桐野

 翌朝小鳥のさえずりが聞こえる頃、二人は大きな屋敷の前にいた。

 門には「永井組」と書かれた看板。

 千紗の顔が引きつる。

「永井さんってもしかして…」

「ああ、ヤクザだ」

 ニヤッと庸平が笑う。

「まあここを頼るしかない」

 渋々ついていく千紗が立ち止まった。

「あ、ケータイ忘れた!」

「よく忘れるな」

「すいませんね」

 拗ねる千紗を見て庸平が目尻を上げて笑う。


 千紗の前では時々、この少年のような笑い方を見せる。


「まあ俺もいるから大丈夫だろ。行こう」

 呼び鈴を鳴らしズカズカと門の中へ入ると、慌てて黒服の男たちが二人を取り囲んだ。

 千紗は足を震わせながら庸平にしがみつく。

「アポとか取ってないの?」

「今から取る」

 と言うと、庸平は声を張り上げた。

「組長に要があってきた」


 両手を縛られ、二人は裏庭へ連れていかれた。

 砂利の上に座らされ待っていると、縁側に巨漢が現れ二人の正面に座った。その隣に護衛の男が一人座ると、巨漢が口を開く。

「私が永井だ」

 護衛の男は微動だにしない。庸平にも負けず劣らずの無愛想だ。

 縮こまっている千紗の代わりに庸平が話を切り出す。

「私たちは国からとある任務を授かっている桐野と、伊藤です。

 単刀直入に言うと、あなたがたの協力がほしい」

「一応聞こう」

 と言いながら永井はタバコに火をつける。


 永井が出てきてからの空気の重さに、千紗は押しつぶされそうだ。

 永井の気だけではない。笑ってはいるが永井と互いの気で牽制し合っている庸平にも、気圧されていた。


「来週、政界の要人も含めたシンポジウムで国立会館に行きますよね」

 永井の表情が固まった。

「いや、行くのは別に構わないんですよ。政府と裏社会の癒着は知っている。

 ただそれに、私たちを同行させていただきたい」

「お前たちを?」

 そう、と庸平が不敵に笑う。

「何しに行く?」

「それは言えないが、国の重要任務なんです」

「言えない?危険なことか?」

「かなり」

「我々のメリットは?」

「王室が組の存続を公認してくれるかもってところですね」

 永井が大声で笑い出した。

「それで引き受けると思ったのか?今の王室にどれほどの力がある?」

 まだ笑いが止まらない永井を、庸平の眼光が刺す。

「ただ、この任務の失敗は、あんたたちのためにもよろしくない」

「ほう、脅すのか?」

「そういうわけじゃないが。

 俺たちに協力しておいた方が、組を守るためにも得策だ」

 気づいていないが、庸平も力が入り言葉が荒くなる。

「成功の確率は?」

「必ず。成功させなければいずれにせよ、俺もあんたたちも、この国も終わりだ」

 長い沈黙が起る。腕を組み閉じられた永井の目を、庸平がまっすぐに睨みつける。

 千紗は下を向き、護衛の男は相変わらず前を見つめ微動だにしない。

「正直に話しましょう。私たちは世界を左右するこの国の遺産を追っている。世界中の、“それ“を悪用しようとする奴らから守るためにね」

「……」

「そこでですね、私たちの部隊をシンポジウムに同行させてほしいというのは、その会場がある公園内に、“それ”に関する重要な情報があるらしいんです。

 だがそんなことは奴らも掴んでいる。奴らは必ずその情報を狙ってくる。

 奴らが動くとすればそのシンポジウムの日だ。多くの人間が出入りするその日なら、侵入もしやすい」

「だったらなぜもっと大きな、国の軍隊なんかを出さない?」

「ここだけの話、政府にも、国のあらゆる機関にも、やつらの手が入り込んでいる。

 だから政府の息のかかった軍もあてにならない。つまり私たちの任務は非公式だ」

「つまり君たちもあの敷地内に自由に出入りできないのか」

「そう、敵も私たちもその日に紛れ込むしかない」

 庸平が苦笑する。

「それに、敵は私たちがいないと入れない」

「というと?」

「彼女が持つ鍵が必要なんです」

 永井の表情が曇っていき、再び重たい沈黙がのし掛かる。


 突然、パンッと永井が手を叩いた。

 千紗の肩が跳ね上がる。


「おもしろい、考えてみよう。

 明日また来い。返事はそこでだ」

「わかりました。いい返事を待っています」

 と立ち上がった庸平の元に護衛の男が近づく。

「林だ。連絡は俺と」

 庸平と連絡先の交換を終えると、林は永井と奥へ消えていった。


 屋敷を出ると、千紗が大きく息を吐く。

「ほんっとに息が詰まるかと思った!

