第28話 話し合い……。
僕と杏奈、そしてすみれちゃんは3人で、『サザナミシスターズ』の事務所に殴り込みに向かった。
まあ、殴り込みなんて言葉を使うと野蛮だけど、実際のところは、もっと平和的な作戦だ。
ここにマリンちゃんがいるとは限らない。
だとしても……倉木さん――彼ならいるはずだ。
簡単な計画はこうだ。
倉木さんと接点のあった杏奈が彼を呼び出し、近くの喫茶で話がしたい、と誘い出す。仮に今の杏奈に興味がなかったとした場合も考えてある。
事前に用意してある、この3日間で撮った多くの写真がある。ほとんどはマリンちゃんに思い出として撮ってほしいと言われたものだ。そのうちの一つ、マリンちゃんが台所に立って、料理を作っている写真を、倉木さんに見せる。
なぜそれを杏奈が持っているのか。
半分は脅しみたいな感じだが、気になって喫茶までついてきてくれるはずだ。
というわけで、俺とすみれちゃんは集合する予定の喫茶で、コーヒーでも飲みながら待つことになった。
彼女は少し、緊張している様子だった。
カフェラテのカップを持つ手が、少し震えている。
「すみれちゃん」
「は、はい」
「やっぱりすみれちゃんは帰った方がいい。君は……」
「嫌です」
彼女は勢いよく立ち上がった。周囲が驚いて、恥ずかしそうに座り直す。
「嫌です……」
「なんで、すみれちゃんは一緒にこようと思ったんだ?」
「……それは――だって、お兄さんが……」
「俺? 俺とすみれちゃんは、関係ないだろ」
「関係ないことないです。だって、お兄さんは私の……運命だから」
「運命? 何言ってんだ?」
「……なんでもありません。それに、私の計画に、マリンちゃんは必要なので」
「計画……って?」
なんだか、計画って言葉はどうにも、いい意味には聞こえない。
俺たちが今してる、この計画もまた、いいことではないのだから。
「マリンちゃんと、私も、もう一度話したいってことです」
「ふぅん……」
なんだかうまく誤魔化された気がしたな。
でも、誤魔化した、ということは、これ以上は訊いても無駄という意味でもあるのだろう。
すると、スマホに連絡が入った。
「10分後、倉木さんと向かいます」
思いのほか早かった。
どうやら、計画は順調に進んでいるようだった。
そして、10分後、家の前で見たあの男を――ほくそ笑んだあの表情をした男を、俺は確かに視認した。
彼は入店してすぐは気付いていなかったが、杏奈が俺たちのところで立ち止まったところで、ようやく気付いたようだった。表情が険しくなっている。
「君は……あの時の……どういうことですか。杏奈ちゃん」
「とにかく、座ってくださいよ、倉木さん」
俺が言うと、彼は眉をかすかに動かし、座った。
「杏奈ちゃん、見損ないましたよ。彼はストーカーです。マリンちゃんの、ね」
「そうですね」
杏奈がにっこりと笑い、頷いた。
いや、肯定すんなし。
「でも、ストーカーにはストーカーの言い分だってあると思うから……倉木さん、話だけでも聞いてやってくださいよ」
「…………やれやれ」
彼は小さくため息をついた。
そして、俺の方に向き直す。
「それで? あれか? 週刊誌の記事を回収してくれって?」
「違います。マリンちゃんと、もう一度会わせてください」
「それはできない」
「なぜですか?」
「君がストーカーだから……って言いたいところだけど、まあそれは適当にでっちあげさせた記事だ。気にしなくていい」
気にするわ。
でも、本題はそっちじゃない、か。
「君……名前は……」
「凪坂です」
「凪坂くん、芸能界ってのはね……特にアイドル業界ってのは、賞味期限ギリギリの卵を使った料理みたいなものなんだよ。どうにかこうにか、加工に加工を重ねて、新鮮味がなくなったことを誤魔化して――隠し通して、それでも立派な料理にする。これが、アイドルの仕事なんだ」
それは、なんとなく分かる気がする。
