第18話 雨と陽キャ

 その日は、いつもどおりの学校生活があって、いつもどおりクラスメートの誰よりも早く帰宅するつもりだった。


 だが放課後、アクシデントが起きた。


 昇降口から正門を見渡すと、強い雨のせいでカーテンのようになっている光景が見えた。


 突然の気まぐれな雨だ。


 待っていればやがて止むだろう、と判断したらしい帰宅予定のクラスメートは、しばらく校内で待機することに決めたらしい。


 俺には、のんきに待っているヒマなんてない。

 一旦帰って、最寄り駅まで紡希に傘を持って行ってやらなければいけない。

 その後は、紡希が風邪を引かないように風呂を沸かしておいて……と考えながら、全速力で自転車をこいでも平気なように脚をぷらぷらさせていると。


 肩をとんと叩かれた。

 突然の衝撃にびっくりしながら振り返ると、高良井がいた。


 どうりでさっきから、雨の湿ったものとは全く違う爽やかな匂いがすると思ったら。


「こんなこともあろうかと、下駄箱のロッカーに置いてあるんだよね」


 折りたたみの傘を差し出してくる。自分のことはいいから使え、ということだろう。


「自転車の後ろに乗せてくれるなら、これ使わせてあげるよ?」


 違った。どうも高良井は俺を移動手段として使いたいらしい。まあ俺の家を経由する方が、駅には近いからな。


「友達はいいのか?」


 てっきり高良井は仲良しの桜咲おうさきたちと一緒に雨が止むのを待ってから帰るのかと思っていたのだが。


瑠海るみたちから誘われたけど、今日は帰るからって断っちゃった」

「そんな大事な用事があるのか」

「? これがその用事だけど?」


 不思議そうに首を傾げる高良井。

 雨のせいで普段より冷えているはずなのに、急に体温が上がった気がした。


「お前……まーたそういう冗談言うんだから」

「めっちゃガチなんだけどなー」

「……あくまで紡希のために『彼女』のフリをしてくれてるのに、単なる善意を俺が本気にしたらどうする? 陰キャぼっちが本気になっちゃったらどうするんだよ。超めんどくさいぞ」


 高良井に告白している数多の連中みたいな、玉砕覚悟だろうと『好き』を伝えるような、ある意味前向きな奴らとは違うんだよな。


「いいよ。じゃ、本気になってよ」


 高良井は俺より前に進み出て、さっさと傘を開く。

 雨のカーテンに向かって鮮やかなピンクの花が咲いて見えた。


「名雲くんのめんどくさいとこに振り回されたいなーって思う時あるし」


 早く来い、とばかりに高良井は傘を左右に振る。

 こりゃアレだな。また好事家な面が顔を出したな。

 高良井は既に友達にお断りをしているわけで、今更教室に戻るわけにもいかないはずだ。

 もはや俺は、断れないわけだ。


 高良井信者に目撃されないうちにさっさと帰った方が良さそうだ。

 今なら、高良井の傘が俺の姿を隠してくれるだろうしな。


 高良井の傘に入れてもらった俺は、駐輪場から自転車を引っ張り出す。

 荷台に乗ってもらおうとした時、高良井が首を傾げた。


「クッションついてるの、なんで?」

「毎朝紡希を送ってるんだ。駅までだけど」

「へー。やるねー。やっぱシスコンだね」

「いまいち褒められてる気がしないんだが……」

「私も今度から学校まで送ってもらおうかな」

「高良井さんは電車だろ。それに反対方向だし」

「私が名雲くんの家から学校行くようになれば問題なくない?」

「問題ないと判断する高良井さんのことが心配だなぁ」


 これ、いつのまにか名雲家に住み着くなんてことないよな?

 紡希は喜ぶだろうが……俺からすればプレッシャーしかないぞ。

 美少女との同居に耐えられるほど俺のメンタルは頑丈にできていないのだから。


「あ、私が傘持つから。名雲くんは運転するだけでいいよ」


 不穏を感じるぶった切り方をして、高良井が荷台に跨った。


 高良井が傘を差し出してくれたおかげで、雨の被害は最小限で済んだ。

 とはいえ、スピードを出しているせいで雨が横殴り状態になり、スラックスはだいぶ濡れてしまったけれど、この程度なら体調を崩すことはないだろう。


 親父が仕事で家にいない今、俺が風邪を引いてダウンしたら名雲家はたちいかなくなってしまうからな。


 結局、自転車に乗っている間は雨が止むことはなかったのだが、無事に自宅までたどり着く。


 屋根付きの駐輪スペースで自転車から降りると同時、くしゃみの音がした。


「あー、ごめんね」


 高良井である。


「思ったより濡れた」


 高良井は尋常じゃないレベルで濡れていた。カーディガンで守られていたはずのワイシャツまでぐっしょりである。


「おい、まさか俺の方に傘寄せたんじゃないだろうな?」


 元々、折りたたみの小さな傘だ。2人分カバーするようにはできていない。

 てっきり俺は、傘の持ち主である高良井が、自分自身の側に寄せて使っているものと思っていたのだが……。


「まあちょっとバランス間違えたよね」


 なんでもないように微笑むのだが、髪の先から雨のしずくを滴らせているレベルで濡れいていた。冷えているせいか白い肌はいつも以上に透き通って見える。そんな高良井を前にして平然としていられるほど、俺は人の心を失っていない。


「風呂沸かすから、入ってけよ」

「えー、いいよ。悪いし」

「なんでいつになく遠慮気味なんだよ。高良井さんのキャラじゃないだろ」


 普段はもっと頼んでもいないのにズカズカ踏み込んできてくれるのに。

 まさか、とうに風邪を引いてしまっていて弱気になっているのだろうか?

 そこまで考えて俺は、自分がそんな信頼を得ている存在ではないことに気づいてしまう。


「あっ、別になにもやましいことは考えてなくて。単に風邪引かせたら悪いなって思って誘っただけで……他意は別に……」


 紡希の前では彼氏彼女な関係になってはいるものの、実際は単なるクラスメートである。

 そんなヤツに風呂を勧められて、はいそうですか、と受け入れられるわけがない。

 紡希が不在で、家に2人きりな状況になることは高良井だってわかっているはずだし、警戒されているのだろう。


「いや、別に名雲くんのことは疑ってないんだけど」


 駐輪スペースのささやかな屋根の下、傘の柄を肩に掛ける高良井は明後日の方向を見つめて考えるような仕草をしている。


「高良井さんのおかげで紡希とぎくしゃくしなくなったんだから、こういう時には借りくらい返させてくれ」


 このまま問答をしていたら高良井が本当に熱を出してしまいそうだ。

 いつになく積極性を発揮した俺は、高良井を引っ張る勢いで家の中へ連れ込むのだった。

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