第9話 この時の記憶、ほとんどないんだよなぁ……
夕食後、外はすっかり暗くなっていて、俺は高良井を送ることになった。
普段の俺なら、この辺は治安がいいから1人で帰れ、くらいのことは言っている可能性はあるが、さすがに世話になった高良井相手にそれはできなかった。
暗がりで高良井みたいに顔&匂いがいい女子の隣を歩いていると、俺は言いたいことすら言えなくなりそうだった。地面がマットになったみたいにふわふわして現実感がないけれど、まさかこれ、浮かれているんじゃないだろうな……。
だが、言っておかなければいけないことがある。
「お前、どうする気だよ?」
「なにが?」
危機感ゼロの顔で、高良井が俺を見る。
「恋人設定とか、絶対どこかでボロ出るだろ?」
「でも、ああでも言わないと紡希ちゃんが悲しんじゃうじゃん? 名雲くん、紡希ちゃんを悲しませたくないんじゃなかったの?」
「それは……」
「それとも、ウソにならないようにマジで友達つくっちゃうか、私以外の子を彼女にしちゃう?」
「なにその無理ゲー」
「でしょ?」
「……でしょ? と言われるのも複雑だが」
困難な道には違いない。
高校生活も2年目を迎え、よくも悪くも高校の生活に適応した今、急にフレンドリーになることは難しそうだ。教室で固まったキャラは簡単に変えられそうにない。
「まあほら、急にじゃなくても、名雲くんに友達らしき人ができるまではちゃんと彼女やってあげるから」
嫌そうな顔をしていない高良井が不思議だった。
告白から逃れるための避難場所をつくってやったとはいえ、俺は単にちょっと場所を譲っただけで、これほどまで気にかけられるようなことなんてしていないはずなのだが。
これはもう好事家なのだろうな。美食家が珍味にたどり着くがごとく、奇妙な味がする俺を堪能しようというのかもしれない。
「でも急がないと、私が彼女になっちゃうよー?」
「なんだ、自分を罰ゲームみたいに……」
「だって名雲くんにとって私って軽いビッチちゃんなんでしょ? じゃ、罰ゲームじゃん」
「び、ビッチだなんて思ってないし?」
しまった。高良井に偏見を向けていたことは、本人にバレてしまっていたらしい。
まあ、以前までの俺なら、高良井ビッチ説の図式は確固たるものだったのだが、今となっては高良井を単なるビッチとしてしか認識しないのは失礼というもの。
「高良井のおかげで紡希に遠慮することもなくなったし、それに、紡希の友達だ。そんな悪口みたいなこと思ってない」
「えー? ホントかなー」
突然高良井は、すすす、と実に見事な身のこなしで音もなく距離を詰めてきた。
「こーんなことしちゃっても?」
高良井が俺の腕にしがみついてくる。
高良井の柔らかさが腕に一点集中してこられたら、冷静なままでいるのは難しかった。もはや2人きりの状態で話す程度ならなんでもないのだが、体の感触を味わわされる状況となると、童貞としてはキツいものがある。
「お前、やめろよそういうの……」
「これくらいで動揺してたら、本当の彼女つくるのなんてムリだと思うんだけどなー」
ニヤニヤする高良井は、やめてくれない。せっかくビッチの評価を撤回しようと思ったのに、そんな凶器的な体を利用したいじりをしてくるのなら、考えを改めざるを得ないぞ。
「別に、無理して彼女つくる気はない」
俺としては紡希のことが最優先だ。他の女になんぞうつつを抜かしている時間があったら、紡希のために色々してやりたい。
「おっと、それは私で満足してるってことでいいのかな?」
「違う。ていうか高良井さんこそ、俺の彼女みたいに思われて嫌じゃないのか?」
俺にメリットはあっても、高良井にはデメリットしかなさそうなものだけど。
「嫌じゃないよー」
言葉を態度で示すためか、高良井はいっそう距離を詰めてくる。もうなんか、俺にぶら下がっているレベルなんだよな。
「紡希ちゃんのためでもあるしね」
「紡希の?」
「名雲くんは、もっと女子慣れした方がいいと思うんだよね。紡希ちゃんをヘンに誤解してたのだって、紡希ちゃんが女の子だから、自分にはよくわからないところがあるんだー、なんて思っちゃったからでしょ?」
「それは……」
気にしていたことではあった。
親父との生活に慣れきったぼっちで、異性と関わりがない俺は、これからも紡希の意図に気づいてやることができないかもしれない。
「だったらさー、この際、私で慣れちゃうのもよくない?」
立ち止まった高良井が、俺の両腕の手首を掴んで逃げられない状態で向かい合ってくる。
「今日見て思ったんだけど、名雲くんと紡希ちゃんには仲良しでいてほしいんだよね。だからほら、もう名雲くんが勝手に誤解して自爆して、紡希ちゃんと仲が悪くなっちゃわないように。練習用の彼女になっちゃうのもいいかなって思うんだ」
高良井は、すっと俺の右隣に移動すると、俺の右手に重ねるように左手を被せてきた。
「まずは手からね。少しずつ慣れてこ。彼女トレーニングだよ」
ひんやりした高良井の手が、俺の手のひらに吸い付いてくる。
肌同士が密接に触れ合い、まるで高良井と体温を交換するような気分になっていた。
恋人でもないのに、恋人繋ぎをしている。
まずは手から、と高良井は言ったが……段階が進んだら、いったいどことどこを密着させることになるんだ?
「こうやってくっついてれば、そのうち慣れるでしょ。今は私の手のひらだけが名雲くんの恋人だけどねー」
高良井はまったく嫌そうにすることなく、クラスでもそう見せることのない笑みを浮かべていた。
高良井にされるがままになり、気づいたら駅にたどり着いていた。
住宅街とは違い、人気が増えたことで、こちらに多くの視線が向かっているような気がした。単なる俺の自意識過剰かもしれないけれど。
「じゃーね、名雲くん。また明日」
軽やかに身を翻し、改札へ向かう高良井の手が離れ、その手は俺に向かって振られるものになる。
「お、おう……」
最後まで正気を取り戻せなかった俺は、ぼんやりと高良井に向けて手を振る。
もう夏が近づいているというのに、高良井から離れた俺の手のひらはやたらとひんやりしているように思えた。
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