隣に座る杏奈も頷いている。
「特に『サザナミシスターズ』はこれからなんだ。テレビに進出してきて……これから、いくつも冠番組を持つはずだった。そのトップが、日野マリンのはずなんだ。そこに、とんでもない爆弾……そう、いわば卵を速攻で腐らせる、熱と湿気の籠った――薄暗いジメジメとした存在……凪坂くんが紛れ込んだら、どうなると思う? いくらの損失になるか、君に想像できるか?」
何も言い返せなかった。
彼は仕事を全うするために、思考を張り巡らしているだろうから。
きっと、誰よりもサザナミシスターズのことを考えているのは、マネージャーである倉木さんだ。
だからこそ――だからこそ。
日野マリンという存在の貴重さを知り、彼女という人間性を失わせてでも前に進もうとしている。
芸能界は闇ばかり――
闇に染まっていくのは、心の方か。
「マリンちゃんは君にご執心だ。はっきり言って、凪坂くんのどこに魅力があるのか、僕にはさっぱり分からないけれどね……」
はっきり言い過ぎだな、そりゃあ。
「でも、今は大切な時期なんだ。結婚したいなら、30を超えてからでも遅くないはずだ。そのころには、彼女の賞味期限が切れている頃だ。そこからでも、遅くないだろ?」
「……それが、正しいんだと思います」
俺はここで、ようやく言葉を発することができた。
「倉木さんの言っていることは、きっとどこまでも正しくて……その道を選べば、マリンちゃんもきっと成功を勝ち取れる」
「……そうだな」
「でも、それはただの、『大人の正義』だ。俺は……いや、マリンちゃんはまだ18だ。まだ進路すら曖昧に決めて、その選択がどんな未来に進むのか考えもしない、そんな時期のはずなんです。でも、彼女はそんな中、誰より悩んで――俺を選んでくれた。その選択が、どんな意味を持つのか、俺には分かります」
どんな正義も。
どんな成功も。
彼女には響かなかった。
彼女が望んだのは――
「彼女が望んだのは、選んだのは、誰よりも普通で、誰よりも一般で、誰よりも人並みな、小さな幸せの方なんだ。それを無責任に奪うことは、倉木さん……あなたの正義をもってしても、許されることじゃない」
「…………それを求めてるって、なぜ分かる? 君は確か、タクシーごしにフラれていたじゃないか」
「だから、彼女に確かめるために、ここへ来たんです」
「…………言った通り、会わせるつもりはない」
「話したら、どうなるか倉木さんは知っているからですか?」
「……そうだ! 僕は、誰より彼女の未来を明るいものにするつもりでいる! 君たちといたんじゃあ、それは実現できない!」
「だからそれが――!」
「もう無駄ね」
呟くように言ったのは、すみれちゃんだった。
彼女は腰のポケットからカッターを取り出すと、それを倉木さんに向けた。
「なっ……」
前のめりになった倉木さんが、慌てて退く。
「すみれちゃん! 何してんだ」
慌てて止めた。それだけはだめだ。
「会わせてくれないなら……こうするしかないでしょ。もとからこの人は、話し合うつもりなんてなかったの」
「な……なんてことを……」
「会って、話をするだけ。それでもだめなんですか?」
すみれちゃんは冷たい声で言う。
周囲の目が怖い。幸い、まだ誰も気付いていないみたいだ。
「……っ!! たとえ……たとえ、どんなに脅されようと、君たちとマリンは会わせない!」
「そう……なら――」
「おい、まっ――」
「すみれちゃん!」
すみれちゃんがカッターを振り上げた。
止めないと――
瞬間。
彼女の手が、捕まれた。
店員――ではなかった。
それを止めたのは……
朝姫だった。
そして、もう1人。マスクと帽子こそ被っているけれど、それは確かに、渦中の人物――日野マリンその人だった。
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