第33話 赦し合い

 僕は廉也に向かい合うと静かに切り出した。


「僕、廉也にズボン脱がされて、股間触られて、お腹蹴られたよね。教科書に落書きされて、水かけられて、首まで絞められて、ずっとずっと苦しかった。僕ね、廉也が僕に中学時代してきたこと、忘れたことはないよ。これからも一生忘れることはないと思う。でもね、僕、もう廉也のこと恨むのやめるよ。


 きっと、廉也が僕のことあんなに嫌いになったのは、僕がゲイだからってこと以外にも理由があったんだと思う。もし、僕になにか廉也があんなに僕のことが嫌いになった理由があるなら、聞くよ」


すると、廉也は僕の胸倉をつかんで、壁に押し付けた。


「お前な、いちいちキモかったんだよ。陰キャのくせに、俺の後付け回して、バスケできないくせにバスケ部まで入って来やがってよ。そのせいで、俺がなんて言われたか知ってるか? 因幡と、お前と付き合ってるだの、ホモだの、ずっと言われて来たんだぜ。その屈辱、お前にはわかるか? お前はホモだから、そう言われてもいいかもしれないけど、俺はノーマルなんだよ。お前みたいな異常な性癖を持ってなんかないんだよ。お前なんかと一緒にされてたまるかよ」


と言う廉也の声は震えていた。


「そうなんだ。ごめんね。僕のせいで、そんな噂立てられて、廉也もつらかったよね。本当に、ごめんね」


僕は廉也に謝った。すると、廉也は僕の胸倉の掴む手を離した。廉也の顔に明らかな動揺が見られた。


「な、なんだよ。おせぇよ、今更」


そう言いつつ、廉也は震えていた。


「でも、一つだけ言わせてほしいんだ。僕は、自分のこと、異常な人間だなんて思ってないよ。僕も翔もゲイだよ。それは事実だ。女の子を好きになったこと、今までに一度もない。でもね、僕も翔も同じ人間なんだよ。僕が翔を好きな気持ちも、翔が僕を好きな気持ちも、廉也がりっちゃんのこと好きな気持ちと変わらないんだよ。僕が翔のことを好きなこと、廉也にとったら気持ち悪いかもしれない。僕がもし、廉也の立場だったら、気持ち悪いって言っていたと思う。僕だって、中学卒業して、高校に入ってもしばらくは、ずっと自分が異常な人間なんだって思ってた。でもね、そんな僕でもこの世界で生きていたいんだ。普通に友達と笑っていたい。ご飯だっておいしく食べたい。勉強だってしたい。そんな普通の人間なんだよ」


「はあ? 意味わかんねぇよ」


廉也は泣きそうな顔をし、声も泣きそうになっていた。


「意味わかんなくてもいいよ。廉也にわかってもらわなくてもいい。これからもずっとわかってもらえないかもしれない。でも、僕はちゃんと廉也には言っておきたいんだ。だってね、廉也は僕が中学生の時、好きになった人だから」


「好き? それがキモいって言ってんだよ!」


「ごめんね。きっとこの僕の気持ちは廉也にとっては気持ち悪いものなんだと思う。こんな気持ちを廉也に持ってしまったこと、廉也を不快にさせたこと、本当に申し訳なかったと思ってるよ。それから、もう一つ。今日は廉也を脅すようなことして、本当にごめんなさい。でも、栄斗は僕の料理部の大切な仲間なんだ。だから、栄斗がサッカー部にいられなくなるような噂を立てられたりするのだけは、どうしても許せなかった。だけど、僕のやり方は間違っていた。廉也、きみを傷つけるようなこと何度もして、本当にごめんなさい。これ、返すよ」


僕は、廉也の手にカッターを返した。


「いいよ。廉也。僕のことが憎いなら、僕のこと殴ってもいい。カッターで切りつけてもいい。僕は廉也に何されても受け入れる。僕はもう、廉也のこと憎んでないから」


僕はそう言うと、なにをされてもいいように覚悟を決めた。廉也はカッターを握る手をわなわな震わせた。そして、僕の顔を睨み、カッターを強く握りしめた。


「おい、一郎、何言ってんだ!」


翔が慌てて僕と廉也の方へ駆け寄ろうとした。しかし、カッターは廉也の手からスルリと滑り落ちた。カッターが床に転がる乾いた音が辺りに響き渡った。


「そんなことして、俺、傷害事件起こしたくないから。もう、帰れよ。お前の顔なんか、二度と見たくない」


廉也は俯いてそう言った。


「本当にごめんね。うん。僕、帰るよ。でも、一つだけいい? 僕は、廉也に中学の時、話しかけてもらって本当にうれしかったよ。僕、小学生のとき、ずっと友達がいなくて独りぼっちだったから、廉也が初めての友達だったんだ。廉也は、普通に僕に話しかけてくれただけなのかもしれない。でも、僕はそれだけでも本当に救われたんだ。僕、廉也のことが好きだったよ。廉也にとって迷惑かもしれないけど、その気持ちは本物だから」


