第19話 でもこの子、全身親父グッズなんですよ その1
家に入ってすぐ浴室の暖房をつけた俺は、高良井には兎にも角にも温かいシャワーで暖を取ってもらうことにした。
「名雲くんも濡れてるでしょ?」
洗面所に立った高良井は渋っていた。
「おかげさまで俺はたいして濡れてないから平気だ。着替えるだけでどうにかなる」
「でも、私のせいで名雲くんが風邪引いちゃうのも嫌だしなー。そうだ、一緒に入っちゃう?」
「わかった。高良井さんは風呂でゆっくり暖まれ。俺は着替えたらリビングで待機してるから、終わったら呼んでくれ」
「ぜんぜんわかってないじゃん」
不満そうにする高良井だが、もちろん冗談だったらしく食い下がってくるようなことはなかった。
「着替え、どうしよ?」
「あっ……」
高良井に風邪を引かせてはいけない、ということばかり考えていたせいですっかり忘れていた。
一番忘れたらいけないことなのにな。
同性の紡希の服を貸すのが妥当なのだろうが、サイズ合わないだろうしな。
「名雲くんの服、なんか貸してくれない?」
別に俺のを貸すのでもいいのだが……そうだ。
「ちょうど親父のグッズで未開封のヤツがある。XLサイズだけど、大きい分には大丈夫だろ」
「親父のグッズってなに。ウケるんだけど」
確かに。言われて気づいたが変なワードだな。
「親父のファングッズTシャツだ。観戦に行くファンが応援用に着るヤツなんだが、そんな変なデザインでもないから」
「着られるならなんだっていいよ。でも下は」
「あるよ。スウェットパンツがあるから、それ使え。こっちも未開封だから」
「お父さんのファングッズすごいね。タオルとかあるの?」
「あるよ。わりと定番だからな」
家のバスタオルを使ってもらおうと考えていたのだが、その辺は女子が使うものだし、未使用の方がいいだろうな。他のと一緒に取ってこよう。
「なんでもあるじゃん。靴下もあったりして」
「あるよ。フリーサイズだから女子でも履けると思う」
「……まさかパンツはないでしょ?」
若干の恐怖をにじませる顔をして、高良井が言う。
「さすがにそれは……あったわ。ちょうど発売したばっかのやつ。試合用コスチュームを模したボクサーパンツなんだけど……使う?」
「うーん、下着はあんまり濡れてないから」
それならそれでいいか。流石に下着を他人の家で乾かすのは嫌だろうしな。
「脱いだやつを持ち帰れる袋もあった方がいいよな? 外から中が見えないトートバッグがあるんだけど」
「それもお父さんのファングッズなんでしょ?」
「……いや、団体のロゴマークがついたヤツ」
「へー、そこは違うんだね」
「おい、にやにやするな。なんか悔しくなっちゃったぞ」
妙な敗北感に襲われるのはともかくとして、早いとこ高良井を風呂に入れてやった方がいいだろう。
「待ってろ。取ってくるから。着替えはその辺に置いとくから、しばらくそこで暖まっててくれ」
洗面所兼脱衣所の扉を閉めて、俺は2階へ向かってまずは自室で着替えを済ませる。
2階には、俺と紡希の部屋以外にも、いくつか空き部屋があった。
この家を建てた時には、俺はすでに親父との二人暮らしで、明らかに部屋数が多いのだが、たぶん親父は彩夏さんが生活に困った時に紡希と一緒に住める場所を用意していたのだろう。親父と彩夏さんは仲のいい兄妹だったから、それくらい考えていてもおかしくはない。
そんな空き部屋の一つは、親父関連のグッズを収納しておく物置部屋になっていた。
見本用として送られてくるグッズを置いておく場所だ。過去に販売されたDVDやら大会パンフレットやら親父を元にしたフィギュアやら試合で使ったコスチュームやらガウンやらが飾られていて、もはやちょっとしたミュージアムである。
そこから必要なものを引っ張り出した時、紡希からメッセージアプリの返信が来ていた。
『傘持ってこなくてもいいよ』
『もうすぐ止むみたいだし、学校にいるから』
学校で雨宿りをする友達がいる紡希らしいメッセージだった。
テレビの天気情報によると、あと30分もすれば晴れるらしいし、まあいいだろう。
などと気楽に考えながら1階に降りた時、俺は急激に落ち着かない気持ちになる。
これ、しばらく高良井と2人きりな状況になるってことだよな?
紡希を迎えに行くことを前提にしていたから、そうなることなんてすっかり忘れていた。
まっすぐ歩くことすら困難になる俺は、『腕だけ入れるからな~。いるなら言えよ~』と警告しながら、洗面所の扉の隙間に腕を伸ばし、目を閉じながら着替えを置く。
リビングでそわそわしながらスマホをいじってしばらく経つと、高良井が出てきた。
「お風呂と着替えありがと」
「もう平気なのか?」
「うん。シャワーで十分暖まったし、浴室の暖房も入れててくれたでしょ? メイクし直しながらじっくり暖まったよ」
「それならいいんだが」
「それに、今の時期にこれだけ着てたらね」
高良井はTシャツ1枚だけではなく、スウェットパンツと同じ色の黒いパーカーを着ていた。上下ともに、ちょっと厨二チックな金色のロゴが入っている。このパーカーも親父のグッズだ。2人きりの状況が続くとわかったことで、慌てて追加で引っ張り出してきたのだ。露出が少ない方が、意識しなくて済むだろうから。
だというのに、高良井は俺のすぐ隣に腰掛ける。
ソファは向かいにもあるのに……こんな接近されたんじゃ意味ないだろ。
元々オシャレ目的ではない上に、サイズがデカくてダボッとした野暮ったいシルエットの服でも、高良井は上手く着こなしていた。髪色のせいか、休日のヤンキーみたいになってもおかしくないのにな。サイズが大きいことで、かえって華奢で抱きしめたくなる印象が強くなってしまっていた。
「紡希ちゃんは?」
「止むまで学校で待つらしい」
そう答えた時には、高良井は俺の手を握っていた。
風呂上がりの爽やかな匂いがするせいで、普段以上に緊張させられる。洗ったばかりのしっとりした髪も、今の俺には艶かしく映った。あの高良井が、俺が日頃使っている浴室で全裸になったのだ、という余計なことを考えてしまう。
「でもこれ、止むの?」
高良井が心配そうに外を見つめるのだが、確かに窓ガラスの向こうでは依然として雨が強く降っていて、とてもじゃないがあと数十分で止むようには見えなかった。
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