第45話 希望ある別れ

 卒業式を終えた僕らは、久しぶりに湊と嶺くんに再会した。嶺くんは無事、第一志望の大学に受かり、四月から大学生になることになった。嶺くんはばつが悪そうに、翔に謝った。


「悪いな、翔。俺だけ大学生になって」


「うっせぇ。そんなこと言われたら、俺、もっと惨めになるからやめてくれ」


翔にとっては、なかなか辛辣な言葉に違いない。


「ごめんごめん」


嶺くんは苦笑しながら翔に再び謝った。


「でも、僕は嬉しいんだ。翔と一緒に後一年いられるわけだからね。これで、大学も同じ東京で進学すれば、僕はずっと翔と一緒なんだよ!」


そうやってはしゃぐ僕に、嶺くんは呆れた表情をした。


「おいおい。お前、まるで翔が大学に落ちてよかったって言い草だな。さすがにそこは自重しとけよ」


「はーい、ごめんなさい」


僕は反省などまったくしていないような返事をする。すると、湊が嶺くんにしがみついた。


「僕は、嶺と一年間もお別れになるんだよ? 淋しいよ。大学なんか行かないで、僕と一緒にもう一年高校通おうよ」


「それだけはよしてくれよ。さすがに、もう一年受験生をやるのはごめんだ」


「えー? いいじゃん。僕と二人だったら、受験生二年やっても大丈夫だよ。僕が嶺のこと、疲れたときは癒してあげるから」


駄々をこねる湊の肩を嶺くんは優しくつかんで湊の目線まで背を屈めた。


「そういうわけにはいかないんだ。湊、お前はいい子だろ?」


「うん」


「だったら、俺の言うこと聞いてくれ。ちゃんとお前は来年、俺と一緒に暮らせるように大学合格するんだ。そのために、これからの一年間、一生懸命頑張れ。俺も、お前と早く一緒に住みたいんだ。約束してくれるか?」


湊は涙目になりながら頷いた。


「湊、いい子だ」


 嶺くんは湊をそっと抱きしめた。湊は、いつもだったら大はしゃぎするシチュエーションだが、今日は嶺くんに抱かれたまま静かに泣いて肩を震わせていた。そっか。湊、学校では嶺くん以外とあまり仲良くする友達もいないらしいから、嶺くんが卒業してしまうと淋しいだろうな。僕はふとそう思った。


「湊、だったら、次の夏休み、一緒に勉強しよう。僕、湊んち泊まりに行ってもいい? そうだ。翔も一緒に行こう。三人で一緒に夏休み合宿気分で勉強するの」


僕はちょっと湊が可哀想になって、湊にそんな提案をしてみた。すると、湊はすっかり泣き止んで


「なにそれ! 絶対楽しいやつじゃん。乗った乗った!」


とすぐにいつもの元気を取り戻した。湊はこういう所が単純で可愛い。


「なんだよ、それ。俺も入れろよ。」


嶺くんも入りたそうにしている。


「えー? でも、嶺はもう受験生じゃないんでしょ?」


湊が意地悪そうに言った。


「いいんだ。俺、大学の勉強するから」


「夏休みまで? 嶺、まじめすぎ!」


湊は嶺くんと笑い合っていた。しかし、翔だけが静かにしていることに、僕は気が付いた。


「翔、どうかしたの?」


僕はそんな翔に話しかけた。すると、翔は僕のことを真剣な目でしっかり見据えた。


「え? なに? どうしたの、翔?」


僕が戸惑っていると、翔はそのまま僕に真剣な表情で語り出した。


「一郎。ごめん。俺はお前とはもう一緒にいられない」


僕を含む三人は驚いて息を呑んだ。静寂が僕らを包む。翔は続けた。


「俺、来年こそは絶対に第一志望に入りたい。だから、俺、東京の予備校に通うことにしたよ」


東京の予備校? え・・・。じゃあ、僕は・・・。


「ごめん。きっと一郎は、俺と一緒に受験生やりたかったよな。俺も正直、お前と受験生になりたかった。でも、東京の予備校の方がこっちよりいい先生も多いし、大学に受かるのにそこで勉強した方がいいと思うんだ」


「なんで・・・。なんで急にそんなこと言い出すの? 僕、聞いてないよ、そんなこと。ずっと一緒にいてくれるんじゃなかったの?」


と言って泣き出す僕を、翔はそっと抱きしめた。


「泣くな。もう、お前も高三になるんだ。俺がいなくてもお前は一人でもしっかりやれる」


「やれないよ。僕は翔が一緒じゃないとだめだよ。そばにいてよ。一人にしないでよ」


泣きじゃくる僕の肩に、嶺くんがそっと手を乗せた。


「一郎、翔の言うこと、ちゃんと聞いてやれ。お前、翔のこと好きなんだろ? 大事なんだろ? だったら、翔が一生懸命東京に出て勉強したいって言ってるんだ。それをお前も応援してやれ。つらいと思う。だけど、時に、どんなに愛し合っている相手でも、離れ離れにならなきゃいけないときはあるんだ」


「嶺、ありがとう」


翔は静かに嶺くんに礼を言った。


 僕はそんなことわかっていた。理性ではとっくに、翔を応援しなければならないこと。僕が一緒にいたいがために、翔の足を引っ張る訳にはいかないこと。百も承知だった。だけど、翔が僕の元からいなくなることを想像すると、どうしても涙が止まらなかった。


「一郎、俺もお前と離れて生活することになるのはつらい。だけど、これは将来、お前と結婚して暮らしていけるようになるための一歩なんだ。俺たちが離れ離れになるのは一年間だけだ。そもそも、俺が大学に進学していたら、同じ状況になっていたんだ。大丈夫だよな? 我慢できるよな?」


翔の言葉が染みる。僕はそれでもどうしても「うん」と言えず、しゃくり上げて泣き続けていた。


「なーんだ。だったら、一郎も僕と同じなんじゃん。だったら、一郎も頑張ろうよ。僕も一年間だけ頑張るから。一年なんてあっという間だよ。今年一年だってすぐ過ぎちゃったじゃん。それに、勉強が忙しくなったら、デートとかしていられなくなるし。勉強が忙しすぎて、きっと淋しい気持ちなんて忘れちゃうって」


湊にまで説得された僕は、いつまでも愚図っているわけにもいかなくなった。


「わかったよ。じゃあ、翔のこと、僕も応援する」


「ありがとう、一郎」


翔は僕をぎゅっと抱きしめた。


「その代わり、絶対に約束して? 来年、僕らは絶対に一緒に住むって。僕も頑張って大学受かるようにするから」


翔は深く頷いた。


「もちろんだ。約束するよ。来年を楽しみに、今はお互い、勉強を頑張ろう」


 僕は涙を拭うと、腹を決めることにした。そうだ。離れ離れになるとしてもたったの一年間だ。それまでに、僕はいっぱい勉強して、大学に受かって、翔とまた一緒に暮らしていく未来のために頑張るのだ。今、我慢して頑張っていれば、きっと将来花が開く。これは、悪い意味での別れではない。明るい未来のための、希望のある別れだ。僕は、笑顔で翔を送り出そう。翔にこれだけ愛されているのは僕だけだ。例え遠距離になったって、そんなに簡単に壊れる絆ではないのだ。

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