 生きて帰れる気がしなかったわ」

 庸平は微笑しながら先を歩く。

「で、国立会館に行けば情報が得られるんだな?」

「うん。国立会館がある公園の中に、王室の史料を保管した宝物庫があるの。そこに、"例の物"に関する地図がある」

「そんなとこ今まで探さなかったのか?」

「ちょっと探してわかるようなものなら苦労しないわよ。

 やっとその情報をうちが掴んだってわけ」

「なるほどね」


 夕陽が傾く頃、真っ赤な鳥居の前に出た。

 鳥居は木々に覆われた坂の上へずっと建ち並んでいる。話では千本はあるそうだ。

「ここ来てみたかったんだ」

「よし、じゃあ寄っていこう」

 と言いながら庸平はスマホに何かを打ち込んでいる。

 先に行くよう庸平が促す。不審に思いながらも、千紗は庸平の前を歩く。

 坂を上り始めると、木々と漆の鳥居を照らす夕陽で小径が紅に彩られた。


「別世界ね」

「そうだな」


 千紗は楽しそうに辺りを見回し、ついていく庸平は目だけがギョロギョロと動き回っている。

 鳥居の列に終わりが見え、開けた場所に出た。中央に朱色の本殿が建つ。

 もうあたりは暗くなりつつあるが、観光客もまだ少しいるようだ。

「お参りしていく?」

「ああ、いいよ」

 庸平は心ここにあらずといった感じである。

 本殿の前に行き、千紗が賽銭を投げて手を合わせる。

 庸平は目を開いたまま手を合わせる。

「庸平、どうかした?」

「いや、なんでもない。あそこに座ろう」

 と脇のベンチへ促す。

 腰を下ろして一息ついたところで、千紗が口を開いた。


「庸平、私のことどう思ってる?」


「?」


 突然のことに言葉が出ない。

「庸平が仲間のことを信用しているのか、私たちも庸平を信用していいのかわからない」

「そりゃあもちろん…」

「庸平と私じゃ生きてきた世界が違うってのはわかってる。でも昨日前に立ったときの庸平の目、怖かった。

 まるで獲物を見るような…」

 庸平は何も言い返せない。

「まだ庸平が何考えてるかわからない。もっと心を開いてくれないと」

「…。努力するよ」

 完全に陽が落ち、本殿を照らすライトが点灯した。

「そろそろだな」

「何が?」

「落ち着いて聞くんだぜ。

 どうやら、刺客が来ているようだ」

 ギョッと千紗が庸平を見る。

「顔に出すな。これからの指示を言うぞ。

 そろそろ斎藤たちが着く頃だ。合図したらあっちの道に入る」

 そのために寄り道したのか、と千紗は納得した。

 それにしても庸平が指した道は本殿の奥の、鳥居の並ぶ山道であり、灯といえば鳥居一本一本にくくられた提灯のみである。

「暗闇に入れば奴らは好機と襲い掛かってくるだろう。俺たちを餌に襲ってきたところを斎藤らに取り押さえさせる。

 千紗は、とにかく自分の安全を考えろ」

 庸平の目はまだ動揺している千紗の瞳をとらえた。


「俺から絶対に離れるなよ」


 千紗は真っ直ぐ見つめ返すと、小さく頷いた。


「よし、行こう」

 と立ち上がり、山道へ足を踏み入れる。千紗は庸平の早足についていくのに精一杯だ。

 後方の明かりが遠ざかり、見えるのは提灯の赤い光のみである。

 そこへ急に庸平が立ち止まり、千紗は前につんのめる。

 と同時に庸平は左手で千紗の頭をおさえながら、右手は腰から拳銃を抜き取り左の茂みへ撃ち込んだ。


 続いて前方の鳥居の間から一人が飛び出し、庸平めがけてナイフを振りかざす。

 その腕を庸平の左手が押さえ、右肘で相手の顔を打つ。

 ひるんだみぞおちへ横蹴。


 今度は後方から男が襲い掛かる。

 千紗の手を引き自身の背後へやりながら、男の顔へ裏回し蹴り。

 その後も次々と敵が現れ、あっという間に二人を囲んで銃を構えた。

 千紗は一本の鳥居の柱を背にし、庸平の背後で逃げ道を探していた。


 いくら庸平が強くても自分という足手まといを抱えてこの数は無理だろう。どうすれば…。

 ん?庸平が何やら指を動かしている。

 …後ろ?


