愚かなムーランのにこやか孤児院

読むの書く太郎

ムーランのにこやか孤児院

第1話 プロローグ




 広大なルチモニア王国は、大陸の下半部を占める程に強大な国力を持っている。

その中心部には聖都ルチモニアと呼ばれる城下町があり、そびえたつ王城から郊外まで隙間なく賑わうことで有名だった。


「よってらっしゃい! 新鮮な川魚に美味しい野菜! なんでもあるよー」


そんな城下町の大通りにある人気店では、肥満気味なおじさんが客を呼び込んでいた。

彼は日雇いであるが、もう何年も勤めているベテランだ。


「あ、あの!」


「うげっ......おまえら、また来たのか。流石に毎日はまけてやれねぇぞ」


「だ、大丈夫です。今日はきちんと払いますから」


そこに現れたのは、齢十歳ほどの少年少女達。

一見浮浪児のように見える彼らだが、城下町では日雇のおじさん以上に有名人であった。


彼らの中心に立つルチモニアでは珍しい銀髪の少女。少しくすんではいるが癖のない綺麗な髪だった。

日雇いは小さく汚れた手でお目当ての品を探す様子に嫌な顔こそしたが邪険にはしない。

くたびれた服を着ているが、それは汚いというよりも使い込まれているという感じで

よく見ればきめ細かく上等な繊維をしていることがわかる。

つまり、この少女のバックにはそれなりの金持ちがついているということだった。


「こ、これください!」


小さな手が大きな白い野菜を掴み上げた。日雇いからすれば大した重さではないが、子供には相当に重いはずだ。

代金と引き換えに渡した野菜を抱え、安堵の表情で笑い合う彼らに日雇いは言い知れぬ罪悪感を覚えた。


「良かったー。今日はちゃんとダイコン売ってたね」


「うん。あとはムーラン様が喜んでくれればいいんけど」


銀髪の少女はどこか不安げにため息をつく。

子供には似つかわしくない表情が、笑顔だった残りの二人に伝染していく。

笑顔から一転して泣きそうな顔が並び日雇いは堪らず奥へと引っ込むのであった。




 ムーラン孤児院。

それはここ数年のうちに建てられ今や知らぬものが居ないほどの有名スポットだ。

王城から遠く離れた城下町の隅っこ、通称スラムのすぐ側に建てられており、その外観は一言で表すならば小さな要塞である。


そこはスラムの子供達をすべてかき集め、果ては国外の子供ですらも収容しているという噂すらある怪しすぎる孤児院だった。



 小さな要塞に相応しい門が買い出しを終えた少女達を出迎える。豪華な門はあくまで飾りであり使われることはないが、その威圧感は彼らの心に相応の覚悟を強いているようだった。


