第11話 俺はチョロくない。本当に本当だ その2
昼休みになる。
人気のない非常階段前まで来るのも以前と変わらない習慣だった。
俺はいつものように弁当を広げようとするのだが。
上の方から、靴の底と鉄の階段がぶつかり合う乾いた音が次第に近づいてくる。
こんな場所へやって来る物好きは決まっている。
「また来たのか」
「そりゃ来るでしょ。今日だって呼び出されそうになっちゃったんだから」
またも面倒に巻き込まれた結果だというのに、高良井の声は弾んでいて、俺の隣に腰掛けた。
グラウンドがそばにあり、日光が当たりにくいじめじめした環境だからか湿っぽい匂いがしていたこの場所が、一気に爽やかな匂いに包まれる。
そっけない態度を取った俺だが、高良井が隣にやってきたことで、教室にいた時と違って気分が高揚しているのを感じてしまった。
なんだこれは……。どうして高良井が来たくらいで俺はテンションが上がってるんだ。
ようやく他人行儀な固さが取れた紡希と一緒の時だって、こんな気分になったことはないのに……これじゃ紡希より高良井を上だと感じているようなものだ。紡希に失礼すぎる。
「告白が終わらない限り、私はここに来なきゃいけないんだよ」
「じゃあ俺の平穏なランチライムは完全に消滅したってことか」
「卒業するまで名雲くんと2人きりの時間があるってことだね」
嫌そうにするでもなく、高良井が微笑む。
「ていうか、名雲くんがいるってだけで毎日でも来ちゃうんですけど」
「ああ、そう……」
俺は何も言えなくなった。
以前ほど高良井を突っぱねる気持ちがなくなっているのは、紡希のことで世話になったからだろう。高良井を好きとかそういうことではない。
「それに、教室ではこういうことできないもんね」
すると高良井は、昔からそうする習慣があったみたいに自然に俺の左手に触れてくる。
相変わらず慣れない感覚だった。
それでも、この前の夜の感覚が蘇ってきて、高良井と帰り道で話したことは夢ではなかったのだと実感できる。
さっと手を引いて逃れたくなるが、それだと露骨に恥ずかしがっているのがバレる。俺は積極的に高良井からいじられるつもりはない。
「名雲くんの女子慣れのために協力してあげなきゃ」
「それ……あの場限りの冗談じゃなかったのか」
「冗談じゃああいうこと言わないよー」
むしろ、冗談で済ませてくれた方がずっと理解しやすい行動なのだが。
未だに俺は、高良井の本心がどこにあるのかよくわかっていなかった。
「他の方法とか、ないのか?」
誰も見ていないとはいえ、流石に恥ずかしい。
「これがベストだと思うけどなー」
やたらと楽しそうな調子で、高良井が言う。
「紡希ちゃんのこともっとわかってあげたいんでしょ?」
高良井は、伏せた俺の顔をのぞきこむようにしてくる。
紡希のため、というワードを出されると、俺は弱い。
俺と紡希の関係性は未だに盤石とはいえず、今後俺の不注意で紡希を傷つけてしまう可能性はある。
高良井の提案に効果があるのかどうかわからなくてもやり遂げるしかない。
たぶん、これは俺にとっての『祈り』なのだ。
理屈ではなく、これさえしておけば紡希とこじれてもどうにかなる、という安心と保証がほしいのである。
「あ、そうだ、これ」
高良井がスカートのポケットから出したのは、いつぞや俺が貸したハンカチだった。
「ちゃんと洗っといたから」
「わざわざ悪いな」
「名雲くんから貸してもらった大事なものだもん」
俺の左手を制圧している高良井の指先が、俺の手のひらまで伸びてくる。
「あの時は、助けてくれてありがとう」
しっぽを振る飼い犬みたいな無防備な笑みを浮かべる高良井が、俺のブレザーのポケットにハンカチを押し込んでくる。
「そんな大げさなことでもないだろ」
紡希のために泣いてくれた高良井だから、咄嗟に貸してしまっただけだ。感謝されるようなことなんて何もしていない。
「他に誰もいない場所で、目の前でクラスメートがぼろぼろ泣いてたら誰だってああするだろうし」
たいして親しくもない男子からハンカチを渡されたあと、どんな反応をするかは別として。
少なくとも、あの場面では高良井は受け入れてくれた。
おかげで、高良井に対する信頼は上がったわけだけれど。
「そうかなー。名雲くんだけだと思うんだけどなー」
高良井はニコニコしたまま、握ったままの俺の左手に指先でアクセントを加えてくる。
ただ指先で触れられているだけなのに、全身に触れられているような恥ずかしさがあった。
そのくせ、それがまったく嫌ではないのが、俺からすれば厄介極まりない。
マズい。このままでは本格的に高良井に取り込まれてしまう。
俺が高良井に夢中になってしまったら、紡希を気にかける人間がいなくなる。
それだけは避けなければいけない。
「……手は、もういいだろ? 昼飯が食えない」
恥ずかしさ半分でそう言うと、高良井は俺の左手を自由にしてくれた。
やれやれと思いながら、二段構成になっている弁当箱を開けていると、高良井の視線がこちらの手元に集中しているのがわかってしまった。
「……なんだ?」
箸をおかずに突き刺そうとしながら、俺は訊ねる。
「それ、名雲くんの手作り?」
「まあな。家事は一通りできるから、俺の分の弁当は毎日自分で用意してる」
高良井ほどの腕前じゃないけどな、とは言わなかった。調子に乗りそうだったから。
「冷食を使う時もあるが……今日のは違うな」
「いいなぁ」
「じゃあ早く教室へ戻れ。お前にも昼食が待ってるだろう」
「そういえば私、まだ名雲くんソロのごはんまだ食べたことないんだよねー」
嫌な予感がする……。
「……今度、家に来たらつくってやる」
「今しかないんだけど、今しかないんだけど?」
何故か切羽詰まった物言いで身を乗り出してくる高良井は、俺が箸を突き刺した卵焼きを見つめる。
「いいなー」
これ、くれ、って意味だよな……?