「両手を頭の後ろで組んでひざまずけ」

 言われた通りに庸平が両手を挙げ右膝をついたタイミングで、千紗は背後の茂みへ飛び込んだ。

 あっ、と敵がなったところへ右の一人に庸平が体当たりし銃口を押し上げる。

 周りの敵が驚き発砲するが、庸平は掴まえた男を盾にする。

 そのまま一回転しながら男から銃を奪い、周囲の敵へ放つ。

 残った敵が庸平へ短刀で切りかかる。これを下がって避ける。さらに短刀を振り回す腕を押さえ、男の顔へ左肘を入れ、もう一人右から迫ってくる男の方へ蹴飛ばした。

 そちらがひるむ隙に、庸平は正面の男に突進。


 千紗はそっと鳥居の陰から顔を出し庸平の様子を覗いた。

 しゃがんで敵の攻撃をかわしながらナイフで敵のみぞおちを裂く庸平の目は、見たこともないほど生き生きしていた。

 敵の首筋を斬りつけ飛び出した血しぶきが、提灯に照らされ真っ赤に光る鳥居を漆黒に染め上げる。

 その中央に照らし出される庸平の顔は、己の食欲を満たすように血を欲していた。

 千紗は背筋が凍るようだった。


 鬼。


 こんな“もの”をこの世で見たことがない。


 桐野はむしろ、生を感じていた。これほど充実した瞬間があるだろうか。

 水を得た魚。この赤褐色の世界こそが、桐野の生きられる場所なのだ。


 ことが済み、我に返って千紗を探す。

「千紗、行こう」

「あ…うん…」

 おや、これは少し刺激が強かったか。

 呆然としている千紗の手を引き鳥居の列の中を、さらに奥の赤い光を目指して駆け上がる。

 右手にもう一本の坂道があるらしい。そちらを駆け上がってくる影が見える。


「止まって」


 庸平が制止し、銃を構えてそっと歩み出す。坂道の合流点まで駆け上がった影が、上からこちらに顔を出した。斎藤だ。

「お前か」

「この先へ行けば表通りに出る。早く逃げろ」

 と言いながら斎藤がナイフを投げた。

 千紗の後方から来ていた男が倒れる。

「頼んだぜ」

 そのまま駆け抜けると、確かに通りに出た。

 二人は手を握ったまま、少し顔を下げて早足で、しかし走らずに進んでいく。

 あたりに人通りはなく、二人の呼吸が強調される。千紗の息遣いが少し粗くなってきた。


「大丈夫か」

「…うん」

「あと少しで繁華街に出る。そこまで頑張るんだ」


 平屋の飲み屋が建ち並ぶ繁華街に出れば、あたりは人で溢れてきた。この中に入ればまだ安全だろう。

「腹ぁへってないかい」

「少し…でも早く基地に帰った方が…」

「まだ斎藤たちも戻ってないよ。それに一旦休んだ方がいい」

 と、もうクタクタなのを必死に隠そうとしている千紗を見て微笑んだ。

「わかったわ。で、どこに連れて行ってくれるの?」

 と今度はいきなり意地の悪い顔を向けてくる。

「俺が選ぶのか」

「当然でしょ。こういうのは男がリードするものよ」

 いやにとげとげしい。

「俺もこの辺は知らないんだが…」

 少しうろついた後、こんなとこだろうと庸平が選んで入った。二階建ての少し高そうな料亭。


 二階の個室に通されると、中央に机と座布団が用意してあり、窓からは表の通りを見下ろせる。

 それぞれ酒を頼み、鍋の用意がされる。

「こんなとこでよかったか?」

「ええ、大丈夫よ」

 大丈夫よって…。採点されているようでどうにもやりにくい。

 鍋も煮詰まり、箸をつけ始める。今日は千紗がだんまりの番だ。さすがに庸平も息苦しさを感じ口を回す。

「今日は大変だったな。だいぶ疲れたろ?」

「ええ。まぁ、少し…」

 また沈黙に入る。

 こんなときはどんな話を振ったらいいのかと庸平は慣れない頭をめぐらせる。すると今度は千紗が口を開いた。

「この三日で色んな庸平を見てきたけど、どの庸平を信用していいかわからない。どこに本当の庸平があるのか知りたい」

 突然の話に庸平は言葉を失う。

「何を悩んでるの?」