数歩離れた位置に備え付けられた小さな門をくぐり、中へと急ぐ。

彼女達は自然と足音を消し身を潜めるように移動していた。なるべく存在感を消そうとするのは癖のようなものである。


「いい? アニーは食材を食堂に、ケインは他のものを蔵に、私は......ムーラン様に帰宅したことを報告してくるから」


「う、うん。レインお姉ちゃん気を付けてね」


綺麗な赤髪をしたアニーの頭を、レインはくしゃくしゃと撫でる。


「大丈夫だから。ほらアニーも早く行って」


チラチラと振り向きながら進む二人を見送ると、レインはパンパンと頬を叩いた。



 重厚な正面扉に手をかけるとその外見からは想像もできないほどに軽い力で扉が開いていく。扉には小さな車輪が付けられており、床の溝に沿って回転するようになっていた。

非力な者でも開けれるような院長の工夫である。


シャンシャンと鈴が鳴り、何度も聞いているはずの音色に彼女の身体は硬直する。


「おかえり、レインちゃん」


鈴の音に引き寄せられたかのように、奥から一人の男が現れた。

ドクドクと少女、レインの心臓が鼓動を速め瞳孔が震えるように暴れ出す。

レインの前に現れた男こそ、この孤児院の長、ムーラン院長である。


大男でもなければ凶器を持っているわけでもない。

ただ、蛇のような目で舐め回すように見つめては三日月のように笑うのだ。


その顔を例えるならばスラムを徘徊するヤク中の末期患者である。

横のスラムに腐るほどいたアイツらと同じ顔をしているのだ。


「た、ただいま戻りました。お、お使いの品は食堂と蔵へ運んで、お、おります......」


いやに喉が渇く。飲み込む唾液が無くなり、上手く声がでせない。

荒くなる一方の呼吸を悟られないように必死に取り繕う。


「ありがとう。外は暑かっただろう? ゆっっくりと、休むといい」


だが、男の纏わりつくような声に足の震えだけは止められなかった。

こちらを気遣う振りをしているだけだと、誰が聞いても本音ではないことがわかる声色。


この時間が早く終わってほしい。彼女はまるで蛇に睨まれた蛙のような気分だった。



 男は無言のまま少女を眺めると、満足したのか部屋の方へと戻って行く。

レインの口から一気に息が漏れ、同時に全身の力が抜けてへたり込む。その後、しばらくは放心するように豪華なシャンデリアを眺めることしかできなかった。


 子供達をスラムから救いだした男は少々、いや、かなりの訳あり男だったのだ。




§




 ルチモニア王国において最高権力者は、もちろんルチモニア国王である。

だが、実際に政治を行っているのは三大貴族とよばれる大貴族達であった。


食糧生産に携わるツモーラ家

商売を取り仕切るムーラオ家

軍隊を管理するグランホール家


彼らが意見を出し合い、国王を交えた会談で国政を行う。

このシステムは何百年も前からずっと変わっていない伝統的なものだった。


 そんな三大貴族の一つ、ムーラオ家にムーランという問題児が産まれたのは、二十年も前の話だ。

父親譲りの黒髪に鋭い眼光、母親譲りの怪しい笑み。

この二つを同時に色濃く受け継いだのは、兄弟の中でムーランただ一人だった。


彼はムーラオ家の三男として産まれ、特に期待されることもなく問題を起こすこともなくもスクスクと育っていった。ハッキリと言えばあまり相手にされなかったのだ。


そんな彼が10歳になった頃、大きな変化が生じた。それは新しく妹が産まれたことだった。可愛らしい妹はムーランの寂しい気持ちを和らげた。家の者も長男に家業を仕込むことに忙しく、ムーランが妹の世話をするのは渡りに船だった。


天使のように可愛く、無邪気な笑顔は徐々にムーランの心を満たしていく。

彼にとって妹を観察することは、唯一の楽しみであり今日を生きる糧だった。


彼の両親が異変に気付いたのは、妹が産まれてから二年以上たってからだった。

まるで美味しい鶏を育てるような彼の顔を見て背筋を凍らせたのは言うまでもない。



 そんな日々が何年も続き、ついにムーランは成人を迎えることになった。

その祝いにムーランが父に願ったのは孤児院の建設だった。

妹の世話に幸せを見出したムーランは、子供という存在に強い興味を持っていたのだ。


彼にとって子供は天使である。日々成長していく姿も、拗ねてしまう姿も全てが彼にとって愛おしかったのだ。


 しかし、その必要経費は到底三男に使える額ではなく当然却下されることになった。が、彼はその程度で諦める男ではなかった。腐っても大貴族の三男坊。プライドの高い大商人の血筋を色濃く継いでいるのだ。ムーランの人生において最も頭を使ったのがこの時であることは間違いないだろう。


 ムーランが目をつけたのは町はずれの廃墟だ。所有者はもちろん生きておらず、周囲には不法滞在者のみ。

ルチモニア王国としても厄介な地域として有名で、王国の品位低下を招きかねないと危険視されていたのだ。

そんな好条件が揃ってしまえば、彼がスラムの抜本的改革を謳い資金を捻りだすことに成功するのは時間の問題であった。



 これが、彼にとっての天国であり、孤児達にとっての地獄が始まる前日譚である。



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