、思い切ったことをするわけにはいかない。勘違いで傷つけたくはなかったし、傷つきたくもなかった。今は今で、俺は満足しているのだから。


「結愛は本当に性の変態肉欲大魔神だなぁ」


 ただの悪口に聞こえちゃうかもなと思ったのだが、こうでも言わなければ、甘くなりかけた雰囲気を振り切れず、勘違いを加速させた結果として行動に移してしまっていたかもしれない。


 憤慨した結愛にポカッ、とやられるかと思ったのだが、予想した衝撃は来なかった。


「慎治は素直じゃないねー」


 結愛は慈しみに満ちた笑みを浮かべていた。


「結愛ママとしては、慎治の本心はちゃんとわかってるからね」


 おーよちよちと言いながら頭をなでてくる。そういうちょっと鬱陶しい母性は望んでねンだわ。


「いいから食事に集中させてくれ」

「食べさせてあげよっか?」

「いらない。手はちゃんと動く」


 その代わり頭は働かなくなってきてるけどな。


 それから俺たちは、学校の一部なのに学校から切り離されたような静寂を楽しむように食事に集中した。

 普段の結愛は告白の危険を逃れたら教室の友達と一緒に食事にするので、隣で結愛がパンをかじっているのは珍しく、なんか違和感があるのが照れくさくもある。


 そんなのどかな時間を過ごしていると。


「ねー、慎治」


 野菜ジュースのパックに刺さったストローを吸いながら、結愛が声を掛けてくる。

 特に興味のない天気の話でもするような起伏のない声音だった。


「また私のこと抱きしめてよ」


 飲んでいる最中だったお茶が喉を通る途中で詰まりそうになった。

 完全に不意打ちだ。

 結愛は俺から視線を離すことはなかった。


「教室戻ったらまた知らない人のフリしないといけないし」


 未だ教室内で結愛を遠ざけてしまっている俺を責める風でもなく、結愛は両手を広げた。


 俺はまだ、教室内で結愛と仲良くすることで起きる面倒事を気にしている。いい加減、結愛に悪いと思っているのだが、俺としては今の状態で十分満足で、教室内でまで仲良くしたいという欲求は薄かった。


 結愛への申し訳なさもあって、俺は結愛の言う通りにした。


「慎治~、もっとぎゅ~ってしてくれていいんだよ?」


 結愛の口から甘えるような声が漏れ出てくる。


「無茶言うな。これが限界だ」


 結愛を腕の中に収めているだけで俺はいっぱいいっぱいだ。

 あと、喋るのは良いけど息をとぎれとぎれにするのはやめてくれ。理性が仕事を放棄したらどうしてくれる。


「じゃあ私がぎゅ~ってしちゃうけど」


 結愛の腕に力がこもる。

 季節柄すでに我が校の制服は完全に夏服になっていて、結愛もワイシャツ1枚の薄着だったから、感触がよりダイレクトになってヤバい。2人きりの状況なだけに、水着の時より興奮しそうになる。


「おい、学校だぞ……あんまり滅多なことするなよ」

「じゃ、膝にする?」


 結愛は、今度は自身の膝を指差す。

 感覚がすっかりおかしくなっている俺は、校内での膝枕でもとんでもないことなのに、『そっちの方がマシだな』と思い、結愛の膝に頭を乗せてしまう。


 結愛の柔らかな膝に頭を乗せていると、結愛が俺の髪を梳くように頭を撫でてくる。

 不覚にも俺は、二度とここから動きたくなくなるような至高の幸福を感じてしまっていた。


「慎治は紡希ちゃんの分も合わせて2人分がんばってるんだし、これくらいはさせてよ」

「いったいどんなご褒美だよ。体張りすぎだろ。そこまでしなくていいから」

「私がしたいからしてるだけだよ」

「……それを言うなら、結愛だって頑張ってるだろ」


 親のサポートが期待できない状態での一人暮らしなんて、俺には真似できそうにない。仕事で家を空けることが多くても、俺は親父の存在には精神的に助けられているから。


 俺を異性に慣れさせるため、という名目で俺と手を繋ぐようになった結愛だが、このやたらと頻繁な触れ合いも、寂しいから、という理由が根っこにあるのかもしれない。


 突然、扉が何かとゴツンとぶつかったような音がした。


 もしや俺ら以外に立て看板を乗り越えた不良が、と思いながら顔を上げるのだが、扉が開くことはなく、あとにやってきたのは静寂だった。


「……今、向こうに誰かいたか?」

「知らなーい。慎治のことしか見てなかったもん」


 結愛は名残惜しそうにしたまま、俺の頭に手を伸ばして再度引き込もうとする。


「まあ、誰かいたとしても興味本位の1年生でしょ。後輩なら別にいいじゃん」

「まあ、うるさく注意はされないだろうが……」


 我が校が性に乱れているイメージを与えやしないだろうか?


「こっちには鍵あるんだから無断じゃないし。たんに膝枕してただけだし。恋人同士ならフツーだよ。なんにも問題ないでしょ」

「問題は俺たちが恋人同士じゃないってことだな」

「慎治ってば冷たいフリするんだから」


 結愛は俺の頬を突く。


「そういうのは、顔赤くしないで言った方がいいよ?」


 ぐうの音も出ない。反論する気すらなかった。


 やっぱり、まだまだ主導権を握っているのは結愛の方なんだよな。

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