母ノ遺書 ー立花めぐみの消失ー

 ボールペンのインクが無くなるまで、思っていたことを全部書いた。


 私が死ぬ理由。そんなものは、この世にはない。ただ、神に祈り続けて消えるだけだ。私の、私たちの居場所はもうすぐ無くなる。その虚しさだけが頭を掠めた。


 思い残りがあるのは、私の中から生まれてくる。この子は生き残ることができるだろうか。人の命は奪っておいて、我が子にこれだけの愛があるとは私は随分と贅沢をしたものだ。



……贅沢な悩み。



「ねぇ……、あなたは私の事恨むかしら?」


 お腹をさすって、囁いた。もしもこの子が生きるとすれば、世間からの批判を受けるだろう。私たちの行いのせいで、この子はどんなに思い苦しむ事だろう。これが私に課せられたある種の罪なのかもしれない。


 ボールペンを置き、窓の外を見てみる。人工的に作られた光が夜の都会を照らしていた。夜空には満月が私だけを見つめているように寂しく浮かんでいる。もう一度、自分が書いた遺書に目を落とす。


 そこには左手で書いたいびつな字が羅列していた。


 



         ***


 カグア様、この哀れな私を許してください。

 生まれてから死ぬまでずっと醜かったこの私を。

 貴方様との間にできたあの美しい、愛おしい名も無き子を置いて逃げる私を。


 今も胸が痛くて仕方がありません。でも、貴方様との出会いがなかったなら、きっともっと酷い人生を送っていたことでしょう。

 

 5年前に出会った時からずっと夢でも見ていたのでしょうか。その5年間という長い年月が私にとっては刹那のように感じられたのです。貴方様が私を心の病から救ってくださったおかげで、私はどれだけの開放感を得られたことでしょう。


 それだけではありません。 


 一緒に過ごした時間に私たちは愛情をも、育むことができたのです。以前も申し上げましたが、私は元来人に愛されたことがありませんでした。いいえ、もしかしたら愛されていたのかもしれない。しかし、その大事な愛というものを見過ごしてうまく捕まえることができなくて、そして時が流れていったのです。臆病な私は愛の存在に気づくことすらできずにいました。


 そんな私を惹きつけるように貴方様は現れました。


 初めて出会った時の記憶は今でも鮮明に憶えています。K市内のN公園でのことでした。

 その時私はまだ17歳の子供で、親に「ギャクタイ」というものをされていました。単純に家に帰りたくない、という我儘で夕方の5時になってもずっとベンチに座ったまま、頭を空っぽにしていたのです。その日のK市は晴れていて、美しいオレンジ色をした太陽がちょうど西の空に沈んで行った時のこと。貴方は突然現れました。


「可哀想に。痛かっただろう?」


 服は汚れ、顔も疲れ切って見えていただろう私に優しく声を掛けてくださいました。でも、どうしてでしょうか。長袖のセーターを着て、見えないはずの腕に痣があったのを知っていたかのようにおっしゃいました。私はどう反応してよいものなのか、ただという言葉が胸に突き刺さったのは確かです。その時が初めてでした。誰かに声をかけられたのが。今まではずっとクラスの同級生も、学校の先生でさえ、私のこの痛さに声をかけてくれる人はいませんでした。傍観者のように見ているだけ。声に出さずに「あぁ、可哀想だな」と他人事にしてすぐさま私から離れてゆきます。しかし、所詮は赤の他人です。私なんかのために手を差し伸べてくれる人など、世界中どこを探してもいやしない。そんな自己否定感が子供だった私にはありました。


 だから、貴方様の言葉が私を救ってくれたのです。私の全てを、理解してくださったのも今までで貴方だけです。声をかけてくださったのにも関わらず、何も言わなかった私にまた、温かな言葉を降らせました。


「帰る家がないのか。なら、こっちにおいで」


 怖さと寒さで震える私とは裏腹にカグア様は柔らかく、優しい表情でした。まるで自分の子供が泣いているのをあやすような。そしてすぐに私の右腕を掴み、立ち上がらせようとしました。掴まれた時、痣があったせいでズキズキするような痛みがしたのを覚えています。その感覚に思わず声が漏れそうになった時、ちょうど気付いたように貴方はすぐに私の腕から手を離し、


「あ、ごめんね。気づいていたのに……。まぁ、来たかったら来るといいよ。君の自由だ」


 と、少し冷めた言葉を吐き、背を向いてゆっくりと歩き出しました。


 だんだん離れて小さくなっていく背中を見つめ、私は迷いました。このままこの公園に居続けるべきか。それともあの人についていくべきか。

 初冬のひんやりした冷気が肌を撫で、やがて心が冬眠から目覚めたように動き出しました。

 親に打ちひしがれて、何も言わない無垢な子供のままでいるよりも、新しい、全く別の世界に行ってみたいという野望がひとつ浮かび上がったのです。そう思うなり、すぐに立ち上がり、日の当たったその背中に近づきました。


「助けてくれますか……。こんな私でも」


美しい白いワイシャツの袖を引っ張り、小さく呟きました。すると貴方様は振り返り、透き通った両目で私を見ました。


「もちろん、だから声をかけたんだよ」


そう言いながら、私の頭の上に乗せた大きな右手は少しひんやりした感触があったけれど、確かに私を一人の女の子がいると認めているようで嬉しかったです。


 それから私は教団の人間になり、とても幸せな5年間を送りました。最初に訪れた本部ビルは私にとって大事な家となり、教団の幹部様や他の信者の皆さんは優しい家族になりました。


 楽しい時間はあっという間です。もうすでに我々は残酷な人殺しと化してしまいました。


 でも、半年前のあの日、貴方様が告げた言葉は正しい。この世界に生きているすべての人、イジメ、ギャクタイ……。辛い思いをしている人々に幸福な死を与えたい。悲しんでいる人を助けられるのは神様だけ。だから自殺防止センターに勤めている人間たちを殺す。無能な人間はこの世界にはいらない。朝の如月駅行き電車には自殺防止センターに勤めている人間たちが多く乗ってくる。そして同時に通勤通学している人たちも……。


 一点に集中するよりかは無差別に殺した方が世界に向けた挑発になる。これらは指揮官の文彦さんの考えで、それに基づき、私たちはK市内の如月駅構内でテロを起こす事になりました。 


 そして私たちの夢は実現し、一週間前10人もの命が灰になって消えてゆきました。


 しかし喜ぶのも束の間、実行グループである文彦さんと武田さんの2人が昨日、身柄を拘束されてしまいました。もうこの本部ビルが警察に占領されるのも時間の問題です。だんだん歪んでいく私の生活も終幕を迎えることでしょう。


 だからお願いです。

 もう一度私にチャンスをください。


 悲しさで汚れてしまった私はこの教団で5年間という短い間でしたが貴方様とになることができました。親からの暴力でできた痛々しい傷跡があるこの私でも、来世できっと新しく美しい心と体に生まれ変わります。ここで区切りをつけて死んでしまいたいのです。


 結局私は仲間がテロを起こしているのを貴方様と見ていただけで、誰一人殺すことができませんでした。自分自身しか殺せない無力な私を許してください。

 今の私も、来世で生きていく私もカグア様に祈りを捧げていきます。


              20XX年10月22日

                 立花めぐみ

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