第8話 義妹の友達にあっという間に距離を詰められる その2

 俺は高良井を含めた3人分の夕食をつくるべく、冷蔵庫に頭を突っ込んでいた。


 昨日買い物をしたばかりだから、食材は十分に揃っているとはいえ、『紡希の友達』にヘンなものを出せば紡希からの信頼を失う恐れがあるから、献立選びは慎重にしなければいけない。


「名雲くん、手伝おっか?」


 紡希の部屋にいたはずの高良井がやってきて、言った。


「突然押しかけちゃったわけだし、じっとしてるのもアレだから」


 高良井が俺のすぐ隣に立つ。


「そもそも高良井さん、料理なんか――」


 できるのか、と聞こうとしたのだが、そういえば高良井は一人暮らしなのだった。一通りの家事スキルは身につけているはずだ。


「じゃあ、そっちのヤツ切ってくれる?」

「オッケー」


 腕まくりをした高良井は、慣れた手付きでネギを刻み始めた。


「わりとできるな」

「これくらい簡単なんですけどー」


 侮られて不満そうな口ぶりの高良井だが、次第に鼻歌が交じるようになっていた。


 鍋をかき混ぜながら、ちらりと隣の高良井を見る。

 男所帯だった我が家で、女の人が台所に立つのを見かけるのはまずないことで、その違和感に胸がむずがゆくなってしまう。

 紡希の家に遊びに行った時に、彩夏あやかさんが料理しているのを見た時以来か。


 高良井は、なんとなくだが彩夏さんに似ている気がした。

 見た目ではなく、雰囲気が。

 いつの間にか自分のペースに引きずり込んでいるとこなんか、そっくりだ。


 まあ、異性慣れしていない俺のことだから、単に比較対象が少なすぎて異性と見るや全部『彩夏さんっぽい』と感じてしまっているだけの可能性もあるけれど。


 世話になった人間を重ねたせいか、高良井への警戒が薄くなっていた。


「高良井さん、今日はありがとう」


 そんな言葉が、ぽろっと漏れた。


「なんなの急に~」


 にやにやする高良井だが、どことなく恥ずかしそうでもあった。


「俺、紡希と同い年くらいの友達には会ったことないから。俺以外の前だとああいうはしゃぎ方するんだって、なんか新鮮だった」

「別に、私の前だからってわけじゃないと思うけどー」


 高良井が、包丁をまな板に置く。


「紡希ちゃん、名雲くんが思ってるよりは、お母さんがいなくて悲しいって気持ちばかりじゃないんじゃない?」


 高良井の言葉は、俺からすれば衝撃だった。


 俺はずっと、紡希は母親を亡くしたことでどこまでも悲しみに沈んでいると思っていたから。俺の前では普通に振る舞っていても、母親が恋しくて泣くような、名雲家へやってきたばかりの頃のイメージがずっと強烈に残っていた。


 部外者に何がわかる、とも言えなかった。

 高良井は……紡希の境遇を訊いて、たいして親しくもない俺の前で、メイクが崩れるのを気にすることもなく泣いてみせたのだ。

 それほどまで紡希に感情移入してくれた人間が、てきとうなことを言うはずがない。


「紡希ちゃんのこと大事にしたいのはわかるけどさ、『傷ついたかわいそうな子』って見られ方するのも、紡希ちゃんだってキツいと思うんだよねー」


 高良井は言った。


「紡希ちゃんと仲良くしたいなら、名雲くんも、紡希ちゃんのいろんなとこ見てあげた方がいいんじゃない?」


 その優しげな微笑みのおかげで、俺は頑なにならずに済んでいた。


「そう……かもな」


 打開策がなく、ひたすら悩むことすらできない俺にとって、別の視点を持つヒントをくれたことは、とてもありがたいことだった。重りに引っ張られるようだった胸の底がふわっと軽くなった気さえする。


