第42話 「さようなら」

「会わせるわけにはいかない」

「だとしたら、凪坂朝姫は……解放するわけにはいかない。まあ、もっとも……君がもっといい条件を出してくれるなら、話は別だがね」


 源は憎たらしく笑みを浮かべる。

 どうすればいい。

 そう――簡単なのだ。簡単な方法なのに……選択できない。


「でも、ガラス越しならなにもできないよ」


 迷っている俺に、マリンちゃんがそう告げる。


 そんなことは分かっている。

 2人を会わせたところでなにも起きないことくらい――不可能なことくらい。

 でも、それでも怖いのだ。こいつの目、顔つき、全てが怖い。

 何をするつもりなのか、想像もできなかった。


「もしものことがあれば、2人のことは私が守ろう」


 佐々木警部補が言う。

 その無責任な言葉に――いや、これは俺の苛立ちのせいで、そう感じるだけだ。ただ、彼は親身になってくれているだけなのに――睨んでしまう。


「もしも? もしものことがあっちゃいけないんです。そうならないために、今考えているんじゃないですか」

「……そうだな。すまない」


 彼は目を閉じる。


 まがりなりにも――これまで俺は、朝姫を守るためにあらゆる行動をしてきた。それらは、今日まではうまくいったと言えるだろう。

 たとえば隣のマリンちゃんや倉木さん、あるいはすみれちゃんや杏奈との間のいざこざですら、うまく解決の方向に導くことができた。

 いや、最初の頃の源ですら――

 だが、今回は違う。

 彼ら彼女らとは明確な違いがある。


 悪意だ。

 少なくとも、今まで会ってきた人たちには、悪意がなかった。善人だった。ストーカーだった頃の源もまた、完全なる悪意に満ちていたわけではなかった。


 だから、対処できた。


 今回は――そうじゃない。源は俺が憎くて、朝姫が憎くて、社会を、世界を恨んでいる。そのためならなんでもしようとしている。極まっている。

 そんな奴に、たかだか20年程度しか生きていない俺が、どう太刀打ちできるだろうか。


 いや、そうじゃない。

 するんだろ。どうなろうと絶対に!

 それが、朝姫と一緒に暮らすために、俺が決めたことじゃないか。


 一緒に暮らす――……。

 待てよ。


「源……」

「…………決まったかな?」

「お前は俺のことが、殺したいほど憎い」

「そうだな。……死んでくれるとでも?」

「だったら――朝姫と俺は二度と会わない……ってのはどうだ?」

「……ほう?」


「ちょっと!」


 マリンちゃんが勢いよく立ち上がった。


「そんなのだめ! だめ!」

「そうだ。冷静になって考えるんだ、凪坂くん」

「いいんだよ!」


 動揺する2人を、俺は一喝して沈黙させた。


「こんなことで済むなら、それが一番なんだ。で、どうなんだよ? 源」

「……くくっ……いいのか? 僕は逮捕されても、無期懲役ではないぞ? どころか、1年と刑務所に入っているかどうかも怪しい」

「それはないな」


 佐々木警部補が否定する。


「理由はどうあれ、源は凪坂朝姫さんに近付いた。これは命令であり、警告を破ったことになる。2年はムショの中さ」

「……そんなのはどうだっていい。俺は、今回の件で、朝姫を守れるならなんだって飲むさ。さあ、どうなんだよ、源」

「…………いいだろう。君が本気なら、僕は喜んで受け入れるよ。そうだな、こうしよう。『凪坂真夜は、凪坂朝姫と二度と顔を合わすことも、話すこともしてはいけない』――どうだい?」

「……だめ!」


 マリンちゃんが首を横に振るが、俺はそうしなかった。


「いいよ」

「満足だ――君のあの家は、どうするんだ?」

「朝姫に託す。俺は……実家に帰る。それだけのことだ」

「ふふ……ふふふふふ……よかったよ。君と話ができて」


 まだ面会時間は終わっていないのに、彼は立ち上がった。


「凪坂朝姫への被害届は取り消そう。約束だからね。君の方こそ、破ったらどうなるか分かっているよね? なにも失うものがなくなった人間というのは、かくも恐ろしいものなのだよ」


 それが脅迫ではないことが、ひしひしと全身に伝わる。

 本気だ。本気でそう思っているから、言葉に真意がある。


 彼はそのまま、ゆっくりと面会室から出て行った。


 俺たちは無言のまま、外に出る。

 マリンちゃんはずっと悔しそうな表情をしていた。

 無理をさせないために――あるいは、暴走させないために傍にいたのだろう。

 でも、悪いな。マリンちゃん――俺は、朝姫のためなら……どうしようもない男になるんだよ。



「マリンちゃん……」

「…………」

「朝姫に……よろしく言っておいてくれ」

「本気なの?」

「…………」

「聞いたでしょ。佐々木さんから……朝姫ちゃん、今、とても話せるような精神状態じゃないって。今、傍にいてあげられるのは夜くん――お兄さんだけなんだよ」

「……だからこそ、それを知っているからこそ、源はこの条件を飲んだんだ」


 あいつは俺が……あるいは朝姫がどうすれば苦しむかを知っているから。

 これが一番、残酷な選択肢だったのだ。

 

 俺は一歩ずつマリンちゃんから離れていく。


「皆になんて言えばいいの!」

「多分、二度と会えないけどさ……忘れないから」

「嫌だよ!」


 彼女が走って俺の傍に寄ってくる。

 でも、信号が赤になって――行き交う車が、俺たちを決して再開させなかった。

 これでいい。

 これでいいんだ。


 さようなら。

 朝姫、これでお前は、俺を殺せない――

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