「……悪いが、今、ここに箸は一つしかない」
「うわ、名雲くん、もしかして間接とか気にしてんすか」
マジで草、とか言いそうな勢いで煽ってくる。
だが、その程度では長年の陰キャ生活で培った永久凍土の氷の心は溶けやしない。
隣のアマチュア托鉢僧に構わず箸を動かそうとするのだが。
「そういうの、めっちゃ可愛いんだけど!」
ペットショップで無害そうな小さな獣を見かけたような勢いで、高良井はくねくねしながら興奮気味に俺の頬に指を突き刺してくる。
「高校生でそれ! そういうの小学生までだよ! 回し飲みする時どうするの?」
そもそも回し飲みする友達がいねえ。ていうか、そんな不衛生なこと、するか。
俺は恥ずかしかった。小学生だなんだと煽られて恥ずかしいにもほどがあった。
だが、なによりも恥ずかしかったのは、俺の中に生まれていたのが怒りではなく、喜び……いや、悦びだったことだ。
なんか、嫌じゃなかった。
異論はあるだろうが、俺は、高良井から言われた『可愛い』をポジティブに解釈をしていたのだ。
これもまた異性に耐性がないせいである。
こんなマゾヒスティックな恥辱を味わうくらいなら……間接だろうが直接だろうが、食わせてさっさと退場させた方がずっとマシだ。
「……ほら、さっさとどれでも食って教室へ戻れ」
「ん」
なんとまあ。高良井はどこまでも厚かましいらしく、小さく口を開けて身を乗り出してくる。
食わせろや、という意味合いなのだろうが……目を閉じる必要はありますか?
「あ、舌伸ばした方が食べさせやすい?」
真っピンクな高良井の舌はちょろりと伸びる。俺はそれだけでドキドキした。普通にしていたら見ることのできない、美少女高良井の内部に収納されている器官だからだ。
「もう余計なことするな。ちゃんと食わせてやるから」
どこまでも厄介な高良井のために、俺は半分に崩した卵焼きを箸で摘んで口元へ持っていってやる。
高良井は食いつく勢いで俺の箸をくわえ、卵焼きを
「うほ……うんまぁ……」
赤くなった両頬に手を当てる高良井。
メシ食ってるだけなのに恍惚の表情ってどういうことよ。
素直に褒めてるって受け取れないんだが。
「食ったな。じゃあもうほら、戻れ」
「待って~。ちゃんとごっくんするとこまで見てて」
「……それ、性癖か?」
なんで高良井の疑似なんちゃらプレイに付き合わないといかんのよ。
俺をガン無視する高良井は、飲み込む仕草をすると指先を喉元に当てて、嚥下に合わせるように指先を胸元へと移動する。
「ほら見て。ぜんぶ飲んだよ?」
「口開くな。行儀悪いな……」
「なーんだ。褒めてくれると思ったのに」
「高良井さんが俺をどう見てるのか、もう本気でわからん」
「あーあ、おいしかった&楽しかった。じゃね、名雲くん。また午後の授業でね」
「お前は人生楽しそうだなぁ」
スカートを翻して階段を上がっていく高良井は、俺にはもう制御不能ノーリミットな存在だった。
「名雲くーん」
「まだなんかあるのか?」
階段の手すりから身を乗り出した高良井がこちらを見下ろしていた。
「ちゃんとお箸使ってねー。私のこと捨てないでねー」
「重いなぁ……」
唾液が付着した箸を自分自身と同一視させるとは。もうこの際諦めて箸使うつもりだったけどさ、余計意識しちゃうでしょうが。
そして、高良井が去ったあと、静かな昼休みが訪れるのだが。
「何故だ……嫌じゃない」
あれだけのうざ絡みをされようとも、俺は満たされた気分でいた。
ちなみに弁当は無事完食した。箸だってちゃんと使ったさ。
メシを食うだけでこれほどドキドキさせられるのは初めてで、ひょっとしたら俺は新たな性癖に目覚めているのではと思うと、ちょっと震えた。
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