 そうして、高良井とキッチンに並んで立っていると。


「結愛さんとシンにぃはさぁ」


 いつの間にか紡希が近くに来ていて、キラキラした瞳を向けていた。

 どことなく、羨望を感じられるような。


「実は付き合ったりなんかしちゃったりしてるの?」


 もじもじしながら紡希が言う。

 恥ずかしいのは、俺の方だ。


「そんなわけ――」


 恐れ多いだろ、という気持ちで否定しようとする前に、隣から肩をグイッと寄せられていた。

 高良井と頬がくっつきそうになるレベルで密着している。


「もしそうだったら、紡希ちゃんはどう思う?」


 にこにこしながら地獄の返答を迫る高良井だった。


「すっごく嬉しい!」


 両手を思い切り広げる大仰な動作で紡希は答える。


「だってわたし……シンにぃがぼっちで、彼女もいないこと、ずっと心配してたんだもん」

「えっ……!?」


 俺の中の全臓物が凍りつく感覚がした。


 まさか……俺、紡希にはぼっちとバレないように隠し通していたつもりだったのに。


「シンにぃ、わたしが帰った時にはいつも家にいるし、お休みの日も家のこととか勉強ばかりで遊びにいかないし……きっとすごく辛い学校生活送ってるんだなって思ってて……そういう時、いつも泣きそうなくらい悲しくなっちゃってたの。わたしだけ、学校で楽しくしちゃっていいのかなって」


 紡希の肩がしょんぼりと丸まった。

 隣の結愛も、これはご愁傷さまだわ……みたいなショッキングな顔を俺に向けてくる。


 どうやら俺は、重大な勘違いをしていたらしい。


 俺が紡希を心配していた以上に、紡希は俺を心配していたようだ。


 なんなら、ぼっちな従兄弟の学校生活は母親の死以上に悲惨で残酷である、と思われているフシすらある……。


 自分のことだからわからなかったけれど……俺ってそれだけヤバい状況にいたのね。


 そんな状況で『紡希はスマホが好きだなー。まあ俺よりハイスペックで頼りになるもんなー』なんて言われたら自虐ネタじゃなくてぼっちの学校生活で劣等感に苛まれた末の苦しみの発言に捉えられて謝られるはずだわ……。ごめんな、紡希。


「でもよかった。シンにぃはひとりじゃなかったんだね!」


 紡希は、俺と高良井を一緒に抱えるように抱きついてきた。


「ほんとによかったー」


 そして、瞳にはうっすらと涙が。


「……紡希、心配かけてごめんな」


 もはや俺は、高良井は単なるクラスメートなんです、と真実を告げる気になれず、高良井がどう思うか気を遣う余裕すらなく、高良井は彼女である、という設定を否定しないままにするしかなかった。


「ほら、こうして友達はちゃんといるから、泣き止んでくれ」

「えっ、友達……なの? 彼女じゃなかったの?」


 紡希がしょぼんと肩を落とす。


「違う違う、彼女だヨ!」


 必死で言い直す俺。俺の想像以上に、友達、と呼んでしまった時の紡希の落ち込みようが酷かったから、そう言うしかなかった。


「ちょうどよかったよねー、今日は紡希ちゃんと遊ぶついでに、名雲くんとお付き合いさせてもらってますって言うつもりだったから」


 高良井が悪ノリを始める。


「ほーら、これ、名雲くんからもらったんだよ?」

「エッ!?」


 高良井のまさかの行動を目の当たりにしたせいで変な声が出た。


「わ、ほんとだー」


 きゃっきゃ喜ぶ紡希に向けて伸ばした指には、銀色のリングがはまっていた。

 当然ながら、俺は高良井に指輪をプレゼントしたこともなければ、プレゼントしようと思ったことすらない。

 高良井は普段から校則違反上等のアクセサリをしていて、指輪をしているのも見かけたことがあるが、それは中指で煌めいていたものだ。薬指なんぞではない。なに勝手に意味づけしちゃってんの。


「台所に立ってる2人を見てるとね、お父さんとお母さんみたいだったの」


 うふふ、と紡希は微笑んだ。


「すごいねー、紡希ちゃんは未来が見えちゃうんだね」


 高良井が紡希の頭を撫でると、紡希は猫みたいな目をして幸福そうにした。


 紡希が、俺と結愛に『友達』ではなく『恋人』でいてほしい理由がわかった。


 紡希は父親を知らない。母親である彩夏さんさえいれば父親なんてどうでもいい、と、俺は紡希がそう思っているんじゃないかと解釈していたのだけれど、違ったようだ。


 紡希は、両親が揃った家族に憧れがあるのだろう。会ったことがないからこそ、逆に憧れるのかもしれない。もし、紡希の本当の父親がそばにいたら、紡希は、『名雲彩夏の娘』のままでいられたはずだから。


 俺と高良井と紡希を含めた3人を家族に見立てることで、これほど幸せそうな顔をしてくれるのなら……俺は、紡希の前では高良井と『恋人』で居続けないといけないのかもしれない。

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