第44話 思い込み!?

 頭の中が反転していく。

 天変地異が起こった気分だ。

 空と思っていたものが海で、海と思っていたものが陸だった。

 朝姫は――だから。

 だから、


「お母さんはね、最初は反対だったんだからね。分かってると思うけど、あんたと朝姫は家族だから――でも、あの子はどうやら本気みたいだから」

「好きって……待って、……待てよ」


 頭が整理しないうちに、次々と言葉がなだれ込んでくる。

 知らない単語が、知らない世界が、知らない記憶が頭を打ちつけて、どうしようもなく、涙だけが溢れていく。


「朝姫は、確かに、もしかしたら……」


 気持ちを落ち着かせて、少しずつ頭の中を整理して――まずは深呼吸する。

 幸いにも、母さんは穏やかな表情で、俺の言葉を待ってくれた。


「……朝姫は、俺のことが嫌いじゃなくて――恨んでいなくて、むしろその逆なのは分かったよ。でも、だからって……母さんの言い方はまるで、朝姫が俺のことを、異性として見ている……言い方じゃないか」

「だから、そうだって言ってんの」

「おかしいだろ!」


 思わずテーブルを叩いてしまう。

 それほどまでに、俺は感情をコントロールできていなかった。


「あいつと俺は家族だ……血の繋がった――それを、別の形で好きになるなんてことは、絶対にないんだ。ないはずなんだよ」

「……朝姫は、もしかしたら本能で理解してたのかもね」

「本能?」

「言ったでしょ。もう一つ、思い込みをしてるってさ」


 頭が痛い。

 全身が打ちつけられたように動かない。

 そうだ。本能だ。本能が、次の言葉を全身全霊で聞けと言っている。

 頭の中で理解している。母さんの言っている意味が。

 言わんとしようとしていることが――それでも、俺の理性だけが、それを否定した。


「朝姫と真夜ナイトは、まったくもって、これっぽっちも血なんて、繋がってないの」

「…………っ! …………」


 顔が歪むのを感じる。

 分かっていた。知っていた。

 そうだ。


 俺はそれを知っていた。


 だって、4年前――つまり、朝姫が生まれた時の記憶なんて、俺には一切存在しないのだから。


 俺が4歳の頃――そんな時の記憶は、なくて当然と思うかもしれない。いや、だが、どうだろう。考えてみてほしい。


 朝姫が赤ちゃんだった頃の記憶が、俺に一切ないなんて、ありえるのか?


 ない人もいるかもしれない。

 けれど、言った通り、俺は妹が大好きで、守りたいと思っているほど――そう。つまるところ、シスコンだ(皮肉にも、杏奈の言葉を認めるわけだ)。

 忘れるはずがないのだ。


 第一、そうだ。考えてみれば、なぜ俺は朝姫を守りたいと思ったのだろうか。

 朝姫が妹だから?

 妹は、兄が守るのが当然だから?


 そうかもしれない。でも、それだけじゃないはずだ。

 そうだろ。自覚してるんだろ。あの時――あいつに水をかけた時、俺は知っていたはずだ。


 朝姫が漏れそうなことくらい。

 だから守るためにそうしたのだ。


 なんで守りたいと思った!?

 朝姫を――まだ、小さくて弱い朝姫を……。

 施設の中で1人、うずくまっているあいつを見たからだ。


 頭の中が、クリアになった。


 ――おにいちゃん?

 ――おまえ、なまえは?

 ――なまえ? なまえ、わかんない。

 ――そっかー。おれはないと。おかあちゃん! このこ、おれがまもる!

 ――だって、おれは、ないとだから! しんのよるって、かくんだぜ!

 ――じゃあ、あたしは……。

 

「はあ…………」

「朝姫はまだ知らないことよ。朝姫は今でも、あんたと本当のお兄ちゃんだと思ってるはず。でも、本能――そう、本能が、あんたを初恋で、永遠の恋の相手に選んだの」


 母さんは俺の手を掴む。

 温かい。

 血のぬくもりを、感じた。


「朝姫にとって、あんたと会えないことはなにより辛いのよ」

「……俺だってそうだよ」


 重々しく立ち上がる。

 朝姫は、きっと俺の家にいる。


「どうするの?」

「朝姫は間違ってる。だから、正しに行くだけ」

「……会えないんでしょ?」

「母さん……俺と朝姫は家族じゃなかった。兄妹じゃなかったんだろ? だったら、会えるだろ。あの犯罪者と取り交わした約束は破らない」

「それはそうだけど……あんた、それでいいの? 朝姫と会うってことは、そういうことなのよ? 朝姫とは、もう二度と兄妹の関係に戻れないって……そういう意味よ」

「……じゃあ、どうすりゃいいんだよ」

「お母さんはね、あんたが、そのストーカーとおかしな約束をしてしまった時点で、間違っていると思ったの。だから、こうして話した……もうなにもかも遅かったけどね」


 それを言われたら……どうすることもできない。

 源とした約束は、


  凪坂真夜は、凪坂朝姫の両兄妹は、互いに視界に入ってはいけない。

  また、話してはいけない。文通などでの、文面でのやり取りも禁ずる。

  それが故意にせよ、偶然にせよ、発覚した場合には、

  源鉄平と凪坂朝姫の間に交わされた条例を、取り消すものとする。


 ……遅すぎた、か。

 あるいは、間違えた。

 どちらにせよ、俺と朝姫は、どうあったって関わることはできなくなってしまった。連絡すらとれないというのは――絶縁状態と同じだ。


「朝姫のことは私たちがなんとかするから……真夜はゆっくりしなさい。十分頑張ったじゃない」

「……ナイトって言うなよ」


 そう呟いた。

 瞬間、全てが繋がった気がした。

 顔が自然と上がる。

 そうだ。


 俺は……ずっと――思っていたことがあったじゃないか。


「母さん」


 希望に満ちた目を、母さんに向ける。母さんは、不思議そうに首を傾げた。


「『月』って書いて『ライト』って読むの、どう思う?」

「……はい?」

「俺は……俺だったらな――」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る