第13話 ギャルと掃除

 日曜日の午後のことだった。


 昼過ぎを迎える頃、高良井が我が家にやってきた。


 高良井は俺の彼女のフリをしてくれているが、本業はあくまで紡希の友達だ。

 紡希と一緒に部屋に直行するものと思っていたのだが。


「やらないといけないことがあるんだよ」


 高良井は、玄関にどさっとカバンを置く。

 登山にでも使いそうな大きなリュックだった。


「この前、ここのキッチンに立った時に気づいちゃったんだよね」

「何に?」

「名雲くん、掃除苦手でしょ?」

「ぐぬ……一応、やってはいるんだけどな?」


 トイレを始めとした水回りや往来の激しいリビングのカーペットなど、最低限の掃除はしているつもりなのだが、やはり1人で家事をするとなると時間は限られているので、どうしても手が回らない部分があった。


「責める気はなくてー、せっかく私がいるんだし、手伝ってあげちゃおうかなって思って」


 高良井が床に置いたリュックの中には、俺にはよくわからない掃除道具が詰まっていた。


「秘密兵器、あるぜ? どうよ? 今なら私の体をタダで使えるんだよ?」


 充実の掃除道具を見せつけドヤ顔をするギャル。前代未聞だ。


「でも、お客に掃除させるのは」

「気にしないでよ。好きでやりたいだけだし」

「ねー、シンにぃ。一緒にやろうよ。みんなでお掃除も楽しいよ」


 紡希は乗り気だった。

 こうなると俺は、高良井を突っぱねるわけにはいかなくなる。


「わかったよ。いい機会だし。わざわざありがとうな」

「素直じゃないけど素直にお礼言えるのは名雲くんのいいところだよね」


 そんなわけで、自分の体(労働力)をタダで売るビッチムーブをしてきた高良井の意向で、急遽我が家の掃除が始まるのだった。


 ★


 怒涛の掃除を終えた時には、夕方になっていた。


 俺は、夕日の差すリビングにあるソファに深く腰を掛ける。

 久々にガチの掃除をしたせいかやたらと疲れてしまった。


「名雲くん、おつかれー」


 俺の前に、カップに入ったココアを持ってきてくれる高良井。

 誰よりも働いていたというのに、誰よりも元気だった。


「高良井は……元気だなぁ」

「これも若さっすわ」


 汗1つかかずににっこりする姿を前にすると、俺の方がずっと年寄りな気がしてしまう。


「そだ。疲れてるなら、よかったら揉んじゃうよ?」


 高良井が両手をわしゃわしゃ動かす。肩もみするってこと?

 高良井レベルの女子に体を揉まれたら、たとえセンシティブな部位ではなかろうがどうにかなってしまうことは必定なので、もちろん俺は断る気でいたのだが。


「これもサービスだよ、遠慮しなくていいから」


 軽い身のこなしで俺の背後に回り込み、ソファの背もたれ越しに肩を揉んでくる。

 絶妙な力加減のおかげで、肩の疲れはすぐに消えていくのだが。


「……手慣れすぎててなんか怖い」

「変な想像すんなやー」


 俺の左肩に両手を重ね、どこぞの古武術みたいな技をかけてきたせいで激痛が走り、俺は恥も外聞もなくギブアップを叫ぶ。


「……こんな技、親父にもかけられたことないのに」

「どんなお父さんよ」


 不思議そうに首を傾げる高良井は、流石に悪いと思ったのか、痛む箇所をさすってくれた。


「あっ、シンにぃが王様になってる」


 リビングにやってきた紡希が俺を見つける。


「わたしもやる」


 紡希はすかさず俺の足元にやってくると、俺のふくらはぎを揉み始めた。


「おー、やっぱ紡希に揉んでもらうのが一番気持ちいいわー」

「名雲くんさー、シスコン通り越して孫を可愛がるおじいちゃんみたくなってない?」


 至福の瞬間に浸る俺は、確かに大往生間近のおじいちゃんであった。


「ついでに名雲くんの部屋も掃除しといたから」


 高良井のそんな一言で、天に昇りかけていた俺の意識も急転直下で地へ向かう。


 な ん だ と ?


 俺は高良井と紡希を置いて、2階にある自室へ駆け込む。

 マズい。俺の部屋には、他人には絶対見せたくないものが隠してあるのだ。


 自室に飛び込むと、俺の机の上に、懸念の冊子が整頓された状態で積まれていた。


「ヴァー! やっぱり!」


 ベッドの下に隠しておいたのに!


