第4話 変わってく街並みあえて変わらないと歌うヴォーカル茜さす日々

「記憶に残る場所。いつか再訪したい場所か……」

 京都観光ガイド学生ボランティアからのメールを読み返しながら、私は声に出して呟いていた。

 新型コロナの感染が広がり始めた頃、Twitterで、「コロナが終わったらしたいこと」という#タグが流行ったのを見たことがあるけど。

「記憶に残る場所。いつか再訪したい場所ねえ……」

 横浜や、鎌倉には行きたいと思っていた。氷川丸を一度は見てみたかったし、そのために、NHK学園の横浜市短歌大会に応募してみたこともあったけど。

 最後に東京に行った帰りの新幹線で、東京の夫の実家に、病気のお母さんの様子を見に行っていた家族連れと一緒になってしまい、それ以来、私は、すっかり遠出するのが嫌になってしまった。年上の出来た嫁と子ども二人、チップスターを前に、宿題を片付けていた小学生くらいの男の子と、時々むずがりはするものの、テーブルに折り紙を置いたまま、寝ていた幼稚園くらいの女の子は見ていて気持ちの良い人たちだったのだが、嫁を挟んで子ども二人は三人掛けのシートに座り、自分は一人孤立するような形で私の隣に座っていたせいか、嫁にあまり相手にして貰えず、夕食は名古屋の自宅に帰るまでおあずけらしく、テーブルに缶ビールとおつまみを置いてグビグビやっていた不機嫌だった子どもっぽい父親は最悪だった。その隣で、お弁当を食べてしまったばっかりに、私はえらい目にあってしまった。そいつが女の子を抱いて新幹線を降りる時に、わざわざ、リクライニングシートを真っ直ぐにしていったのだった。あの身体が急に真っ直ぐになる、とてもキツい感じは今思い出しても嫌になる。おまけに、まさか、見ず知らずの他人が、そんな嫌がらせをして降りるとは思わず、私は、しばらく、そいつの悪意に気づかなかったのだ。

 その時、私は気づいた。

 どうしてもズーラシアに行きたいとか、江ノ電に乗りたいとか、鎌倉を散策したいとか思わなければ、大仏なんて、奈良で十分だし。大阪に住んでいれば、京都や奈良も近いし。歴史に触れ、寺社仏閣に行きたいなら、近場で十分だった。

 空襲で焼けたとはいえ、大阪にだって、四天王寺があるし、大阪城だってある。何も、不愉快な思いをしてまで遠出することはないと、私は悟ってしまったのだった。

 今になって、こんなことになるなら、もっとあちこち行っとくんだったと思わないわけでもないけど。

「京都行きたいな……」

 大学のキャンパスで、鳶が旋回するのを見たい。

 出町ふたばで、豆餅買って食べたい。

 特に欲しい本や雑貨があるわけじゃないけど、恵文社行きたい。

 京都府立植物園で、合歓の木が見たい。

 大阪で行きたい場所は、今は、失われてしまった場所ばかり。

 てんしばになる前の、天王寺公園。入園料がいるようになってしまったけど、すぐ近くの大通りを車が走っているとは思えないくらい静かで、ベビーカーを押したお母さん達が和やかに、濃い緑の中を、会話しながら、ゆっくり歩いていた。

 私には味が濃くて、すごく美味しいとは思わなかったけど、職場の近くにあった浮世絵が飾ってあったお蕎麦屋さん。もちろん、「大阪といえば、うどん」のうどんもあったけど、入り口のショーウィンドーに、石臼が飾ってあって、自動で動かしていたかまでは覚えてないけど、何度か、観光客の姿を見かけたこともあった。大きなキャリーバッグを席の隣に置いた若い女性が、「どこから来られたんですか?」と店の人に尋ねられていたのを見たこともあった。それから、四天王寺商店街から、四天王寺さんに行く道にあった仏教関係の専門書などを扱う四天王寺書房。昼休みに、谷町筋を散歩していて、前を通ったことしかなかったけど、店頭に文楽の頭がたくさん並べてあった床山さんなど。

 ……つまらない。

 万博公園にあった児童文学館は、橋下徹が廃止、大阪府立中央図書館国際児童文学館に統合してしまったし。

 こんなんで、何をおすすめしろというのだろう?


 その夜、久しぶりに、私は夢を見た。

 大学一年の時に、うちに花火を見に泊まりに来た、キリンのように睫毛と首が長い女の子と、祇園さんへ行く途中で、おばあさんが小ぶりのみたらし団子を焼いている店でみたらし団子を買い、境内で座って食べる夢だった。

 もちろん、残念ながら、このみたらし団子屋さんも、もうない。

 街の記憶、人の記憶もだんだん薄れて消えていく。

 あの辺りも、ずいぶんと変わってしまった。

 ヴォーリズ建築の東華菜館とか、カップルが等間隔で座っていることで有名な鴨川の景色は変わらないけど。

 話を大阪に戻せば、aikoが発表した歌で、全国的に有名になった三国駅も、随分変わってしまったし。

 今より、昔の方が良かったなんていうつもりはないけど、私はあべのハルカスより、戦後、村野藤吾が増改築部分を設計したと言われている旧近鉄百貨店阿倍野店の鳥と葡萄唐草文の装飾格子や、一階正面入り口近くの広い階段が懐かしい。

 玉岡かおるさんなどの文化人の反対もあったにも関わらず、大丸も、大丸心斎橋本店を建て替えてしまったし。あの建物には、ヴォーリズ建築としての価値だけでなく、戦後一部再建された建物としての価値もあったのに。建て替え前、閉店前に開催された回顧展で、会場にいたお店の方から、「国が文化財指定してくれていれば……」と伺ったけど。ごちゃごちゃとした景観の中で、たまに方向感覚を失って、どうにかして、「心斎橋駅へ戻ろう」とした時、あの優美な建物が見えて、ほっとした気持ちは今でも覚えている。

 心斎橋から、ヤマハが撤退して、なんばの方に移ってから、心斎橋にはあまり行かなくなってしまったし。インバウンド景気にわく一方、地価の高騰や、建物の老朽化で、心斎橋から移転を余儀なくされたり、なくなってしまったりしたお店も沢山あったのだ。

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