第4話 君は今日から僕の秘書だから
では、これで通訳部に戻っていいですか?」
使った筆記用具などを整えながら、シーアが前のめりになって聞いてきた。心底、”帰りたい!”という気持ちが全面に出ている。
イアンは無性にムカムカした。オレからそんなに早く離れたいのか?
イアンはシーアを室内のソファーに無理やり座らせた。逃げられないように、シーアにピタリとくっついて横に座ると、「雇用誓約書」を手渡した。
「いや、きみは今日から私のもとで働いてもらう」
「?!ちょっと待って下さい、その文書を作成するだけと最初におっしゃいましたよね」
「だけど、君はケント王国への機密文書の内容を知ってしまっただろう」
「、、、私はただの翻訳士です。内容には一切私情を挟みませんし関与もしません」
「でも、あの内容、黒炎石輸出入の条件やら金額、大臣同士の会合の日程候補まで記されていてさ、国家機密級と言ってもいいよね」
「私は、本当に、ただ仕事をしただけなんです、、、」
シーアは眉をハの字にしながらイアンに訴えてきた。
「じゃあさ、聞くけど、ケント国の正式文書をスラスラ書いたのはなぜか、教えてくれないかな。ある程度の下書きができたら、前任者の書いた見本を渡そうと思っていたけど、それも必要なかったよね?
あんなマイナーな言語の、それも国家に宛てた正式文書なんて、見本もなしに普通は書けないよね」
イアンははっきりと疑問を口にした。あまり最初から問い詰めるのは可哀想だと思っていたのだが、逃げようとしている以上は見逃せない。
「それはっ、私の仕事ですし、、、」
シーアはしどろもどろになりながら、言い訳を考えたがうまく答えることができない。
しまった。なんだか懐かしくて、ついノリノリで書いてしまった。たしかに国家間の文章のやり取りなんて、いくら事務官とはいえ、普通に閲覧できるものではない。しかも、さほど交流のないケント語だ。
「へー、答えられないのはおかしいよね。」
イアンは楽しそうにズイズイとシーアの方に近寄ってくる。もう隙間なんてありゃしない。
「身元確認をもっと詳しくしなきゃねええ。」
「私は怪しいものではありません!バート部長が証明してくださいます。」
「怪しくないんだったら、詳しく調べてもいいだろう?」
「個人情報です、、、」
「ふ、いいよ、今のところは見逃してあげよう。その代わり、今日から僕の下で働くんだ。いいね?」
ほとんどシーアに覆いかぶさるくらいの近さでイアンは
「決まり」
といった。
*
というわけで、イアンはシーアを手に入れた。
役職は”秘書”である。
実際にシーアに仕事と仕事をしてみると、驚くようなことがたくさんあった。ケント語どころか近隣の3カ国言の読み書きはほぼ完璧だし、他にも数カ国語の文章を読む程度ならいけるらしい。頭の回転もよく、多方面で知識は豊富だが、分からないことはちゃんと聞いてくる。しかも、シーアの入れたお茶は完璧で美味しい。
しかし、不満に思うこともあった。通訳として人と会うことができない点だ。実は、バート部長にイアンの秘書として置くことを伝えた時、これだけは約束させられたのだ。
「イアン君、シーアをあなたの元で働かせるのに反対はしません。ただ、約束してほしいのです」
淡い金髪で甘いマスク。どこぞの王子様のような見た目のバート部長は、サファイアのような瞳をキラキラさせながらイアンに言った。
「どういうことですか」
「シーアを通訳として連れ出すことはやめてくださいね」
「なぜ?数カ国語を話せるから通訳にはピッタリの人材じゃないですか」
「それがお約束できないのなら、シーアを引き抜くのはおやめください」
バート部長はイアンの顔をじっと見つめながら、はっきりと言った。どうみても30歳手前に見えない、まさに優男のようなバート部長。しかし彼には隙が一切ない。イアンの、軍人としての勘がそういっていた。
「訳ありですか?」
「訳ありです。そしてその訳は話せません。これは国王様もご存知です。シーアを通訳としてだけではなく、できるだけ要人と会わせないでください。もちろん大臣にもです。ご不満なら、すぐにシーアをここに返してください」
「ふーん。随分とまあ、、、」
イアンはこれでもこの国で影響力のある貴族である。父親は宰相だし、母親は国王の姪にあたる。軍人としても、今の外交官としても、国家の秘密もある程度把握しているつもりだ。そのイアンにさえ明かすことが出来ない秘密をもつシーアは、一体何者なんだ。
「それと」
「なんだ、まだ何か?」
「シーアは、、、あまり体力がありませんから、無理をさせないようにしてください」
「分かりました。翻訳してもらいたい文書だけでもたくさんあるんだ、今はそれで満足しておきます」
まだいい。今は。
でも、そのうち、絶対に明かしてみせるからな。君の秘密を。
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