 俺の事をわかる人間など現代にいるのか。

 そもそも俺に寄り付く人間がいない。


 それでよかった。


 他人の評価など人それぞれだ。だったら自分だけが自分の美学を信じてやればいい。

 無理に理解してもらう必要はないのだ。


「じゃあ、殺しは好き?」


 庸平は飲んでいた酒を詰まらせた。

「人聞きの悪い言い方するなよ。それが仕事だからな」

「でもすごく生き生きしてたよ」

 困っている庸平を楽しむかのように、意地の悪い微笑を含んでいる。庸平は観念した。

「殺しが好きってわけじゃないがね。戦っている瞬間が一番生を感じる。

 戦っているとき、そこには相手と俺しかいない。俗世の煩悩も何もかもつけ入る隙がない。

 生きるか死ぬか、本能だけに任せた世界だ。

 わかりやすくていい」

 酒を一口煽ってさらに続ける。

「言ってみりゃ戦うのもコミュニケーションだ。それが人との関わり方なんだ。

 まともなコミュニケーションがとれない臆病者が使う方法さ」

「それじゃ誰にも理解されないままだよ。血も涙もない男って」

「問題ない。実際そうだしな」

「私は庸平、そんな人間じゃないと思うけどね。私もっと庸平のこと知りたい。

一人くらい理解者がいてもいいでしょ」

 庸平の顔が曇る。

 ん?と千紗が首を傾げてくる。

「酔ってきた。顔洗ってくる」

 慌てて部屋を飛び出した。

 動揺している。冷静を保とうと思い切り水を顔へかける。

 蛇口を止めると鏡の自分と目が合った。


 驚いた。こんなに柔らかい表情をしているのはいつぶりだろう。


 久しぶりじゃないか庸平。


 慌てて再び顔を洗って振り払おうとする。

 あるいは喜んでいるのか?初めて理解してくれようとしている人が現れて。

 浮かれていると信念を壊すぞ。

 俺は桐野だ。


 最後に一回顔に水をかけ戻った。

「遅かったね」

「酔い覚ましにね」

 千紗はだいぶ酔いが回ってきている。殺しの現場などまだ早かったのだろう。今日は飲ませてやろう。

「んで?なんでこの仕事を始めたの?」

「そうだなぁ。俺はこの国の男として筋を通しているだけさ。

 俺の能力を買って、活かす場を与えてくれたのがここだった。どんな面であれ自分の能力を評価し使ってくれれば、そこに命を賭けるべきだ。

 それが俺の美学だ」

「そうかもしれないけど…」

 だんだんこの男、というよりこの生き物に本当に興味が湧いてきた。こんな人種見たことがない。

 だが同時に疑問が生まれた。

「そうやって生きて、庸平は楽しいの?」

「楽しくはないかもしれんが…。自分の信念に従って生きてきた。後悔はないよ」

 最後に日本酒を一杯ずつ飲み干し、店を出て夜道を進む。

 よろけながら千紗が話を続ける。

「さっきの話、美しく生きるのはいいけど、それでいつまで身がもつかしらね」

 庸平はよろける千紗に気が気でない。手を添えて支えながら答える。

「いつか死ぬと思うと怖いこともあれば、いつか死ぬと思うからやってられることもある。

 俺はこの美学に命を懸けている。そう長生きする予定はないよ。

 だからその短い間くらい、頑張ってられるのさ」

「んじゃあ、庸平の幸せって何?」

「そうだなあ…」


 幸せって何だろう。俺の人生だといつが幸せだったんだろう。


「たまには自分の幸せのために動きなよ」

「俺の人生において幸せは大きな意味をなさないよ。

 人生は作品だ。

 生きるってのは、この作品をいかに美しく創り上げるかだ」

「ふーん」

 道に沿って行灯が並べて灯されている。その見物目当ての観光客も多かった。ちょうどいい。

 なるべく人気のある道を選んで基地へ帰ろう。

 二人とも話を止めて、風情を楽しんでいた。

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