第43話 実家へ
懐かしい。
茶の屋根、汚れた表札、軋む音を立てながら上がるガレージ。
去年は実家に戻らなかったので(アルバイトを沢山入れていたため)、1年半ぶりの実家だった。
腹の傷はどうにもならなかったので、俺が実際に実家に戻ることになったのは、事件が起きてから2週間後のことである。最低限、傷がほとんど治ったところまでいったところで、俺は病院を出て、ほとんど直行する形で帰省した。
そのため、奴との契約通り、朝姫とは一切顔を合わしていない。
あいつには恐らく、マリンちゃんがそれとなく伝えていることだろう。
インターホンを鳴らすと、待機していた母さんがドアを開ける。
怒っているとも、喜んでいるともとれる、なんとも複雑な表情のまま、それでも母さんは俺を歓迎した。
相変わらず、スタイルはいい。しかし、皺と白髪は増えたような気がした。
「おかえり」
大荷物と共にリビングに腰を下ろし、昼間特有の、独特な雰囲気が漂う刑事ドラマのついたテレビを見つめる。
母さんが台所から、お茶を淹れてきたらしく、テーブルに置いた。
「とりあえず、お茶でも飲みな」
「……うん」
俺は小さく返事をして、母さんと向き合うようにして座る。
「……朝姫が警察にお世話になってるって聞いた時は、驚いたわ。それも、刺した相手があんたとなればね」
「……。父さんは?」
「あんたと入れ替わりで神奈川に行ったわ。だから、事情はお父さんから色々聞いてんの。今は、あの家で2人でゆっくりしてるみたいよ」
「…………」
母さんが頭を抱えるようにして、ため息をついた。
「母さんが思うのはね……2人とも無事で良かった、ってことよ」
それから、微笑む。
「まあ、ちょっと朝姫の方は……参っちゃってるみたいだけどね」
「……なんで、そうなったのか分からないんだ」
いつだって俺は、朝姫のことを想ってきた。
朝姫のために動いてきた。
朝姫の望む未来を切り開いていくつもりだった。
だから、彼女が俺を殺そうとしているなら、受け入れようと思った。決してそれを否定することはなかった。
だけど、じゃあ、なんで。
なんで、俺を刺して、殺そうとして――壊れそうになってるんだよ。
理解ができなかった。
「……ん?」
「だって、そうだろ? あいつは俺のことが嫌いで、憎くて、そのために俺の家にやってきて――かき回して、だから、あの時も、俺はあいつのために動いたつもりだった。でも、違っていた。俺の決断は――選択は間違っていた。分からない。分からないんだ。なにが正解だったのか……分からないんだよ」
「あんたねえ……本気でそう思ってんの?」
「分からないんだから、しょうがないだろ。本気だよ」
「違うわよ。朝姫の気持ちのこと」
「はあ?」
俺はなんと言ったか。
母さんは肩をすくめた。
「ほんとにあんたは、昔からそう思い込んだら、どんどんのめり込むタイプだったからね。おまけに変人。あんたの友達が可哀想なくらい」
「ちょっと言い過ぎじゃないか?」
「そんなことない。今のあんた見てれば、まったくその通りじゃない。あんたの思い込みのせいで、なにもかもパアになって……きっと友達は皆心配してるし、困惑してるんじゃないの?」
「それは……」
「違うって言える? あんたの身勝手な行動でさ」
「…………」
マリンちゃんの顔を思い出す。
あの時の、実家へ戻ると決めた時の彼女の、辛そうな表情を。
勝手に理解してくれると思っていた。
勘違いしていた。
思い込みを――していた。
でもそうじゃない。
人間だから。
俺たちは、ちっぽけな人間だから。
だとしたら?
「待てよ……だったら、俺はなんの思い込みをしてたって言うんだよ」
「まだわかんないのね……あんたがしてた思い込みは2つ。そのうちの1つは……まあ、これは私たちが悪いんだけどね……これは後でいいか」
母さんは一度目を閉じて、沈黙を作った。
「これはやっぱり、あんた自身が気付かないと意味がないからね。私がすることは、あんたがなんで、そんな思い込みをするようになったのか――それを知ること」
「思い込みの原因ってわけか」
「なんで、あんたは朝姫に恨まれてると思ってるのさ」
「それは――」
簡単な話だ。
今でも思い出す。
いや、おぼろげな記憶ではあることは確かだけど――でも、覚えている。確かに。
朝姫に――俺は、バケツの水をぶっかけた。
「なんでそんなことしたの?」
……そりゃあ、いたずらのため。俺は、いたずらっ子だったから。
「……そっちは、まあいいか。その時の状況を、あんた、覚えてる?」
状況。
確か、教室で、男子と話しているところだった気がする。
あいつが――朝姫が、なんだかモジモジしていて……。
「漏らしそうだったのよ」
つまり、失禁――てことか。
「朝姫はさあ、あんたにべったりな子だったから……あんたみたいなの真似ちゃったりしてさ……男みたいだなんて、ちょっとしたいじめにあってたのよ」
いじめ。
いや、それは少し大袈裟なのかもしれない。
いじり――やっている側は、結局それだけのことなのだろう(特に小学生ともなれば)。
でも、本人は違う。朝姫は、それは明確にいじめだと認識した。
だとしたら、それはやっぱり、いじめだ。
「少しマシになってきた……そんな傾向があった頃よ。ナイト。いいかい、よく聞くんだよ。朝姫はね――漏らしたのよ」
「……どういう」
「だからね、耐えられなかったの。間に合わなかったの。でも、そのことがおおやけになることはなかった。どうしてだと思う?」
「…………」
言葉を失う。
恨んでいるのかと思っていた。
水をかけたせいで、彼女は俺を一生、許さないだろうと思った。
でも、違う。
違う。違ったんだ。
思い込んでいた。
彼女は――
「朝姫はね……お兄ちゃんのことが――あんたのことが、ずっと……大好きなのよ」
理由は分からない。
ただ、目から涙が零れた。
それを止める方法を、俺は知らなかった。
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