僕はそう言いながら、涙が止まらなくなっていた。廉也はそんな僕の涙を見ながら、その場にへたり込んだまま動けずにいた。


「じゃあ、僕、行くね」


僕は涙を拭うと、校舎を出て歩き出そうとした。翔と栄斗、そして遥さんが慌てて僕の後を追って来た。皆は全員神妙な面持ちでずっと黙りこくっていた。その時、


「ちょっと待てよ!」


という廉也の声が後ろから聞こえた。僕は立ち止まった。すると、廉也が僕の腕をばっとつかんだ。


「ちょっと待てよ・・・」


廉也の声がわなわな震えていた。僕が振り返ると、廉也は僕の方を見つめたまま、涙をとめどなく流していた。


「・・・一郎、今までいろいろすまなかった」


廉也はそう言って、深々と頭を垂れた。


「廉也・・・」


「俺、お前にひどいことばかりして来た。中学の時、俺がお前にしたこと、本当に悪かった。ごめん・・・。ごめん、一郎」


廉也はそう言って肩を震わせて泣いている。


「もう、いいよ。廉也。僕、廉也からその言葉をもらえただけで嬉しいよ」


僕はそう言って、泣いている廉也の肩に優しく手を置いた。


「ねえ、廉也。もし、廉也がよかったら、僕たちまた友達になろう?」


廉也は僕の方を見た。


「え・・・。いいのか? 俺だぞ? お前をずっといじめて来た俺だぞ?」


「うん。昔のことはもう昔のことだもん。これから、廉也と仲良くできれば、それが一番うれしいよ」


廉也は涙を拭いて立ち上がった。


「わかった。よろしくな、一郎」


「うん。よろしく」


僕らは握手を交わした。


「あ、だけど、俺のこと、好きっていうのは・・・」


と、言い出しにくそうにしている廉也に僕は笑い出した。


「バカだなぁ、廉也は。僕には翔がいるから、廉也に対してはもう何も思ってないよ。ね、翔?」


僕はそこで初めて他の四人の方を見た。すると、四人揃って泣いている。


「もう、やめてよ。なんで、皆が泣くんだよ」


慌てる僕の頭を翔が軽く小突いた。


「お前が泣かせるようなことするからだろ」


「えへへ。そんなことしてないよ。もう、笑って笑って!」


そんな僕らの様子を見ていた廉也は、


「なんか、俺、勝手に一郎に振られた気分なんだけど。ちょっとムカつく」


と少し複雑な表情を見せた。


「え? なに? 翔に嫉妬しちゃった?」


とからかう僕に、廉也は、


「ちげぇよ。バーカ」


と照れ臭そうに言った。それから、栄斗の方を向いて頭を下げた。


「さっきはすまんかった。お前がゲイだかなんだか知らないけど、俺、別にお前が男が好きだとか、他のやつと話すことないから。安心しとけ」


栄斗は泣きながら「はい!」と叫んだ。


「わたしも原井先輩を騙すようなことをしてごめんなさい」


と謝るりっちゃんに、


「え? じゃあ、俺と付き合ってくれるの?」


と、廉也がうれしそうな笑顔を見せた。だが、二人の間に遥さんが割って入り、


「それは却下」


と、ニヤリとして言った。廉也は「え?」という表情で遥さんの方に目を向けた。


「だって理沙はあたしの彼女だから」


廉也はポカンとしてりっちゃんと遥さんを見つめた。遥さんはそんな廉也の前でそっとりっちゃんを抱き寄せた。


「え? ええ⁉」


廉也の頓狂な叫び声が響き渡った。そんな廉也を見て、皆は笑い出した。廉也は複雑な表情で僕らを見ていたが、しばらくすると僕らと一緒に笑い出した。僕らはすっかり打ち解け、わいわい楽しく話しながら帰途に就いた。

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