「なんだよ、おかんみたいなことしやがって……!」

「あれ? なんかやっちゃった?」


 崩れ落ちる俺の背後から、なろう系主人公みたいなことを言いながら高良井がひょいと顔を出す。


「その表紙になってるの、みんな同じ人だよね。ファンなの?」

「……いや、まあファンっていうか」


 見られてしまったものはしょうがない。

 我が家に出入りするのなら、いずれはバレていた可能性が高いのだ。この際、話してしまえ。


「これ、俺の親父だから……家族としては一応、保存しておかなきゃなって」

「マジで! 名雲くんのお父さんって有名人なんだね」


 高良井は、瞳を輝かせながら、机に積まれた一冊を手に取る。


 その雑誌には、黒いショートタイツ1枚で筋骨隆々な長身の男が、高々とチャンピオンベルトを掲げる姿が載っていた。

 俺は地味で陰キャな公称『ひょろひょろ』だが、俺の親父は豪快で陽キャでガチムチなプロレスの世界王者だった。

 俺からすれば単なる豪快なおっさんなのだが、国外の興行や団体にゲスト参加することもあって、海外でスーパースター扱いをされていると知った時は、いったい何の冗談かと疑ったくらいだ。


 何かと家を空けがちなのは、そんな仕事をしているせいだ。車で全国各地を転戦する都合上、たまにしか家に帰って来られない。


「でも、なんでベッドの下に隠してたの?」


 隠してた、ってわかっていたのなら、どうしてわざわざ引っ張り出すようなマネをしたのだろう?


「いや、自分の親父が乗った雑誌を大事に保管してるなんてなんかキモいだろ」


 高校生男子に許される行いじゃない。


「キモくないよー。いいじゃん、お父さんのこと大事にしてるってことでしょ?」


 パラパラと雑誌をめくりながら、高良井が言う。


「そういうの、うらやましいなー」

「高良井さんのところは」

「えっ? や、うちのお父さんは有名人とかじゃないから!」


 妙に慌てて高良井が手を振った。

 まあ、高校生なのに一人暮らしをしているからって邪推するのはよくないよな。


「シンにぃは、弘樹ひろきおじさんに見つかりたくないからこそこそ隠してたんだよね」


 すっ、と紡希がやってきて言った。


「弘樹おじさん、シンにぃが自分のファンだって知ったら絶対大喜びするもん」


 想像に難くなかった。


「そういうの、思春期男子的には鬱陶しいからなー」

「シンにぃが筋トレ始めただけで、『おめぇ、ついに目指す気になったか! 親子対決はオレの夢だからよぉ、その気になってくれて嬉しいぜー』って大はしゃぎだったもんね」

「自分の夢に息子を巻き込まないでほしいよな」

「でもシンにぃは毎日頑張ってるでしょ?」

「結果は出てないけどな……」


 俺が筋トレを始めたのは、親父の夢に付き合うためではなく紡希のためだ。

 家族を守れるように、という大物芸人みたいな理由でトレーニングを始めたものの……俺の体に変化は現れていない。


「名雲くん、筋トレしてるんだ? 私もだよ」

「えっ? 高良井さん、女子プロレスラー志望なの?」

「違うってば。いったんプロレスから離れてよ」

「結愛さんがすっごいスタイルがいいのって、努力のおかげなんだね」


 紡希が、高良井のスラッとした腕にぺたぺた触れる。


「まー、別にジム行ったりしてるわけじゃないから、家でちょこちょこやってるだけなんだけど」


 照れくさそうにする高良井。

 俺は少し、高良井への見方が変わっていた。

 生まれながらにして容姿に恵まれ、あぐらをかいているだけの存在と思っていたけれど、高良井の見た目は努力によってつくられた部分もあるのだ。


「触ってみるー? ちょっとは割れてるんだよ?」

「えっ、本当に?」


 高良井すげぇ、って気持ちでいっぱいだった俺は、深く考えもせずに高良井の腹部へ手を伸ばす。

 これは……決してバキバキではなく、お腹が凹んで綺麗に見える程度の絶妙な割れ方……などと評論家ぶって服の上から触っていると。


「つ、紡希ちゃんに言ったんだけどなぁ……」


 頬に朱が指した高良井が、俺から視線を外しながら言った。


「あっ、悪い!」


 俺は、痴漢を働いてしまった気になって即座に手を離す。


「いや、私もまぎらわしいこと言っちゃったから」


 高良井は、痴漢の俺を責めることはなかったのだが。


「代わりに、名雲くんのも触らせてよ」


 逆に痴漢を提案してくる。

 もちろん、いくら恥ずかしかろうが断ることなんてできるはずもなく。


「おっ、割れてるじゃん」


 高良井に腹部を触られると、全身から力が抜けそうだった。だって高良井のヤツ、下腹部に近い位置まで指を走らせやがるから。


「痩せてて脂肪が少ないから腹筋が浮いてるだけだ。腹筋は元々誰だって割れてるものなんだぞ」


 俺は、ガリガリなのを細マッチョという言葉でごまかしたくはない。本当の細マッチョの方に失礼だから。


「お互い、がんばろうね」


 こうして俺たちは、互いの腹筋を知る仲になってしまったのだった。


「名雲くんのお父さん、一度会ってみたいなー」

「会ったところで、暑苦しさに鬱陶しくなるだけだぞ?」

「それでも、だよ」


 高良井が微笑む。


「だって、名雲くんのお父さんだから」


 そうまで会いたいものか?

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