始動
翌朝、駅を出ると快晴である。
荷物を地面に置いて千紗が大きく伸びをする。
一方の庸平はといえば相変わらずギョロギョロと周囲に睨みをきかせ、全身動きに無駄がない。
ここはかつての古都。
その面影を残した景観が広がっている。
駅の裏へ回り、石畳の通りを行けば左右には神社仏閣、貴族や富豪の邸宅・庭園が点在している。
「道はわかってんのか?」
「ええ。地図は頭に入ってる」
そう言いながら千紗は、庸平の早足に駆け足気味でついていく。さすがに庸平も気がついた。
「悪い、癖でね。早いときは言ってくれ」
「もう少し他人に興味を持たなきゃね」
「そうだな。それ、持とうか」
と千紗の持つ荷物を指す。
「じゃあ、お言葉に甘えて」
紙袋だけ自分で持ち、もう一方のバッグを庸平に預ける。
別にこれくらい持ってもらった所でどうというわけでもないが、庸平の精一杯の気遣いに応えてやろうと思った。
「あ、そこ左」
千紗に従い左の狭い路地へ。また大通りへ抜けると、目の前に壮麗な門が現れた。
「これがそう」
「ほう」
門をくぐっても、広大な敷地内では目当ての建物までしばらく庭園が続く。
庸平が入り口を探してキョロキョロしていると、こっちよ、と千紗が先導する。
玄関に入っても、庸平は落ち着かない。
「どうかしたの?」
「いや、こう格式ばったところがどうも、性に合ってなくてね」
玄関で待っていると、案内人がやって来た。
「お待たせしました。こちらです」
「行きましょ」
あぁ、と玄関を見渡しながら庸平も後に続いた。
広間のイスに通され待つように指示。まだ庸平はキョロキョロしている。
「少し落ち着きなさいよ」
「ああ…」
庸平は監視カメラ、陰からの視線が気になっていた。
そこへ入ってきたのは気のよさそうな老人。
「悪いね。こういう事態だから、用心には用心が必要でね。警備を強化しているが、気にしないでくれ」
千紗がかしこまる。
この老人、代々王室の家政機関の長を務めている名門・橘家の当主である。
その橘翁の隣に、中年の男が座った。
橘翁が口を開く。
「じゃあ早速だが、今回の任務について話そう。大まかなことは、聞いているね?」
二人が頷く。
「伊藤くん。君たちがこれまで探してきたものが何か、どこまで知っている?」
「王室の起源に関わるものということは…。
だから私たちは王室の歴史から探ってきました」
「そう。この王室はこれをもってして国を作り、国を治めてきた。だがこれがあれば世界を手中にすることも、終わらせることもできる」
「だから世界中が狙っている」
「そう。だから当時の王室はこれを隠すことにした。永遠に」
「それを何故今になって…」
「探し出すか?そうだな、せっかくその存在も忘れられ王室としてはこのままにしておきたかったんだが。その存在にまた気付いた国や組織が出てきた。
それに今回伊藤くんたちが掴んだ情報はすでに漏れているようだ」
「もう?」
千紗が驚く。庸平はずっと眉間にしわを寄せて聞いている。
「紹介が遅れたが、詳しくは彼から」
橘翁が隣の男を指した。
「私は国防省の川島だ。
そう、情報がもう漏れているというより、もう奴らは内部まで入って来ている」
「内部というと、どこまで?」
「ほとんどの国家機関にはもう。
我々国防省にも、軍部にも。そう、君がいる情報局にも」
千紗が目を見開く。
「だから国が表立って動くことはできない。
そこでだ。君たちにそれを盗み出してほしい」
「盗み出す?」
「そう。敵は世界中の、かなり強大な奴らだ。この国の政府に入り込んだ奴らも動き出すだろう。だからそいつらよりも早く、この国の政府よりも早く見つけて盗み出すんだ」
庸平が顔をしかめたまま疑問をぶつける。
「なぜ私を?」
「選んだか?
