第5話 イアンの事情

普段イアンの執務室にいるのは、基本的にイアンとシーアの二人だけ。肝心の外務大臣が来ることはなく、用事があるときにはイアンが大臣を訪ねていく。


執務室の前にはもう一つ大きな部屋があり、事務官が男ばかり10人ほど配置されている。みんな体格の良い者ばかりで、一見文官には見えない。


「俺たちはもともと軍人でさ、イアン様の部下だったんだ」


1人の事務官が新参者のシーアに説明した。


「ある任務で大爆発がおきてね、俺たちはひどい怪我を負ったんだ。なんとか命はとりとめたけど、軍人としてはもう終わってさ。あっさり解雇宣告だよ。それで、みるに見かねたイアン様が俺たちを引き取ってくれたんだ。前々から勧告されていた副外務大臣という役職を渋々受けてね」

「そうそう、父親である宰相が、軍人ではなく官僚になってほしかったんだよな」

「ゆくゆくは自分のあとを継いでもらいたいんだろうよ、イアン様は嫌がってるのに」

「やはり軍人だったのですね、イアンさんも皆さんも」

「そうそう、ちょっとむさ苦しいだろう」


確かに、10人の筋肉ムキムキの男たちでいっぱいの部屋は、ちょっとどころではなくむさ苦しかったが、逆にシーアは居心地の良さを感じている。


「前に何人か女性秘書や女性事務官もいたんだけどね、みんな親に送り込まれたイアン様の『婚約者狙い』でさ、なかなかひどかったよ」

「ああ、俺たちの前とイアン様の前では全然態度が違ったよな」

「イアン様の前でしょっちゅう目をパチパチさせて、庇護欲をそそる仕草っていうの?その度に『邪魔だ』って部屋から追い出されるのも可哀想だったけど」

「二人になった途端、おもむろに服を脱ぎだした秘書もいたよなあ」

「最終的にイアン様が、もう女は置かんって怒り出して」

「まあ、イアン様は昔から女嫌いだったよな」


それを聞いてシーアは”女だとバレたらどうなるんだろう”と不安になったが、よくよく考えてみると、イアンが勝手に勘違いしたのだし、怒られたらもとの部署に戻ればいいのである。あまり深く考えないことにした。


それにしても、やはりイアンは軍人だったのか。あの威圧感は只者じゃないだろうと思っていたけど。


とはいえ、文官としても出来る男だ。なにか問題が起きてもひょうひょうと仕事を片付ける。簡単に約束を破るケント国に関しては苛立ちを隠せないようだが、それ以外で感情を荒げることもない。

指示も簡潔で的確。上司としては最高だった。


ただ、たびたびこちらをじっと観察しているような視線が気になった。

見ていたことを隠そうともしない。

最初のほうこそ萎縮していたが、最近では


「何か御用ですか」


と睨み返してやる。

たいていイアンは、すこし笑って「お茶がほしい」と答えるのだ。









シーアがイアンの秘書となって数日後、最初の仕事であるケント王国への文書が思わぬ結果を生んだ。


なかなか決まらなかった会合の日程があっけなく決定したのだ。単に、タイミングが良かったのか、それとも文書に何か”しかけ”でもあったのか。


イアンは、あの国とのやり取りがあっけなく進んだことをシーアに伝えた。


「お役に立ててよかったです」


目も合わさずに言う。


「でも、君は会合に参加してくれないんだろう?」

「残念ですが」


といって、シーアはさっさとやりかけていた書類に戻った。

イアンも、”君は何者なんだ”と問い詰めたくなる衝動をなんとか抑え込み、仕事を再開した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る