第3話 そっと心にしまった気持ち
シーアが仕上げた書類を見て、イアンは満足そうにうなずいた。
イアンも多少はケント語を聞き取れるが、対国家への公式文書を作り上げるほどのスキルはない。今までケント国あての文章を作成していた担当官はもうかなりの年で、数年前から引退をほのめかしていた。それが今朝、とうとう持病の腰痛が悪化、自宅から一歩も出られなくなり、急いで代わりの者を探さなくてはならなくなった。
しかし、ケント国語は超マイナーな言語だった。
ケント王国とシュタイン帝国は隣国でありながら、近年まで交流がなかったのだ。両国の間には険しく大きなシモト山脈が横たわっている。言語形態も異なることに加え、ケント王国はもともと閉鎖的な国。ケント語を学ぼうとするものなどいないのだ。
数年前に突然方針を変え、他国としきりに交流を図っていた時期があったものの、なぜか最近、態度が硬化している。
そもそもケント王国は土地が痩せていて、燃料となる「黒炎石」を輸出することで国を維持していた。そのケント国の黒炎石を、シュタイン帝国が本格的に輸入する事に決まっていたのだが、ここに来てなぜか話が進まない。担当者がコロコロ変わる上、ちぐはぐな対応ばかりしている。
とりあえず、もう一度抗議文書を送って相手の出方を伺うしかない。
シーアは、イアンが口述した内容を、素早く丁寧に、そして体裁よく公式文書として仕上げた。見栄えでいうと、前任者以上であろう。しかも、2日はかかると思われていた書類が、半日で仕上がったのだ。
シーアが作成した書類にサインをし、正式な文書として送る手順を教えながら、イアンは疑問を口にした。
「君はどこでケント語を?」
シーアは、少し間を開けて言った。
「両親が貿易業をしていましたから。色々な国の方と接しているうちに外国語を習得するのが好きになりまして、まあ、趣味のようなものです。うちは黒炎石も取り扱っているので、ケント王国の方とも交流がありました」
「ふーん」
どうとでも取れる答えだ。両親が貿易をしてくるくらいだから、豊かな商家出身なのであろう。立ち居振る舞いや所作は洗練されているのに、貴族ではないらしい。
「君はバート部長が見つけてきたんだってね」
「ええ、父の商売を手伝っているときにお会いして」
シーアは、半年ほど前、急にバート部長が連れてきた。この国の第一王子と親友でもあるバートが後見者ということもあり、本来なら厳しい身元チェックや面倒な試験を通らないと就けないはずの「公認翻訳士」にあっという間に就任した。当時は反感もかなりあったようだが、その有能ぶりに今では誰も文句をいう者はいないという。
『なにかある』
イアンは本能でそう感じた。シーアと話していても、言葉は的確だが、ちょっとした表現が古臭く、流行り言葉などは全く知らないことにも違和感があった。
でも、たった数時間、ともに仕事をしてみて分かったことは、 ”彼とは仕事がしやすい” ということ。
こちらの伝えたいことを、一生懸命汲み取ろうとし、その判断が的確だ。感覚が合うというか、波長が似ているというか、とにかく一緒にいて気持ちが良い。
たった数時間。
それだけでイアンは彼のことを高く評価した。今までに何人もの部下を首にしてきた彼が、こういう人材を探していたんだと納得した。
それに、、、
必死に文章を作成している姿をみていると、ちょっと心が跳ねた。窓から入った淡い光が、彼の銀髪をキラキラと照らしている。なんだか濡れているように思えて、触って確かめたくなった。
いやいや、、、
変な考えをそっと心にしまった。
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