君にはこれまでも国家に尽くしてくれた功績がある。下手な国の人間より、君の忠誠心を信頼している。
任務成功の暁には正式に君を取り立て、今回のチームを国の特殊任務遂行部隊として採用することも考えている」
庸平の眉が少し上がった。
「これは国家を左右する重大任務だ。君たち二人が今は頼りだ。何かあったときはここに連絡するように」
と川島は名刺を二人に渡した。
「この国も信用するな。この任務も、君たちの存在も、ここだけの機密だ」
屋敷を出ると、二人のチームに用意された基地へ向かう。
「嬉しそうね」
庸平の眼に力がみなぎっている。
「そりゃそうさ。
やっと俺を評価してくれるところが出てきたらしい。
人間は己の力を買って発揮させてくれる場所が必要だ。そんな場所をもらえば俺はそのために生きるし、そこで死ぬこともできる」
「よかったね。まあとにかく、頑張りましょ」
「そうだな」
「意気込んでるのはわかるけど、また早足」
「ああ、悪い」
と千紗の方を見た庸平はギョッとした。
「おい、その紙袋…」
千紗はまだ手に紙袋を持っている。
「あ!手土産渡し忘れた!」
慌てて戻り、基地へ着く頃には夕陽がさしかかっていた。
門に男が一人寄りかかっている。二人に気づき、近づいてきた。
「待ったぞ桐野。全員揃っている。
そっちが、伊藤さんだな」
誰?と千紗が庸平の方を見る。
「こいつはうちの副隊長の斎藤だ。斎藤とは昔からの馴染みで、隊の立ち上げも二人でやった」
千紗と斎藤が会釈を交わす。
「とにかく中へ入ろう。みんな待っている」
斎藤が促すまま中へ。
洋風の三階建て。一階の奥へ進むと食堂兼広間となっており、全員席についている。
二人は部屋の正面に立った。
全員の視線が二人に集中すると、千紗にも緊張感というものが湧いてきた。
よし、と意気込んで庸平の方を見た。
そこに、先ほどまでの庸平はいなかった。
千紗は背筋が凍る、という得体の知れない恐怖を初めて実感した。
彼の眼に光はないが、これまでの無愛想というのとも違う。
意気込んで表情が強張っている?いや、違う。その逆だ。
表情が無いのだ。代わりに見るものをすくませる殺気を帯びている。
正面から向かって右側に蒼龍隊隊員が十五名、左側に情報部から五名座っている。
それらへ向かって、桐野が口を開く。
「このチームの指揮を執る桐野庸平と、伊藤千紗だ。よろしく。
今回の任務はこうだ。“ある物”を、探す」
「“ある物“って?」
蒼龍隊の一人が口を出す。
桐野の冷えきった目がそちらへ向けられた。
「余計なことは知らなくていい。お前の任務は黙って、味方を守り、敵を倒す。それだけだ」
質問者は黙って頷く。それを見て桐野はまた全体へ目を戻した。
「いいか、これはトップシークレットだ。国の中でも知っているのはほんの一部。
だから周囲にもこのチームの動きを察知されないよう派手な行動は慎むように。
その“物”は俺と伊藤を中心に探す。
そこで情報部は情報収集および外部との連絡を、蒼龍隊は俺たちの援護および周囲の警戒に努めろ。
敵はデカい。気ぃ引き締めるように」
解散となりそれぞれ部屋を出る中、千紗は呆然と立っていた。庸平という人間が、どうにも掴めない。
各部署・隊員と打ち合わせを終えた頃には夜だった。
庸平と斎藤は周辺調査も兼ねて散歩にと、並んで夜道に出た。
「斎藤、これはチャンスだぜ」
「なにが」
「この任務が成功すれば、俺らのチームを正式に国の特殊部隊に引き立てる話があるんだとよ」
「ほう」
斎藤も目の色が変わった。
「やっと俺たちに出番が回って来たぜ。
ゆくゆくはこのチームを、国家を守る最強の部隊にしてやる」
「壮大だな。
だがあのチームじゃお前はまだアウェイだぜ。どうやって率いていく?」
その通りだった。二人は個人として功績をあげてきたが、蒼龍隊は立ち上げてまだ半年も経たない。まだ隊の基盤も発展途上だ。
当然、庸平もそこは考えている。
「だからお前と千紗がいる。情報部は彼女にまとめさせる。
お前は蒼龍隊の統率基盤を整えろ。そうしてできた二つを俺が束ねる」
「そう上手くいくかね」
暗い裏路地を抜け、居酒屋が建ち並ぶ小川沿いを進んでいく。
今度は斎藤が話を切り出す。
「最近調子はどうだ?」
「何が?」
「私生活だよ。俺は心配してるんだ。
お前、いい加減仕事以外の楽しみも見つけろよ。潰れちまうぞ」
庸平は眉間にしわを寄せ、不愉快をその顔に表した。
「俺の人生は俺の作品だ。重要なのは、この作品をいかに美しく創り上げるか。
これだけが俺の行動の目的だ。人生を楽しむ、なんてことはいつか忘れたよ」
「それがお前の生きがいか」
「生きがいというのは同時に死にがいだ。命を、人生を賭けられるか。
人生を賭けるものは一つだけでいい。二つもあったら折れ曲がっちまう。
俺はこの仕事に人生を賭けている。これが俺の作品だ。やっとその制作現場を与えられたのさ」
立派な心がけかもしれないが、それに人がついてくるのか。
第一、もう時代がそのような時代じゃない。
この個人主義、自由主義の時代に自分で自分を縛りきっている。
こいつがどこまで貫けるか。斎藤は見届けるのが楽しみでもあった。
その頃千紗は、布団に入りながら考えていた。
あの庸平の眼、あの隊員への口ぶり。およそ仲間として信頼している態度ではない。
私はどうだろう。私は庸平に信頼されているのか。
庸平という人間が何を考えているのかも、よくわからない。元々無愛想ではあるが、あんな顔は二日間で初めて見た。どれが彼の本来の顔なのか。
仕事に対する忠誠心は確かだろう。だが人として信頼していいものか。
しかし今は頼るしかない。
出世などに興味はないが、大事な役目だ。
任務遂行には信頼関係こそ重要だと伊藤は思っている。
怖いのだ。
自分が信頼できない人間も、自分を信頼していない人間も。
そうこう考えているうちに眠りについた。
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